まだ部屋の空気が薄青い頃に一度覚めたのは、耳もとを蚊が飛び回る音のせいだったらしい。五時の近い頃だった。アイマスクを付けたまま、例の不快な音が耳に近づいてくるたびに手を振って仕留めようとしてみるのだが、一向にいなくならない。そのうちに痺れを切らして起きあがり、一旦便所に立った。まだ一時間か二時間かそのくらいしか眠っていないわりには、はっきりとした頭と身体である。戻って明かりを灯したのだが、蚊の姿は見えない。また消灯して夜明けの空気のなかでじっと佇み、近づいてくるのを待ったが、窓外で早くも騒いでいる蟬の音のなかに耳鳴りが混ざって、蟬の声と同じ波を描いてうねりはじめ、それが蚊の飛行音とほとんど同じ音程で、まさか自分は耳鳴りを聞いていただけで蚊などいなかったのではなかろうなと一瞬疑われた。そして横になってみても聞こえるのはその耳鳴りだけで、蚊は知らないうちに仕留めていたのかどこかに行ってしまったのか、寄ってこないようなので、じきに寝付いた。次に覚めたのはおそらく九時頃、母親が部屋にやってきて、自転車のタイヤを交換してきたと報告した。低い声で答えて、随分仕事が早いなと感心してまた眠り、暑気に苛まれながらも一〇時半まで床に貼り付いた。ようやく起きると部屋を抜けて洗面所に行き、顔を洗ってから戻って瞑想である。一〇時三八分から四九分まで枕の上にじっと座ってから、ものを食べるために上階に行った。朝食とも昼食ともつかない時間の食事には、母親が朝に食べたのだろう、炒めた肉が少々残っており、そのほかは前日の残り物、ジャガイモの炒め物やインゲンの和え物である。肉をおかずに米を食っていると、母親は高次機能障害の人々のサポートをしに、そのうち出かけると言った。食後に少々新聞をめくってから、食器を片付けて室に帰ると、一一時半頃ではなかったか。正午あたりから二時までのあいだ、ベッドに寝転がって鈴木大拙『禅堂生活』を読み続け、読了した。前日よりは風が内に入ってきて、汗でべたついて空気の流れに敏感になった肌を、いくらか涼しくさせる時間もあったようである。とはいえ暑気は泥のように粘って室内に固まっている。腹にものを入れるために部屋を出て、階を上がった。まず風呂を洗っておいてから、食事を作るのが面倒なので、戸棚からカップラーメンを取りだし、扇風機の風を受けながら啜った。スープも飲んでしまってから新聞をめくって少々休み、容器を片付けると、今度はアイロン掛けをすることにした。やはり扇風機を固定して肌に風を当てさせながら、シャツやエプロンの皺に器具を押し当て、処理が終わると下階に帰った。インターネットを回りながら、出かけようかどうしようかという迷いがあった。『失われた時を求めて』の二巻を借りたかったのだ。しかし図書館に行ったとして、夏休みだからおそらく座席は空いていないだろう。仮に空いていたとしても、あまり出先で書き物をする気にならず、当然ハンバーガーショップに行く気持ちも湧かない。出かけたい欲求があるようながらも、まずもってこの暑さのなか、道を歩くのが億劫だという感じもあって、それならば自宅で書き物をして幾分涼しくなってから出かけるのが最善だろうと結論付けたがしかし、熱気が凝って停滞甚だしい自室では水分とともに気力を奪われる。ひとまず隣室に避難してギターをちょっといじってから、コンピューターを持って居間に上がってテーブルに就いた。ここだって暑いには暑いが、扇風機があるだけでよほど楽なものだ。それなら自室にも扇風機を入れれば良さそうなものだが、この夏自室で冷房を一度も使わずにここまで来ると、冷房なしで最後まで乗り切ってみようかという妙な意地のようなものも湧く。もう一つには、単純に自室が狭くて、扇風機を置いても通行を妨げないような空間的余裕があまりないのだ。ともかく三時半から書き物を始め、水を飲みながら暑気をやり過ごし、五時過ぎに前日の記事は仕上げた。そのままこの日の分にも入っていると、五時二五分に母親が帰ってきた。それを機に取りやめ、図書館に行くことにして、コンピューターを自室に返し、制汗剤ペーパーで肌を拭って、服を纏った。今から行くとせいぜい一時間か一時間半くらいしか閉館までないが、書き物を足す気になったらやろうと、リュックサックにはコンピューターを入れた。