2016/8/15, Mon.

 一〇時台から曖昧な覚醒を得て、意識がはっきりと晴れたのは一〇時三五分だった。窓外からはまた父親の歩く音と、ラジオの音声が聞こえていた。洗面所に行って顔を洗い、用も足してきてから、枕の上に腰掛けて瞑想を行った。一〇時四五分から始めて、しばらくしてから、そろそろ良い時間だろうと目を開けると、まだ七分しか経っておらず、それで何だか気が急いているなと思われた。外の父親は、何だか知らないが、小さなスコップか何かで土を掘っているらしく、じゃり、じゃり、という音が聞こえてくる。砂が擦れるその音のなかに、地に湿り気が含まれているような感じがあった。天気は曇り、それもあまり明るくないほうの曇天である。再度目を開けて、一〇分間座ったことを確認してから、上階に行くところが、部屋を発たずに携帯電話を取って、ベッドに倒れながらだらだらとした。それで結局、上がったのは一一時半から正午のあいだである。台所には例によってうどんと汁が用意されていたので、それを煮込み、また前夜の豚汁も残っていたので鍋を冷蔵庫から取りだして熱した。汁物二つの食事を取ってから、風呂を洗い、自室に帰った。それで即座に書き物に取り掛かりたいところだが、前日の読書に発揮した確固たる精神はどこへやら、The BeatlesBeatles for Sale』をスピーカーから吐きださせつつ、ベッドの上でまただらだらとしてしまい、無為な時間を過ごした。さらに隣室に入ってギターを弄り、遊んでから目を上げると、時計は一時一五分あたりを指していた。それから自室に戻ってコンピューターを点け、前日と本日の記録を諸々付けた。この日の記事に睡眠時間を、「2:30 - 10:35 = 8時間5分」と記録した際に、もう起きてから二時間も過ごしてしまったのかということが意識されて、いかにも時間を無駄にしたような気分がした。しかしまだこなすべき生活の記述を行う気力が湧かず、ベッドに身体を横たえ、鈴木道彦訳『失われた時を求めて』二巻を読みはじめた。初めは三〇分だけ読み、二時になったら書き物を始めるつもりが、文字を追っているうちに心身が読書に馴染んで、二時を越えても身体を起こす気にならず、ページを繰ってほとんど神経症と化したようなスワンの報われぬ恋愛の経過を追っているうちに、あれよあれよと時間は流れて、三時に到った。外出を求める気分が起こっていた――Brad Mehldau Trioの新譜(と言ってもう発売されて二月も経っているのだが)や、クラッチバッグなどを買おうという気持ちがあったのだ。コンピューターと本との両方を入れて持つには無理があると先般諦めた小型鞄だったが、日々の記述を自室ですることに慣れたいま、それほど多いわけでもない外出の機会には本と手帳くらいを持っていけば良いわけだから、荷物の少ない軽装が実現できるだろうと、購入がふたたび視野に浮かんできたのだ。同時に、両親が周囲をうろついているなかで自宅にいることの居心地の悪さもあった。その居心地悪さというのは一種の罪悪感のようなもので、つまり、ほかの二人が立ち働いて家に資する何らかのことを行っているのに対し、自分はベッドに転がってのうのうとただ本を読んでいるという状況を、自分でもあまり良くは思わない心があるのだろう、両親の気配が知覚に届くとそのかすかな物音などが棘と化したかのようにちくちくと自分を責めるのだった。それならば進んで家事なりを引き受ければ良さそうなものだが、そこには単純な甘えがあって、それはやはり億劫だったのだ。書き物もしなければならないし、本だってできることならもっと読みたいものだったが、このまま自宅に留まったとして、飯を作るために、あるいは何かの拍子に、それらを中断しなければならないことを思うと、気が進まなかったので、自ら今日の時間を外出に充てると思い定めてしまうことで、そうした瞬間の訪れを避けようとしたのだ。それは当然、居心地悪さからの逃避でもあるのだが、そういうわけで欲望の対象となったCDや鞄は、それが欲しいというのはまったくの嘘ではないものの、この日に必ず買わなければならないほど熱烈に欲しがっているかというとそうでもなく、自宅から逃れる口実として召喚されたような側面があった。