2016/8/5, Fri.

 この日も午前中の労働なので、五時半の目覚ましで覚醒である。これも倣いだが、覚めても六時までまどろみのなかで過ごし、それから寝床を降り立った。洗面所で用を済ませてきてから、枕の上に戻って瞑想をした。六時五分から一五分、外ではミンミンゼミが早い時間からもう活発に鳴き声を立てている。上階に行って冷蔵庫を見ると、前日の肉巻きが残っていたのでそれを取りだして電子レンジに入れた。ほかにやはり前日と同じメニューで、白菜の味噌汁と酢の物を取り分け、椅子に就いて食べた。六時四〇分頃になると食器を洗い、自室に帰って、コンピューターは素通りして読書である。鈴木大拙『禅堂生活』の続きを読んだが、眠気のために頭はあまり冴えていなかった。労働も心底から面倒くさく思われたのだが、ともかくも今日行ってしまえば二日間は休みである。出発の時間が迫ってくると上に行って制汗剤シートで肌を拭き、戻ってくると白いワイシャツを纏って、黒と灰で分かれたネクタイを付けた。もはや効果があるのかないのか、なくしても支障が生じるのか不明だが、精神安定剤を一応一粒飲んでおき、上階に行くと靴下を履いた。眠気に未だ凝っている身体に、早くも熱されはじめた空気が煩わしい。ソファに就いて新聞を少々めくってから出発した。自転車をがりがりと言わせながら坂を上っていき、街道に向かうと工事現場の警備員が途中に歩いたり、豪快な大型のトラックを迎え入れるために現場の入り口に立っていたりして、ああいう人たちも制服にぴっちりと身を包ませて全身の皮膚を隠し、さらに頭にはヘルメットも付けたままで暑気に晒されていなければならないのだから、まったくもってハードな仕事である。黒い肌の小さな姿に横目をやりながら過ぎて、裏通りに入った。太陽は、直上に近く感じられるが、まだ前方に浮いているようで、絶え間なく額に熱を送ってくる。道の先に見える青い瓦屋根は溶けんばかりに真っ白に膨らみ、こちらが近づいていくにつれてその川面のような白さを端から剝がされて、横を通る時には全面に取り戻された色濃い青さを湛え、陽射しを受けても乾かずその内から水が湧きだしているかのように、隅々まで光沢を残して美しく輝くのだった。高校生たちとすれ違って裏通りを抜けていき、職場に着くと自転車を停めてなかに入り、働きはじめた。わりと楽な労働で、一二時半前には終わって退勤し、ふたたび自転車に乗った。のろのろと裏通りを進んでいくなか、太陽が高くなって熱線が身を包みこむような種類のものに変わっており、黒いスラックスに溜まって太腿が熱くなった。帰宅して家の横に自転車を入れ、鍵を外して背後を向くと、向こうの下り坂の入り口あたりに停まった車の戸が半ばひらき、お元気ですかと声を掛けてくる老人がいる。近所に住んでいる、同級生の祖父である。こんにちはと会釈して、なんとかやっておりますと言ったが、こちらの声は小さく、距離があったので多分相手には聞こえていなかった。よろしく伝えてくださいと言うのに、声を少々張って、暑いので、お身体にお気をつけてと返して玄関のほうに上がった。母親は出かけており、家中は無人である。居間で上半身裸になって、室に下りるとスラックスも脱いで瞑想を始めた。一二時三六分だった。座っているあいだに母親が帰ってきたので、七分で切りあげて上に行くと、レトルトカレーを食べると言って鍋で熱している。待つ合間に風呂を洗ってしまい、卓に就くとキュウリに味噌を付けてしゃりしゃりかじった。カレーを分け合って食べるあいだ、向かいの母親はパソコン教室に通ってみると話す。地元の商工会議所で一時間一〇〇〇円でひらかれていると言い、チラシをもらってきていた。できるようになるかなと訊くので、さあ、と首をかしげて返したあと、食器を洗って自室に帰った。John Coltrane『Blue Train』を聞きつつ、二時過ぎから新聞の写しを始めた。打鍵しながら一字一句集中して読んでいるというわけではなく、むしろ散漫に広がった思念があらぬ方向に逸れて関連のない物事を捕まえたり、調べたかったことを思いだしたりするのがしばしばで、それで打鍵を止めてブラウザをひらいて検索をしているうちに容易に二〇分、三〇分経ってしまうのがお定まりである。こうやって脇道に逸れてしまうのがいけないのだな、とその後は注意して作業を進めたが、しかし今度は眠気が靄って、瞳がぶれてくる。水を飲んできても視界の不明瞭さが改善されないので、眠ることにしてベッドに転がった。三時半だった。窓前のアサガオの脇を風が軽く走って、一瞬の間を置いて葉を順番に一つずつ震えさせていくのが見えるが、緑の隙間を抜けて部屋に入ってくるほどの勢いはないらしい。暑気のなかで眠りに就き、三〇分後に鳴るよう仕掛けた携帯電話のアラームで覚めはしたが、さらに寝過ごして結局一時間が経った。四時半を回って部屋を出て、水を飲んでから植物に水やりをしに玄関を出た。道路のちょっと先に近所の婦人が犬を連れて歩いている。その後ろ姿を見ているとこちらを向いたので、こんにちは、と会釈した。今日はお休み、と訊くのに、いや、今日は午前中に行ってきまして、と答えて家の横に下り、ホースを持って植木鉢に水を撒いた。梅の木か棕櫚の木か、ミンミンゼミが近くでじりじりと声を響かせている。水をやっていると鉢の土から跳ねる若緑色のものがあって、見ればバッタである。間抜けたような細長い顔でぴょんぴょん跳ねていくのを追って水やりをし、あたりの鉢やアサガオの根元に撒き終えると畑に下りた。