薬を一粒飲んで、ガムを二粒いっぺんに口に放って、もぐもぐやりながら上に行き、ポケットティッシュを持って出発した。道を歩いて行って坂に入ると、もう六時前だというのに頭上から降る蝉時雨が厚く、錫杖を一斉に振り鳴らしているように葉の間に広がっていて、さすがに八月ということらしい。抜けて街道まで行くと、視界の先に見える丘の濃緑色が、夕べの空気の薄明るさを纏って和らいでいる。振り向くと、前方のそれからずっと繋がっている丘の稜線の際に、食卓布のように雲が敷かれて、その向こうに光があるらしく白く明るんでいた。夕刻だから涼しかろうと思いきや空気には粘りが残っていて、首すじが濡れ襟足が湿る。裏に入らず街道沿いを歩いていき、角の新聞屋の前まで来ると横断歩道に警察官が立っているのは、花火大会の日だからだと思われる。新聞屋の建物の横を過ぎると視界の端に白く膨らむものが見えて、向くとサルスベリの木が、ここのところ裏通りのほうから遠目に望んだ時には白に薄い濁りが混じってもう色も褪せてきたかと見えたのに、近くで見ると盛りの厚さで、枝先にまさしく石鹸の泡のように丸く花を溜めている。それを見ながら信号が変わるのを待って、横断歩道を渡って進んだ。浴衣姿の男女連れがちらほらと見られる。また短い渡りで止まって、左の道の先を見やると、踏切を越えていく人々が多いのは、小学校の校庭に集まるか、花火大会の直接の会場である丘陵公園のほうに向かっているのだろう。さらに進むと地元の居酒屋の戸口で、茶髪の女性が二人座って気だるげにビールを呼び売りしている。そこを過ぎてからふと振り向くと、彼方の山際に卵のような陽が濃いオレンジ色を凝縮させながら沈んで、山影は青く氷のようだった。駅前に入るともう結構人がいて、通りの脇にパイプ椅子が置かれたりしている。ロータリーには車道に人が立ち入らないようにと黄色いテープが張られ、警察官が立ち、コンビニや弁当屋の前を人が詰まりながらゆっくりと動いている。それを目にすると途端に、居心地の悪さ、薄い不安のようなものが腹に湧いた。人に囲まれながら駅舎のほうに近づいていくのだが、道が埋まって進みがのろい。浴衣姿の若い、高校生くらいの男女なり、唇をどぎつい赤に染めた褐色の肌の女性なりがいる。目の前の子連れの母親も、露出した肩口の薄茶色い肌の上に汗の玉をいくつも溜めていた。臨時の切符売り場が駅舎の外に設けられているのだが、こちらは素通りして、改札を抜けてホームに上がった。ホームからの花火見物は危険なのでご遠慮ください、というような看板が電柱に付されている。電車を待ちながら振り向くと、夕方の淡い空気のなかに、小学校の校庭の端、フェンス際に並んで座っている人々が見える。敷地に沿った坂を上った先には線路の上を渡る小さな端が見えるが、そこをぞろぞろと人が通って絶え間ないのは、やはり丘陵公園に上がっていく者たちなのだ。前は線路の向こうが駐車場で、その先は何ということのない侘びしいような裏通りだが、道の脇に何人も座りこんでいるあいだをそぞろ歩きめいて緩やかに、しかし間断なく頭が流れていく光景は珍しい。寂れたような居酒屋がこの日この時とばかりに声を上げて売りこんでいた。電車が来るとやはり浴衣を着た若い女性たちが降りてくる。乗るとこちらは席に就いて目を閉じ、しばらく待って図書館の駅で降りた。高架歩廊に出て西を見やると、薔薇色とも茜色ともつかぬ果ての空気のなかに、雲は青煙となって差しこまれている。図書館に入って、CD棚を見たが特段の関心物はなく、上がって新着図書を見ても久しぶりに訪れたというのにほとんど目新しいものはない、ただティモシー・スナイダー『ブラックアース』というホロコースト論の本があって、これはGuardian誌に寄稿していた人だなと思いだされた。それからレヴィ=ストロースの著作に寄り道したあと、プルーストを借りに海外文学の棚に行ってみるのだが、薄々そんな気がしていたように、見当たらない。フランス文学の本たちをちょっと見てから棚のあいだを抜けて検索機を使ったのだが、先ほどの場所にあると示されて、しかし戻って眺めてみてもやはりあるのは角田光代と芳川泰久が一巻にまとめた要約版のみである。職員に訊くのも面倒くさい、それに分館のほうにあるのはわかっているので後日そちらで借りれば良いが、ここまでわざわざ来て何も借りないのも無駄足を踏んだようなので、書架を眺めた。