また、金を消費して欲望を満たし、何かを得た気になることによる曖昧な気晴らしを求めてもいたのだろう。ともかく外出することにして、制汗剤ペーパーで肌を拭い、外着に着替えながらも、まだ迷いがあった。先に述べたような次第で、この時の購入欲は頭から底まで純粋なものではなかったので、外出するにはするとしても、それだったら街に出ないで読み書きに時間を充てたほうが良いのではないかという考えが残っていたのだ。とはいえ、そのために適した場所も思いつかない。喫茶店ハンバーガーショップも行くつもりにならなかった、何も摂取したくなかったからだ。席が空いているかどうか希望を持てないが、とりあえず図書館に行ってみることにして、街(というのは立川のことだが)に出るかどうかはそのあとで決めようと考えて、リュックサックにはコンピューターを入れたものの、結局これを使うことにはならなかった。少し前から、雨が降りだしていた。玄関をくぐった時には弱まっており、それでも多少ぱらつきが残っていたが、傘は持たなかった。街道に出る頃には少々降りが増しており、母親が義姉の両親に書いた暑中見舞いの葉書を、濡らさないように手で覆いながらポケットから出してポストに入れた。それから歩いているうちに雨は一旦消えかかったのだが、突然、急速で勢いを強めて、先ほどよりも遥かに大きな粒を落としはじめた。新聞屋の前まで行くと、雨滴がバイクに当たって、固い音を立てている。角から横断歩道に出るとそこの白いサルスベリが花を落として、その下から黄緑色が混じったような枯れた茶色を晒していた。細かな削り痕のついた路面のタイルの上に、点々と濡れ色が重ねられていく。自分の着ているシャツやズボンにも水玉模様ができて、薄水色のズボンのほうは特に絵の具で汚れたように見えた。濡れながら歩いているうちに、やはり図書館に行くのはやめて、直接立川に行ってしまおうと気が変わった。実際に自分が図書館を訪れて、周りに他人がうろつくなかで文を綴ることを考えると、何か忌避感のようなものを覚えたのだ。立川で喫茶店に入るという手もあるが、これについては先に書いた理由のほかにもう一つ、気の進まない要因があって、というのは、レジで店員とやりとりをするのが、たかが二、三の言葉を交わすだけのことにもかかわらず、億劫に思われて仕方がなかったのだ。パニック障害の予期不安のようなもので、実際に店を訪れてやりとりをしてみれば何の面倒なこともなく、むしろ快いことすらあるのだが、事前にそれを想像するとどうも他人と意味を交換し合うことに意欲が湧かないことがあり、この時もそんな症状だった。それから、郵便局に入って万札を数枚財布に足した。出ると路上のタイルは既に雨色で隙間なく塗られており、雨は止む気配もなく、頭と服を大層濡らしながら、しかし歩速は変えずに駅まで行った。ホームに出て少し待つと電車が来たので乗り、『失われた時を求めて』の二巻をひらいた。ぽたりと落ちるものがあったので、頭をがしがしとやってみると、結構濡れていたようで、細かな水の欠片がページの上に落ち、そこに髪の毛の一本も混ざった。立川までの車内はずっと本を読んでおり、特段書き記すことはない――ただ、途中で乗ってきた小さな子どもが、電車の警笛が鳴るのを真似して、ぱー、とあどけない声を立てるのに耳が惹かれる時があった。立川で降りて改札を抜けると、そこそこの人波だが、なかにいて気分が苛立ったり憂鬱になったりするということもない。広場に抜けて、高架歩廊をCD屋へと向かった。入るとジャズの棚に向かい、Brad Mehldau Trioの新作(『Blues And Ballads』)を探したが、これはすぐに見つかった。もう一つ、これも先頃発売された、Fred Hersch TrioのVillage Vanguardでの演奏記録も欲しかったのだが、こちらは置いていなかったので、Fred Herschほどのミュージシャンの作品を置かないで一体何がしたいのかと思った。それから棚を見ていると、Pat Metheny Groupのベスト盤を見にした拍子に、そういえばPat Methenyもスタジオライブを出していたなと思いだされて、フュージョンのほうに横移動するとこれはあったので、買うことにした。