2016/8/14, Sun.

 一〇時まで一度も覚めることなく、夢を見ながら眠った。容易に開かない瞼と格闘しながら床に留まり、一方で夢を反芻して(しかしその内実はほとんどすべて忘れるに到った)、ふたたび寝付きそうになったところが、外から何かの音楽が聞こえた。家の下に出た父親がラジオを流しているらしい。音楽はSMAP "夜空ノムコウ" だった。ボーカルの声は確かにSMAPのものでありながら、耳慣れないアレンジのように聞こえたのだが、これは自分がスガシカオのバージョンを聞き慣れていてSMAPのものには親しんでいなかったためかもしれない。その音を耳にして覚め、時計が一〇時二〇分を指しているのを見たところで、意識が定かになった感触があったので、ここを正式な覚醒とすることにした。従って睡眠時間は、二時二〇分からとしてちょうど八時間である。身体の各所に点々と強張りがあった。そのためにすぐに起きあがる気にならず、ごろごろとしながら布団のなかに留まって、一〇時四〇分を過ぎたあたりでやっと抜けだすことができた。洗面所に行ってきてから戻って瞑想である。前日と同じく、遠くのほうで烏が何匹か、しきりに鳴きあっているのが聞こえた。一〇時四九分から一一時ちょうどまで座ってから上階に行くと、父親が蛍光灯を磨いていた。挨拶して風呂を洗い、それからナスの炒め物や、前夜の鶏肉を温め、味噌汁も熱して卓に用意した。新聞を読みながらものを食い、皿を片付けて一一時四〇分頃、室に帰った。インターネットを回ろうと思ったところが、接続が切れており、アクセスを確保しようとしても知ったネットワークが見当たらず、代わりに見慣れないものが出てくる。父親が階段下の部屋にいるのだが、兄が持ってきた別のルーターか何かを試してみているらしかった。それでウェブに繋ぐのは一旦諦め、椅子に座ったまま携帯電話で他人のブログを読んでから、Stephane Furic『The Twitter-Machine』の続きを流して、書き物を始めた。そのうちに父親が室を立つ音が廊下の向こうから聞こえたので、ネットワークを確認してみると普段のものに戻っている。それで接続し、またワルドナーなどについて調べて時間を使ってしまい、前日の記事を仕上げるのは一時半前になった。Marcos Valle『Samba '68』を、これは大層機嫌の良い音楽なので確認するまでもなく手放すつもりはないのだが、スピーカーから流し、この日の記事もさっさと進めて、二時である。途中、SMAP "夜空ノムコウ" の別バージョンがあるのかどうか調べていると、ちょうどこの日にSMAP解散が発表されたと出てきて、それでラジオであの曲が流されていたのかと納得した。安住紳一郎アナウンサーが自身のラジオ番組で "夜空ノムコウ" を流したとあるので、父親が聞いていたのはおそらくこれである。書き物を終えた二時以降しばらくのあいだ、何をしていたのか今となっては覚えていないが、多分、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』を読んでいたのではないか。同時に、出かけようかどうしようかとまた迷ってもいたはずだが、外出して気晴らしをするとなると、結局は何かしら金を使うことになる。既に家計が赤字となっている今月、これ以上負債を増やすのは避けたかった。三時半を回った頃になると、上階にアイロン掛けをしに行ったことは覚えている。それで戻ってくるともう四時だったので、翌日になれば給料が入るのだから今日は自宅に留まろうと決断して、寝床で『失われた時を求めて』二巻を読んだ。途中、水を飲みに廊下に出ると、薄暗い階段下の部屋で、草取りをして疲れた母親が仰向けに寝転がっていた。耳には白いイヤフォンを付けて、音楽を聞いている。今日の夕飯は何にするかと尋ねると、豚汁の醤油味のやつ、と言ったが、自分の認識では豚汁とは味噌味のスープのことであり、醤油で味付けしたものはけんちん汁である。戻ってからまたしばらくものを読み、今度は用を足しにまた洗面所の方へ行くと、背後で母親が、聞いている音楽に合わせて歌を歌いはじめた。便所の扉を閉めても薄く聞こえてきたその声は細く、弱々しいようなもので、明らかに歌を歌い慣れていない人間の声音であり、時折り不安定に撓んでは旋律の道を踏み外して、危なっかしいようないびつさを聞く者にもたらすのだった。それからまた読書を続け、五時半になったところで母親が一声入れて階段を上がって行ったので、部屋を出てそのあとを追った。こちらは豚汁を作る心に固まっていたが、母親はなぜか肉じゃがをも作ろうと言う。そのほかに鮭を焼くという話だったので、米に汁物に魚があって晩餐として何の不足があるのか、なぜわざわざほとんど同じ材料の料理を二品作らなくてはならないのかと思って、肉じゃがはいいだろうとちょっと反対したのだが、母親は聞かずにもうそのつもりだから、こちらの意見を聞き入れさせるのが億劫になって、好きにしてもらおうと思った。それでジャガイモと人参と玉ねぎを切り、母親もまったく同じ野菜たちを切って、あちらのほうが先にフライパンの湯のなかで茹でられはじめた。ひき肉を解凍してフライパンに入れてからこちらも鍋で野菜を炒めはじめ、火が通ると肉のもう半分を投入して、赤みがなくなってから水を注いだ。灰汁が出てくるまで待とうと一旦テーブルに移って新聞を読んでいたのだが、そのあいだに母親が灰汁を処理してしまった。