俳句を借りようかと文庫の句集を見たり、今泉なんとかいう訳者の講談社学術文庫から出ている『源氏物語』を見たりしたのち、一冊は『サミュエル・ベケット短編小説集』を借りるかと決めた。それからもう一冊を求めて、日本古典文学のほうに移って見分した。『源氏物語』は先のもののほかに、瀬戸内寂聴訳と林望訳のものをひらいてみたが、字面をちょっと眺めただけの直感としてはどれもあまりぴんとこない。強いて選べば学術文庫のものが良さそうな気はしたが、全七巻のところを書架には三巻までしか出ておらず、そうするとまたリクエストするのが面倒でもある。『太平記』や『源平盛衰記』は字面だけ見ても、何となく良さそうな感じがする。それから階段近くのほうに戻って政治学の棚を見たのち、哲学のほうに向かいながら、やはりもう一冊借りるとしたら哲学だろうか、それも古代ギリシアのものかという気がした。アルフォンソ・リンギス『信頼』なども以前から借りたいとは思っているのだが、二冊以上借りたところでどうせまた読めないままに返却することになるに違いない。仏教関連の著作もちょっと見てから哲学に戻って、ジュリア・アナス『古代哲学』を借りることにした。貸出機で手続きをすると窓際に抜けて、端の席に就いた。既に七時過ぎだった。コンピューターを起動させて書き物の続きを拵えているうち、七時半になると、太鼓のような音が厚い窓の向こうでくぐもって聞こえる。花火が始まったらしい。七時四五分になって閉館一五分前のアナウンスが入ったところで帰ることにして、階段を下ると、踊り場の窓の向こうで空が黄色く泡立つようになっているのが見えた。歩廊に出ると彼方から花火を打ちあげる音が届いてきて、駅舎のすぐ傍には、そこがマンションなどに遮られずに空の向こうがよく見えるところなので、人々が集って柵に寄り、同じ方向を向いて携帯電話を構えたりしている。その一団のなかにこちらも混ざって、夜空の一角で小さいながらも次々と色付きの火花の饗宴が演じられるのを見た。ヒマワリを模したような、一つの内にもう一つの円が膨らむ形の大きなものがひらかれた時には、群衆からどよめきが上がった。しばらく眺めてから電車の時間が気になって、一旦離れて駅舎に入り、数分の猶予がまだあることを確認してから戻ると、すれ違いざまに子を連れた若い男が、お前、花火でお腹はいっぱいにならねえだろ、とか息子に向かって言って、急いで去っていった。元の場所に戻ると花火は一時収まっていて、浴衣を纏った子どもから花火は花火は、と急かす声が上がる。ちょっとしてから再開されたのを、時計を見ながらまた眺めて、残り一分になったところで駅に入った。電車内にいるあいだも時折り、破裂音が響いてくる。降りるとすぐ頭上から、先ほどとは比較にならない衝撃で音が降ってきて、近くの男性が上から押されたように首を前に曲げて身をすくませていた。小学校のほうの空を見れば、太い響きとともに視界いっぱいに次々と宝石が散りばめられて、これはすごいなと思われた、今までそんなに間近で花火を見たことがなかったのだ。ホームを進んでいくと職員がかしましく、ホームでの花火見物はご遠慮下さいと繰り返して群衆を階段へと進ませているのだが、こちらは乗り換えを待つ身で、階段口の縁に背を寄せてしばらく眺めることができた。夜空を広大なキャンバスとして目一杯使って、光の絵図が塗り組み立てられては一瞬で夜に拭い取られて、また次の形が展開されていく。会場である丘陵公園は指定席が設けられていて有料なのだが、そのすぐ下に当たる小学校グラウンドはおそらく無料で入れるはず、あそこでも全然楽しめるなと思った。前年の立川の花火大会でも同じものを見たが、大輪の花がひらいたあとにその外周を構成する一つ一つの光が数瞬残り、暗闇を丸く囲みながら空にゆっくりと垂れ流れてから消えるものがあって、二次元平面の提示から即座に三次元へと移行してみせる巨大なそれが打ちあげられると、校庭のほうから喜びのざわめきが上がっていたようである。少し横にいる中年男女の女性のほうも、酒でも飲んでいたのかしきりにはしゃいでいた。ほかに自分の気に入ったのは、花ひらいたあとにエメラルド色の魂めいた塊がいくつか残って、それがまるで素早い蛍のように滑って曲線の軌跡を宙に描いてから、停まってふっと力尽きるものである。電車がやってくると乗りこんだが、奥のほうの席に就いて、窓からまた眺めた。