その二枚に加えて、廉価版を見分したなかから、Thenious Monk『Piano Solo』を掴み、それからソウルのほうに渡った。こちらも廉価版を確認したのだが、なかにDonny Hathaway『Extension of a Man』が見られたので、これも買うことにした。それで四枚をレジに持っていき、会計を済ませて、エスカレーターを上がって本屋に入った。うろつきながら見分するだけで、何も買うつもりはなかった。文庫の一角を見てから哲学のほうに移ると、棚の側面に復刊した学術書の類が並べられていた。平積みされているもののどれも大概面白そうだったが、立てて置かれているほうに目を向けると、ロバート・グレーヴスの名が見えて、これは多田智満子が晩年に訳した作品ではないかと思って手に取ると、果たしてその通りだった。その横にはカルロ・ギンズブルグの『歴史・レトリック・立証』があり、反対側の横にはサミュエル・ベケット『事の次第』があった。ベケットの作品も確認してから書架のあいだに入り、哲学の著作をしばらく眺めた。面白そうなものはいくらでもあったのだが、名前を覚えていない。それから海外文学のほうに移り、特に変わり映えもしていないラインナップをひとしきり眺めてから時計を見ると、確かもう六時だったので、さっさと鞄を買って帰るかと店を出た。建物を出ると、モノレール線路下の広場の木から、ミンミンゼミの声が一筋、空間に差しだされて、微小に波打っていた。歩廊を駅まで戻り、駅ビルに入ってエスカレーターで男性物の集まっているフロアに上った。先日訪れた際に気になった品があった店にまっすぐ向かい、入り口のところの台に件のものが置かれているのを発見したのだが、すぐにはそれに手を出さず、なぜかカモフラージュするかのように服を見て回った。なかに一枚、 "British Wool" と袖のあたりに記された群青色のジャケットがあり、見た瞬間に惹かれるものを感じ、特に金色に輝く三つボタンが素敵で、非常に欲しいと思ったのだが、二二〇〇〇円もジャケットに掛けるほど金はない。回ってから入り口のほうに戻り、先般も見分した四角いクラッチバッグを手に取ってひらいてみたが、いくらほとんど本だけ持つとはいえ、ハードカバーを二冊入れたらもう満杯だろうという容量だったので、さすがに小さく思われた。そこに台の反対側にもう一種類、バッグがあるのを見つけて調べてみると、先のものよりも大きく、小さな持ち手もついている牛革の品で、手に提げてもいいし、丸めて抱えてもいいという代物だった。革製品に対するこだわりは特にないものの、これが良さそうだなと判断し、一旦店を離れて他の場所も見に行くことにした。と言って、片端から訪れるわけでもない。入ったのはほかに一つ、そこで服を買うこともわりとある店で、こちらにも二種類の小型鞄があった。一つは角ばったような薄い四角形で、中央に走るファスナーをひらくタイプであり、書類などを入れるのに似つかわしそうな雰囲気だった。もう一方は素材は布だが、先の店のものと同様に丸めることのできる代物で、こちらでもいいなと思いはしたのだが、ブランドのロゴが表に入っているのがどうにも気に入らなかった。それでやはり先ほどのものだろうなと思い、話しかけてきた店員に、ほかの店も見たいのでと言って離れ、先の店に戻り、ふたたび目当ての品を手に取った。弄りまわしながら、しかし本当にいまこれが必要だろうか、欲しいのだろうかと使う場面を想像して考えていると、店員が話しかけてきた。やりとりをしながら、まあこれだなと気持ちが決まって、その頃には店員はほかの客に話しかけられてそちらの対応に行っていたため、待っていると、別の店員が話しかけてきたので、これを頂きますと申し出た。在庫を確認してきた店員によると、一〇日くらい前に届いたばかりで、一点物だということだった。よろしいですかと申し訳なさそうに聞くのに、はいと受けて、レジに行った。色は真っ黒のものがもう一つあったのだが、かすかに青みが混ざったほうを選んだ。それで会計し、一人目の店員にも礼を言って退店、フロアを歩いているあいだ、何だかんだ言っても新しいアイテムを手に入れたことに満足感があるらしく、気分がやや朗らかになっているのを感じた。