頬にひっかかる蜘蛛の巣を払って階段を下ると、もう一方のホースを手に取って水を放った。ナスは葉の奥で実りはじめているようで、また畑になどそれほど来ないので初めて知ったのだが、敷地の端にはネットが設けられ、カボチャが育てられている。土を濡らしてこれでいいだろうというところで屋内に帰り、手を洗って部屋に戻るとふたたび新聞を写しはじめた、BGMは『Coltrane』である。また例によって途中で諸々のインターネット検索を挟んでしまうのだが、あまり長くならないように注意しながら記事を写していると、六時を過ぎたあたりで母親が自転車の鍵を取りに来た。先ほど言っていたパソコン教室に今日早速申しこんだらしく、行ってくると言う。鍵を手に入れた母親が去ると打鍵を続け、八月三日の分まで写して六時半になると新聞の写しは区切りとした。便所に行き、洗面所で水を飲んだついでに裸の肌を濡らして戻ってくるのだが、それで一、二分は涼しいものの、すぐに乾いてまた熱の膜が復活するのだった。それから書き物を始め、前日の記事は七時四分に仕上げて、四五分までこの日の分も綴った。瓦屋根の描写がうまく行かずに手間取って、時間を掛けたわりに九〇〇字に終わった。そして食事をしようと部屋を出た。冷やし中華を食べろという話だったので、台所に入ると水を入れた鍋を火に掛け、沸騰を待つあいだにボウルに氷水を用意した。乾麺を茹ではじめてからタイマーで四分、茹であがると冷水で冷やしながら洗い、皿の上に盛った。その上に細かい卵焼きや、千切りのキュウリやハムなどを適当にばら撒き、汁を掛け、一方でジャガイモの炒め物を温め、ほかにインゲンの和え物も取り分けて卓に就いた。そうして食べていると母親が帰ってきて、自転車を使ったために下階の物置から入ってきて声が階段下から聞こえるのだが、その自転車のタイヤがパンクしたと言う。マジかよ、と受けたが、もう古いものだったし納得の行く話ではある。唐揚げを買ってきたと言うので一本棒を分けてもらい、肉を食った。パソコン教室のことを訊くと、九月の分も合わせてもう支払ってきたと言い、週四時間で三〇〇〇〇円である。たかがコンピューターの初歩的な扱いを習うのに随分と高いように思われて、こちらについてもマジかよと思わず洩れたのだが、一時間一〇〇〇円なのだから実際には相当安いほうだろう。母親はエクセルなんかの使い方を習って、事務仕事ができるようになりたいらしい。というのも、家にいて家事ばかりやっていても生き甲斐が感じられないので、また何かしらの仕事に復帰したいということを望んでいるようである。そこまで行くかどうか、どうだろうなとこちらは疑わしいようだったが、何もやらないよりは何であれやるほうが良いだろう、加えてそれが楽しく思えれば生き甲斐などと抽象的なことを考えなくとも万々歳だろうと余計なことは言わず、食器を洗った。さらに米を研いでくれと言うので、残ったものをおにぎりにし、釜を洗って新しく四合半を用意した。それで室に下りて、八時半である。作ったおにぎりを食いながらエンターテインメント系の動画を眺めはじめ、声を出さずにくすくす笑っているうちに一時間が経って、九時半になった。窓を閉ざして歌を歌ってから入浴に行ったが、浴室が暑すぎてやはり浸かる気にならない。窓をひらいて浴槽の外で湯を浴び、髪を洗ってたわしで身体を擦った。冷水も一度浴びて上がり、室に帰ると瞑想をした。翌日に書き物をする時のために、この日の記憶をたどって、あらかじめ脳内に書きつけておく必要があったのだ。それで回想していくのだが、自分の生活を思い返しながら、一応小説を書きたいということでフリーターの身分を許されているはずなのに、こうして見ると一向に小説作品など書きそうにないようだなと思った。本当に作品を作りたいのだったらさっさと書きはじめるか、少なくともどんどん小説を読むべきであるはずなのに、新聞を写すのに時間を取られたり、なぜか禅宗についての本など読んだりしている。しかしそれも、自分の興味関心に従った結果のことではある。時折り思うのだが、自分は小説を書きたい書きたいと口では言っておきながら、本当は書く気などそれほどなく、ただ日々の生活を綴れればそれで満足なのではないかと、そういう思いがこの時も生じた。ただ一方で、自分がこの世で最も尊敬し、共感――という言葉で表すことができるのならば――の情を覚えるのが、過去の偉大な作家たち、素晴らしい小説作品を作った人間たちであることもまた、間違いはない。回想を終えると、二三分が経って、一〇時三八分になっていた。ベッドに就いたままこの日の新聞を少々読み、それからGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいた。復習を一〇ページしたあとに、前線をほんの少しだけ進めておき、鈴木大拙『禅堂生活』の読書に移った。寝転んで頭を枕に乗せて読んでいると、まだ零時であるにもかかわらず時折り瞼が閉じる。起きあがってベッドの縁に腰掛けたり、便所に行ったりしてやりすごしながら書見を続け、零時半を回るとコンピューターに向かい合って、ポルノを視聴した。射精して下半身を宥めておいてからまた読書に戻り、しかしそのうちに眠ってしまったらしい。覚めると三時だったか、それとも四時だったかのどちらかで、尿意が満ちていたが身体が重く、便所に立つのも億劫で、アイマスクを取って明かりを消し、正式な眠りに向かった。