2016/8/12, Fri.

 七時に掛けた目覚ましが鳴りだす前に自ずと覚醒した。時計の叫喚を未然に防いでおいて上へ、瞑想はしなかったらしい。母親が既に起きていた。顔を洗い、マフィンを焼き、焼いたサバも合わせて食ったのだが、このあたりの細かいことは覚えていない。そのうちに確か父親も起きてきて、義姉より先に兄も起きてきた。風呂を洗ってから室に帰ると、歯を磨き、ジュリア・アナス/瀬口昌久訳『古代哲学』を読んだ。口をゆすぎに行った時か何かの戻りがてらに、部屋から出てきた義姉と廊下で遭遇して、おはようございますと挨拶した。揃って山梨の父親の実家に訪れる日である。九時頃出るという話だったので、八時半過ぎくらいまで読書をしたと思う。それから着替えるのとどちらが先だったか知らないが、Bill Evans Trio "All of You (take 1)" をヘッドフォンで聞いた。そうして本と車中でのBGM――Donny Hathaway『These Songs For You, Live!』(前夜に探しだしておいた)と、『Thelonious Alone In San Francisco』――のCDをリュックサックに入れて、上に行った。テレビは卓球の水谷隼が三位決定戦を戦うところを映していた。ソファに就いてそれをしばらく眺めてから、そろそろ出発という頃合いになって外に出て、車の助手席に入った。ところが後から来た三人が、兄の身体が大きくて後部座席には三人入れないと言っていて、それでこちらが後ろに行くことになった。母親と義姉に挟まれて真ん中に座り出発、Donny Hathawayの音楽を掛けてくれるように前に渡した。高速道路は非常に混んでいるとかで、乗らずに峠道を越えていくという話である。JR支線の最終駅付近に至ると、駅前の街道沿いにサルスベリが長く続き、花を付けていた。サルスベリが咲いているなと隣の母親に言うと、赤いものがあると言う。濃い紅色のもののことかと思いながら、道の両側にずっと続いていくのを見ていると確かに、ピンクの色合いを越えて派手な口紅のように赤い花があって、その色のサルスベリは初めて目にするものだった。それで森のなかをうねうねと走る道を通っていくのだが、長いあいだ狭い座席に押しこまれていると身体が固まって気だるくなり、左右に揺れる道に多少酔いもしてくる。姿勢を平らに近づけてぐったりと休みながら到着を待った。父親の実家は低地の駅から山の方へと上った先にある。駅前の坂に差しかかったあたりだったかと思うが、音楽が終わったので『Thelonious Alone In San Francisco』に変えてもらった。それで道を上がっていくのだが、記憶よりも早く、一五分か二〇分ほどであっけないように到着して、駅からこんなに近かったかと思われた。数年前に雪で半壊して以降、新築された車庫に入って、降りると家の方に行った。祖母のほかに、父方の伯母二人が既に着いている。元保育士の伯母のほうには、知的障害を持った息子がいて、彼はこちらの一つ上である。施設に通ってシイタケなんかを作る手伝いをしているらしいのだが、先頃起こった障害者殺害事件で襲撃された施設とも繋がりがある場所だと、道中の車内では聞いた。玄関に入るとその息子がいて、久しぶりに顔を合わせたのだが、相手がこちらのことを定かに認識しているのかは不明である。何しろ、うろつきながら断片的な声を発するばかりで、喋れない。子どもの頃には結構じゃれあったりもしたような記憶がある気がするが、名を呼んで声を掛けても、確かな反応がなく、こいつ俺のことを覚えているのだろうかと苦笑いのようになった。それでも伯母に向けてギターを搔き鳴らすような素振りをしてみせるので、何となく認識しているような感じもないでもない。中学生の時だか高校生の時だったか、この息子がギターをいじるのが好きだと言うので、伯母宅に邪魔してちょっと披露したことがあったのだ――確かそのギターは息子が滅茶苦茶に弄り回すために弦がいくつか切れていて、披露も何もなかったのだが。宅配員をしているもう一人の伯母の方の息子(車などの部品を作る工場で夜勤をしている)も来ていた。こちらのほうは、正確にいつだったか覚えていないが、確か昨年中に祖母の長寿の祝いがあった際、その席で顔を合わせており、そこで小説を書きたいということもちょっと話した。それで居間に入ると、烏龍茶やら緑茶やらがコップに用意されて、各々に振舞われた。仏壇に線香を上げてから、緑茶を舐めながら祖母とちょっと話したりするのだが、そのあいだも先の従兄がうろうろとして、気分が高まっているようでどすどすと床を踏み鳴らす。我々は昔から慣れているので時折りたしなめつつ見ているのだが、義姉には祖母が驚いたでしょう、と声を掛けていた。当然ながら伯母には懐いていて、たびたび寄っては顔を引き寄せて何か伝えようとしているし、祖母に対しても時折り同様の振舞いをしている。義姉に対しては、知らない人間が一座に加わっていて、おそらく多少困惑していたのではないか。腕の諸所に怪我をしていて、瘡蓋になって血もちょっと滲んでいるのを指摘すると、自分で搔きむしってしまうのだと言う。その傷の上だけやたらに毛が生えているのは、薬の副作用だとか何とか言っていた。伯母が隣の台所に立って離れている時間もあるので、こちらはお茶が欲しいようなのに注いでやったり、白い鼻水が出てくるのにティッシュを取って当ててやったりした。