下階まで下りてビルを出て、改札に入った。電車に乗るとふたたび読書である。プルーストの文章に目を落として、降りると乗り換えてまたしばらく本を読んだ。最寄りに着くと、そこそこの強さで雨が降っていた。横断歩道で見上げると、電灯の光の暈のなかが雨線で埋まって、視界の表面に動物の毛が生えたようにざらざらとしていた。服屋の袋――やや摩擦のある質感の布でできた緑色のもの――を小脇に抱えて坂を下りたが、触ると脇からはみ出した先端のほうが濡れていた。ふたたび降られながら帰り、玄関から入った瞬間に、カレーの匂いが香る。居間に入ってカレー、と訊くと、母親は笑って肯定した。荷物は何かと訊いてくるので、鞄を買ったのだと言った。手を洗って下りる際に思いついて、この袋は何でできているのかと訊いてみると、ふしきふ、と母親は答える。ふしょくふか、と訊いて、織るという字が入っているやつかと続けて尋ねると、あ、そうそうと言う。母親の言が本当なのかわからないが、これが不織布というやつなのかと思った。それで室に戻り、着替えて食事に行った。カレーを食って自室に帰ると、買ってきたCDをインポートし、九時から書き物を始めた。流したのはUri Caine Trio『Live at the Village Vanguard』である。それが終わるとBrad Mehldau Trio『Blues And Ballads』を早速聞きながら進め、一〇時二〇分に前日の記事を終わらせた。その少し前から天井がどんどんと鳴っていた。それに答えて風呂に入りに行き、戻ってくると一〇時五〇分、窓に寄ってカーテンをひらくと、ヤモリが網戸の内側に入っていた。この前にも一度、どこかのタイミングで窓に貼りついているのを見たが、その時は外にいたのだ。最近は頻繁に見かけるし、よほどこちらの部屋が好きらしいと独りごちて、逃がしてやるべく網戸をひらいた。ところが上端に取り付いているこの爬虫類は、せっかくひらいた隙間のほうではなく、その反対側にちょろちょろ動いてしまうのだ。それで仕方なく開けたり閉じたりしていると、戸と戸の隙間をくぐったので(入るときもきっとそこから来たに違いない)、ガラス戸のほうも動かしてやると、上川の桟を伝ってどこかに去ったようだった。それでコンピューターの前に戻り、三〇分だけこの日のことを書こうと記事に取り掛かって、一二〇〇字のみ記した。一一時半から新聞記事の写しに移行である。外出のためにあまり残り時間がなかったので、これも三〇分に限った。一三日の分は写し終わり、一四日の朝刊一面、熊本ではいまだ一八〇〇人が避難中であるという記事まで写して、零時を回ると思い立って昨年の八月一五日の文章を読んだ。先日結婚した友人(高校の同級生)と会っている。午後三時台か四時頃だろうか、カラオケから出てきた際に、「夏の陽射しというのはきれいだ、その下で人々が歩いている姿というのはきれいなものだ」と口にしたらしく、陽射しの質感のみならず人々の姿にも言及しているのが、光の染み渡った空気のなかを行く雑踏の、透明感溢れる風景としてのイメージを喚起させた。その後、駅前広場の植えこみに腰掛けて雑談をしているのだが、自分は直感的に生きてきたと何かの拍子に口にしたのに、いや、かなり堅実だと思うと返されて、意外に思っている。このことは印象に残っており、その後も折にふれて思いだす機会があった評価である。どういう意味で相手がこう言ったのかいまだにわからず、堅実ならば就職しているだろうと反論すると、それとこれとは別だと応じられたらしい。その後、この友人とは別れてから、今度は地元にある中学の同級生の宅を訪れて、夕飯を御馳走になっていた。日記を読み返したあとは、また眠るまでプルーストに掛かりきった。眠気に負けないように時折り身体を起こして、足の裏でゴルフボールを踏みつけたりしながら読み、眠るかと決めたのは午前二時半である。翌日の記述のために回想をしっかりしようと瞑想を始めたのだが、長い時間起きていた疲労のために思考が言うことを聞かず、自由奔放に遊びまわるばかりだったので、一〇分で諦めて二時四二分に切りあげ、床に就いた。