さすがに窓に枠を画されて、またそこには車内の様子、吊り革だとか壁の上部の広告だとかの夾雑物も映りこんでいるために、直接目にする時の巨大さと立体感が失われてしまうのだが、それでも息つく間も許さずに連続して打ちあげられた時などは、重なりあう一つ一つの花が大きく拡散するたびに、圧迫感を持って視覚に迫り来るような感じがした。相変わらず職員はアナウンスを繰り返しているのだが、実際のところホームには電車に乗らず数人集まって空を見上げている人々がおり、近くの警備員もそれを黙って見ている。こちらは身体を左にひねって窓に釘付けになり、発車するまでずっと眺めていた。電車が発ってからも窓の隅の光を追っていたが、じきに見えなくなったので前を向き、しばらく待ってから降りた。最寄り駅でもホームを歩いていると、夜の静けさのなかに轟音が伝わってきて、驚かされる。後ろを向くと、マンションが邪魔になって端しか見えない。駅舎を抜けて彩りの方角へ道を進むと、マンション前の植えこみの脇でちょうど、家々のあいだに花火を望める位置を発見したので、そこに立ち止まってまたしばらく眺めた。遠く離れた位置からだと勿論輪は小さく、丘の際の空に盛りあがるのみで、低いものなどは見えないこともある。近くで見ると結構な勢いだったが、いまここでは花のひらく動きも鷹揚で、スローモーションを見ているようであり、距離のために動きが空に現れるその瞬間には音が聞こえないのが、その緩慢さに拍車をかけていた。花火がもう消えようという時になって、低い打音が空間を貫き渡ってきて、こちらの聴覚を一瞬で過ぎ去り、後ろに走っていく。時刻は八時二〇分過ぎだった。おそらく八時半までだろうと見当を付けて眺めていたところが、そこを過ぎてもまだやまない。見ているうちに、家に続く下り坂の入り口、市街を見渡せるところがあって、あそこから見るとよく見えるのではないかと思われて、移動を始めた。自治会館前ではテーブルが出されて皆見物に興じており、その横では通りの脇に簡易的な椅子も並べられて座っている。裏通りに曲がって一つ目の坂を下っていくと、ちょうど真正面、木々の上に花火が突きだして広がり、ここがむしろベストポジションではないかと思ったが、進んでいった。思い描いた場所にいざ行ってみると、意外と近くの木々が邪魔になって定かには見えない。もう十分楽しんだからと自宅のほうに下りながら、坂の途中でまた轟音が背後から身を貫いて、振り向くと木枝のあいだに覗く空が真っ赤で、火事のようになっていた。あたりからは子どもたちの歓声、たーまやー、と叫ぶ声が聞こえる。自宅に帰って、母親に、上の道からわりと見えると報告し、服を脱いで自室に帰った。下着一枚になって瞑想を始めたのが八時四五分、もはや楽しめるのは音のみで、眼裏に先ほど見た花火の記憶を再生するしかないのだが、もう終宴で大玉を打ちあげているのだろう、轟き伝わってくる音の勢いが甚だしく、中核が過ぎても川のあたりに反響が溜まるのだろうか、巨大な鳥が翼をばさばさ打っているような余韻の響きがしばらく残っているのだった。やがて音も消えた。九時二分まで瞑想をしてから食事に上がり、餃子をおかずにして米を食った。自室に帰ると、覚えていないがプレイヤーの履歴を見る限り歌を歌ったらしい。それから新聞の写し、John Coltrane『Coltrane Jazz』を聞きつつ八月四日の分から打鍵していると、母親がもう父親が帰ってくるから風呂に入れと呼びに来たので、上に行った。一〇時四五分頃だった。この日はかろうじて湯に浸かり、さっさと出て戻ると一一時一〇分、暑いのでカーテンをひらいていた窓の網戸の向こうに、白いヤモリが掴まっていた。とんとんやって逃がしてやってから、ふたたび新聞記事を写し、八月五日の分まで終えるとインターネットを回って、零時を過ぎた。歯磨きをしながらこの日の新聞を読み、続けてGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらき、少々英文に触れると一時前、『サミュエル・ベケット短編小説集』を読みはじめたが、眠気が湧いてどうにも進まない。二時が近くなったのを見て諦め、眠ることにして、便所に行ってきてから瞑想をした。一時五〇分から二時までぴったり一〇分間座ったあと、消灯した。