2016/8/9, Tue.

 覚めたのは例によって、五時半の目覚ましの叫びが耳にねじこまれたためである。時計を黙らせて床に戻ると、瞼のひらきが悪い。隙あらば閉じようとする目を宥めて窓を向くと、外は白く、ここ数日の明瞭な陽射しはなかった。そのまましばらく起きあがる気にならず寝床に留まり、六時を過ぎるとようやく床を離れて、用を足しに行った。戻ってくると瞑想である。窓外から、鶯の鳴き声を聞いたような気がした。まだ鳴いているのだろうかと耳を向けてみると、確かに似た声があるのだが、距離が遠いこともあって判然としない。鶯のものにしては跳ねる前の長音が聞こえず、音が短く途切れているような気もした。六時一六分から二三分まで短めに瞑想を済ませて上へ、母親は既に起きていた。台所に入ると卵とハムを焼き、丼の米に乗せて、ほかのメニューは前日の豚汁とサラダの残りである。それらを並べて卓に就き、食べはじめると、ソファに来た母親がテレビを付けて、オリンピックばかりでつまらない、と言う。あんまり興味ないよと言って、お前興味ある、とこちらに訊いてきたが、あるともないとも言えないので黙っていた。テレビのニュースは体操団体で日本が金メダルを取ったと報じて、ハイライトを流している。床の上を駆けながら鋭く回転跳躍する選手たちの姿を、まるで人間離れした、物体のような動きをしているなと見た。ゆったりと椅子の上に留まってしまい、食器を片付けて部屋に戻った頃には、既に七時を越えていたと思う。さっさと書き物に掛かれば良いものを、ここでもやはりだらだらと、取り組む気持ちが湧かず、じきに隣室にギターをいじりに行った。半を過ぎて戻ってくると、音楽を聞こうとイヤフォンを付け、John Coltrane『Live at Birdland』から "I Want To Talk About You" を聞き、続いて "Afro Blue" も流すと、そろそろ準備をしなければならない時間である。風呂を洗いに行ってから、制汗剤ペーパーで身体を拭き、下階に戻って仕事着に着替えた。薬を一粒体内に投入し、風呂を洗ってから出発、空は白みがかって、陽射しの強さはそこまでではなかったが、自転車のサドルはひどく熱を持っている。跨って走りだし、坂を上っていくと犬の散歩をしている見知らぬ婦人がいて、どうもこちらを見ていると思うと向こうから挨拶してきたので、こんにちはと返した。街道へ出て道を下って行っても、光線より風圧のほうが勝って涼しめな日である。裏通りを急がず気楽に行くと、途中、草の生えた敷地の縁で、缶か何か地面に転がっているごみを拾っている男性がいる。ワイシャツにスラックスで、リュックサックか何か忘れたが、背負うものがあった。市役所職員か何かだろうかと根拠なしに思ったのだが、過ぎざまにあちらからおはようございますと挨拶してきたので、こんにちはと返し、サルスベリのそこここに見える道を行って、職場に到着すると労働を始めた。退勤は一二時半頃だった。外に出ると、空の純度はそれほど変わっていないようでありながら、朝とは比にならない熱線の勢いが身を包む。熱中症にならないうちにさっさと帰ろうと自転車を駆りだした。頭痛のしてきそうな暑さだと思いながら裏通りを行くと、人の通行がなく、静まって動きのないいかにも昼下がりといった風情で、林のほうから渡ってくる蟬の音も、アブラゼミがちょっとしゅわしゅわしているのみで、鳴き盛りの炎天の時刻にしては不思議なほど抑えられていた。そのなかを、袖を捲りあげ、どこまでも伸びる熱波の膜に突っこむようにして進んでいく。天から来る直射と道路の跳ね返しとが合わさって、身が上下から熱気に包まれ、身体のところどころにぽつぽつと汗の感触が生じる。街道から家に続く裏道に入って坂を下っていても、風が身から熱を剝がすことができず、涼しさに触れるのは汗が溜まったシャツの内側のみで、ほかの箇所には暑気が頑固に居座っていた。帰り着いて居間に入ると、頭にタオルを巻いた父親が仏間のほうにいて、ベランダから取りこんだらしい洗濯物を鴨居に掛けていた。この日から夏休みなのだ。母親はボランティアめいた仕事に出かけている。ただいまと挨拶して服を脱ぎ、洗面所の籠に収めて手を洗ってから、自室に帰った。下着一枚になると瞑想、一二時五〇分からである。この日のことを回想し、一時五分に目を開けると、ごろりと横になって少し休んだ。一時半前になって階を上がると、父親は仏間で大の字になって休んでいた。キュウリに味噌を付けてしゃりしゃり食いながら、母親が作り置いてくれたカレー風味のチャーハンがレンジで温まるのを待ち、味噌汁とともに食した。