それからは台所に留まり、携帯電話を持ってきて他人のブログを読みながら野菜が柔らかく煮えるのを待った。肉じゃがのほうはだいぶ煮詰まっていたので火を止め、汁には味噌を溶かして味見もせずに完成させると六時台に入っていた。室に戻って、ふたたび『失われた時を求めて』を読むべく本を持って仰向けになると、ページの上端から、黒いヴェールのように影が差し出たので、明かりを点けた。それで読書をしていると、視界の端、少しひらいたカーテンの隙間に突如白いものが現れて、驚きのために心臓がぎゅっと収縮するようになった。ヤモリが網戸を伝って、窓枠の下から上ってきたのだ。ヤモリはつるつるとした、粘土のような白さの腹を晒し、人間と同じく五本の指を持った手を四つ網戸に貼り付けて、しばらくのそのそ動いてからまた見えないところに去っていった。読書を続けたのち、記録によると七時一八分から二九分まで瞑想をしている。それから食事を取りに上階に行き、鮭をおかずに米を咀嚼して、自分で作った豚汁を二杯食べた。おそらくデザートとして葡萄も食ってから、室に下りただろう。それがメモによると八時二〇分頃で、そこから九時二〇分前まで一時間、新聞記事の写しをした。World Saxophone Quartet『Live In Zurich』と、Uri Caine Trio『Live At The Village Vanguard』を、打鍵の傍ら聞いた。前者は途中まで迷われたが、最終的には保持しようと決断し、後者は一、二曲目を聞いただけで容易に、これは残しておいていいなとはっきり判断された。モニターと向かい合って打鍵をしながら、おそらくここ二日間、薬を摂取していないせいで精神がブルーライトなどの外的影響を受けやすくなっているのか、身体が全体として次第に凝って、血液の流れが停滞していくような感じがし、九時二〇分を迎える頃には疲労が勝っていた。それで八月一三日の新聞の途中、中途半端なところで中断し、その後は少し休んでから風呂に行ったのだと思うが、入浴に使った時間が何時頃だったのかはわからない。この日の残りの活動は、歯磨きをしながらインターネット巡りに使った二、三〇分を除いては、すべてまた読書である。おそらく不調に苦しんでベッドに横たわってばかりいた休学中の一時期以来なかったのではないかと思うほど、大層本を読んだ日で、『失われた時を求めて』の二巻を一気に二四〇ページ進めたのだ。久しぶりに、読み耽るという動詞の意味をまさしく実現した一日だった。欲望が脇に逸らされず、気晴らしの時間の必要もほとんど感じず、自然と本を手に取っており、小説の面白さに引っ張られて止め時を見失い――時計の針があそこまで行ったら一旦やめようと思っていながら、実際そこまで到ってもあと少し、切りの良いところまでと続けているうちに、しかし切りの良いところなどやって来ず、元々の予定時刻を大きく過ぎてしまうために、何十分か読書時間を延長してまた新しい終了予定を定めることになるのだ――思ったよりも長く読んでしまう、そういう幸福な時間の繰り返しだった。毎日これほど読むことができれば良いのだが、と思ったものだ。風呂から帰ってきてしばらくした時のことだが、窓の外でここ最近では初めて聞くと思われる、耳慣れない虫の音がしていた。しかし文字に集中していたために自分の頭はその声の存在をはっきりと認識してはおらず、はっと気付いて意識が窓外へ向いた時には、虫は鳴きやむ間近で、声の切れ端を残してまもなく黙ってしまい、それからしばらく待ってもふたたび鳴きはじめなかった。その声は、周囲で鳴いているほかの虫、翅を回転させているかのような音を放つ、散文的で音程を持たない虫とか、それよりは音楽的で何らかの音程に当てはめることができそうであり、短い音を連続させて鳴いている虫――それはごく小さな鈴か、タンバリンを揺らしたり叩いたりする時に出る、しゃんしゃんという響きを思わせるものだった――とは違い、楽器のように明瞭にある高さだと認識できる音を持ち、鳴いているあいだは途切れずに持続してひと繋がりとなる鳴き方だった。それが新しく耳にする鳴き声だったため、今しがた聞いたそれを思いだし、また窓外の諸所に立つほかの虫の声も聞いているうちに、いつの間にか季節が進んでいたような感じがして、裸の肌に当たる空気の涼しさも相まって、何だか随分と秋めいたようだなという気分になった。それから、その虫のことは忘れてふたたび読書に耽り、「零時四〇分で読書終了」とメモを残して、歯ブラシを取りに行った。軽い頭痛と、疲労があった。戻ってきてコンピューターを灯すと、性欲のかすかなうずきを感じていたので、どうだろうかとポルノの類を目にしてみたのだが、下半身は反応するものの、頭痛のために射精する気にならなかったので、コンピューターには別れを告げて、口をゆすいでからはベッドに転がった。既に一時を回っていた。そろそろ眠るべきではないかと思いながらふたたび本を読みはじめて、結局二時を過ぎることになった。最後のあたりには、右目にうっすらと霞が掛かり、眼球が普段より乾いているような感じがした。ゴルフボールを使って足の裏を刺激したり、あるいはこれ以前からもそうだが、寝転がりながら膝で脛を揉んだりしていたため、疲労がありながらも身体は軽く、血液がよく回っているようだった。二時一二分から二五分まで瞑想をしてから、アイマスクを付けて就寝した。