それから外に出て庭をうろついていると、先端が細くすぼまった赤紫色の花が燃え立っている。近くにいた伯母に、これは鶏頭ではないかと問うとそうだと言うので、初めて見たと返した。それから敷地の端まで行って、眼下の緑の地帯が広がり、遠くには山々が青い紙となって織り重なっているのを眺めたり、風を浴びたりしてから室内に戻った。居間から廊下を挟んだ向かいの居室に移って、座布団を枕にして畳の上にごろりとなっていると、従兄が窓際の廊下をどたばたと走って一つ先の居室に行く。なぜか扇風機が好きらしく、いくつかあるのをそこに集めて遊んでいるらしい。目を閉じて少々休んでから、居間に戻っていると、正午に至って寿司が届いた。それでサラダや天ぷらなどの揚げ物やチキンロールなど、だいぶ豪勢な料理が二つの卓の上に並べられ、一同座って父親が乾杯の音頭を取り、食べはじめた。テレビでは高校野球全国大会の様子が放映されている。飯を食っているあいだのことは大して覚えていない。食事中だったかその前の茶の時間だったか、窓外でクマゼミが鳴きはじめて、クマゼミだと言うと兄も何だか耳慣れない蟬がいるなと乗ったので、あれはクマゼミだ、うちのほうにはいないのだと返した。このあたりには分布しているのかと思ったが、しかし結局聞かれたのはこの一度だけである。食事はこの時とばかりに食いまくり、母親や祖母が寿司を回してくるのも貰って、大層満腹になった。空いた食器をまとめて台所に運んだあと、居間に残って甲子園の様子を眺めたりした。従兄が野球を見ながら伯母に寄って、手を目のところに持って行って擦るような仕草をしたり、テーブルの上を指先で搔くような動作をしたりするのに、伯母が即座に、泣いちゃうね、とか、そうそう、砂掘るよ、とか答えている。つまり、負けた側の悔し涙の様子とか、甲子園の風物詩とも言える例の、選手たちがグラウンドの砂を掘って袋に集める姿などが、過去見た時に印象深かったのだろう、真似しているらしいのだが、これに限らず、息子が何らかの振舞いを示した時に伯母が間髪入れずそれを言語にして応答してみせるさま、その素早さはさすがだなと思われた。そのうちこちらはまた居室で休みつつ、持ってきた『古代哲学』を読み、じきに墓参りに行くぞとなった。一同外に出て車庫に行くと、祖母が、自分の背骨を示して随分曲がっているでしょう、とか言う。確かにひどく湾曲して大きく出っ張り、服を盛りあげている。車の用意を待つあいだそれをさすってやってから、それぞれ分乗してすぐ近くの寺まで行った。こちらは杖を突いている祖母の片手を取ってやり、繋いだまま墓までゆっくり一緒に歩いた。米を撒いてと渡されたので、墓石に盛ったり、適当に撒いたりして、それから線香を貰って、三つある受け台に分けて供えた。金と健康と時間と能力をくれと祈っておき、帰りはまた祖母の手を握って、車まで送り届けた。母親が歩いて帰ろうかと言ったのに真っ先に乗って、自分は歩いて帰ると率先して歩きだすと、車を運転しなくてはならない父親を除いたこちらの一家三人も付いてきた。それでぶらぶら坂を下りながら帰ると、多分三時かそこらだったのだろうか。黄桃と葡萄が用意されたので、一同卓を囲んで食べた。そのうちにそろそろお暇しようという雰囲気になり、義姉が携帯電話で電車を調べると、四時半に東京行があると言う。それで帰ればちょうど良かろうというわけで、またちょっと過ごしてから、四時に至って帰り支度をした。皆揃って家の外に出たが、従兄だけ出てこない。なかをうろうろしているのに、名を呼んで、じゃあなと手を振っておいてから一同車庫のほうに移動した。宅配員の伯母親子に挨拶をしたあと、祖母の前にも行くと、大きいなあ、と見上げてくる。今日は来れて良かったと言って別れを済ませて、車に乗った。それで下界に下って行って駅前で下ろしてもらった、父親は実家に泊まっていくのでここでお別れである。四人で駅に入って、特快の東京行が来たのに乗った。さすがに皆疲れたようでそれぞれうとうとしながら揺られ、立川に就くとこちらと母親は降りて、兄夫婦と別れた。母親は立川をちょっとうろついてから帰ると言うので、こちらは一人乗り換えて、席に就くと『古代哲学』を読みはじめた。しかしそのうちに眠気に抗しきれなくなってきたので本をしまい、頭を垂れて眠り、降りると六時前、丘の稜線にちょうど夕陽が掛かっていて、横に長い切れ目を空に入れていた。最寄りに就くと道を辿って帰宅、服を脱ぐと室に帰って、ベッドに転がった。ちょっと休んでから、伸び広がっている陰毛が煩わしかったので短く切り揃えた。ついでに精巣を軽くしておいて、また寝そべって本を読んでいるうちに眠った。起きたのは八時半頃で、その時にはもう母親も帰宅していた。上階に行き、ハンバーグやら何やらを温めて食ったのち、入浴である。その後室に戻って、メモによると一〇時四〇分から書き物を始めたらしい。音楽はMose Allison『I Don't Worry About A Thing / Mose Alive』を流した。途中、コーラを注いだと母親が呼びに来たので、居間に上がって飲み、戻るとふたたび書き物を続けた。Mongo Santamaria『Mongo at Montreux』を繋げて打鍵し、一時に至ったところで疲れたので中断することにした。それで歯を磨き、また『古代哲学』を読むのだが、例によってそのうちに意識を失い、覚めると時計は二時四五分あたりを指していた覚えがある。意識の重さに負けて、瞑想を怠けて就寝したので、この日は瞑想の時間は皆無となった。