気温計はほとんど三八度に達しかけている。とはいえそれにしては空気に熱もそれほど籠っていないようで、肌を晒して扇風機をつけていれば、さして酷熱の感はなかった。皿を片付けて室に戻ると、ベッドに乗って携帯電話でウェブを回り、適当なところで切りあげてさっさと書き物をしなくてはと思っていたはずが、怠惰が極まって四時半である。それでようやくコンピューターの前に移って打鍵を始めようとしたところが、母親が戸口にやってきて、ゴーヤを炒める、と訊く。面倒くさいと思ったが、しかしすべてはこうなることをわかっていて怠けた自分のせいである。一時世界の味方をしようというわけで、台所に行き、長いゴーヤを手に取った。半分に切ったものを方向を変えてさらに分割すると、白い身のなかに種が埋まって目のように、あるいは傷口のようになっているのが、非常にグロテスクである。それらを指で刳り抜くと、輪切りにして、塩で揉んだあとに湯に入れた。湯がいているあいだに玉ねぎやらハムやらを切り、上げたゴーヤと一緒にフライパンで炒めはじめた。適当に火を通してから塩胡椒を振り、最後に溶き卵を混ぜて完成、手早く仕事を終えて、室に戻った。五時である。John Coltrane『Live at the Village Vanguard Again!』を流して、ようやく書き物に取り掛かった。前日のことを思いだすために目を閉じると、額に引っ掛かる眠気を感じる。それを宥めつつ進めて、およそ一時間後に前日の記事は仕上がった。それからこの日のもの、BGMはJohn Coltrane『My Favorite Things』に、続けて『Ole』である。こちらもやはり一時間ほどが掛かって、七時ぴったりに記述が現在時に追いついた。眠気と疲労を感じていたので、それからベッドに移り、死体のように身体をだらりと横たえた。自律訓練法の要領で力を抜いた両腕に意識を集めていると、身体が何かの膜に包まれているような感覚になってくる。眠ってしまうかと思ったが、意識が沈んでいかず、うまい具合に一〇分ほどで起きることができた。僅かな時間の休息だったが、それでも結構楽になって、コンピューターの前に戻ると紙の新聞から記事を写しはじめた。八月七日のものである。七時を過ぎたというのに暑気は衰えず、後ろから誰かに抱きつかれているかのような、背中や肩口の肌の熱さである。打鍵をしていると目の奥がややひりつき、意識が乱されるようで、突然意識が閉じたりしないかとほんの少し不安になってくる。気分の悪さや吐き気もないし、大丈夫だろうと理性的に確信してはいながらも、纏わりつく熱気のなかで、確か前日の朝のニュースで見たのだったが、三七歳のまだ若い男性が熱中症によって室内で死んだという件のことを思いだした。まだ体調の回復が万全でなかった数年前にも、二五歳くらいだったと思うが、自分と同じ年頃の年若い男性が夜中に熱中症で死んだというニュースを見て、自分もそうなりはしないかと不安を催し、エアコンを使わなくては眠れない時期があったものだ。自分も本当に気を付けなくてはと思ってペットボトルの水をたびたび飲みながら、打鍵を続けた。七時四〇分あたりで切りあげ、飯に行こうと思ったところがその前にベッドに転がってしまい、そのままそこでだらだらと時間を過ごして、八時半にもなってしまった。それから上に行き、台所に入ると、先ほど作ったゴーヤ炒めに加えてピーマンの肉詰めが二つ、フライパンに残っている。それらを温め、おかずにして米を食った。母親は向かいで、結婚式でもらったギフトカタログをめくっている。お前のベルトとかバッグとかいいの、と言うのでカタログをもらって見てみたが、大して興味を惹かれるものもない。二次会の景品で当たった松阪牛と合わせて肉を頼み、すき焼きですれば良かろうと提案して返した。食器を洗って室に帰ったのが九時過ぎ、ふたたび新聞を写すべく打鍵をしたのだが、八月八日の分を写し終えるのにいつまで掛かったのか定かでない。その後風呂に行ったはずで、出てきて一〇時四〇分頃からGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraを読みはじめたのは覚えている。一一時一五分頃まで辞書を繰りながらちまちまと読み進め、歯ブラシをくわえてくるとインターネットを回った。それで零時前、『サミュエル・ベケット短編小説集』を持って寝床に転がったのだが、零時半を越えたあたりから瞼が落ちはじめて先に進めない。これは駄目だなと一時になる前には諦めて、瞑想も怠けて布団に入った。