2016/8/16, Tue.

 初めに九時五〇分に覚めて、三時に眠ったわりにはまあまあだなと安堵しているうちに気付かず意識が落ちて、次に時計を見た時にはちょうど一時間後、一〇時五〇分になっていた。洗面所へと抜け出し、用を足してきてから枕の上に尻を置いて瞑想を行った。一一時ぴったりから一六分まで座り、それから上階へ行った。食事はカレーが残っていた。米ごと電子レンジで熱したそれを食いながら新聞を読み、室に帰ると、まずは『失われた時を求めて』の二巻を読み終えてしまうことにした。諸々の記録を付け、前日の収支を計算したりなどしたのち、一二時四〇分から読書を始めた。二時まで掛けて読了したのだが、その合間だったかそれとも読み終えたあとだったか、母親が、履歴書はないかと探しに来た。捨てたのではないかと適当な答えを返して追い払おうとしたが、母親は部屋に留まって、バンドスコアやら音楽の教則本やらが詰めこまれた机上の棚などを弄りはじめた。一時よりはましになったとはいえ、いまだに自室に自分以外の人間がいることに居心地悪さを禁じ得ないのだが、好きにしてもらおうと母親の自由に任せ、爪を切るためにベッドの上に移った。Bill Evans Trio "All of You (take 1)" を流して手の爪を切り、机の引き出しなどもひらいてどこにも履歴書がないことを示し、母親が去ったあとは腕立て伏せをした。そうして、二時半から、新聞記事の写しをした。音楽は前日に買ったものを早速聞こうというわけで、Donny Hathaway『Extension of a Man』をイヤフォンから耳に流しこんだ。一時間を打鍵に費やしたのち、既に写し終えた新聞を置きに上に行くと、居間の隅に前日自分が着た群青色のシャツやエプロンが投げだされていたので、アイロン台を出した。炬燵テーブルの上で服の皺を伸ばしていると母親が上がってきて、寿司は何にするかとチラシを取りだした。父親の夏休みが今日までだから、夕食は寿司でも取ろうと先の食事の際に提案されていたのだ。何もない日なのにわざわざ高いものを取らなくとも、チェーン店のもので良かろうと返したのだったが、父親が鰻を食いたいと言うのでやはり取ることにしたらしかった。こちらは丼の類を食べたくて、天ぷらの重か焼津丼かで迷ったのだが、写真を見て溢れんばかりに天ぷらが乗った飯を食うところを想像すると、胃がもたれてくるような感触があったので、焼津丼に決めた。そして自室に帰り、この日の新聞の読み残していた部分を読んだ。印を付けて、三時五〇分である。それからThelonious Monk『Piano Solo』を聞きながら読んだ本の書き抜きを始めたのだが、四時半頃に母親がやってきて、スマートフォンを差しだしてくる。その瞬間から避けきれず苛立ちが芽生えて、イヤフォンを外すのすら億劫なようで、どうしてそんなに容易に苛立ってしまうのか自分でも不思議なのだが、この憤懣というのはおそらくはやはり、音楽で耳を満たしながら文字や自分の思考に集中している、ある種非常に閉鎖的な時空を乱されたことに対するものなのだろう。スマートフォンの画面には、転職ナビのホームページが映っていた。そこに履歴書がPDFファイルで無料配布されているのをダウンロードしてくれと言う。非常に面倒臭く思い、さっさと書き抜きに戻りたかったので最初は断ったのだが、問答しているうちに、この程度のことを何を嫌がることがあるのか、それは狭量すぎはしないかと思い直して、苛立ちを抑えて平静を取り戻し、ブラウザをひらいて件のページにアクセスした。それでダウンロードしたところが、印刷するにしても適したサイズの紙がないのではないかと気付き、結局それでお流れになった。それから書き抜きに復帰して、MonkのあとはPat Metheny『The Unity Sessions』を掛けて五時まで進めた――鈴木大拙『禅堂生活』は終わり、『サミュエル・ベケット短編小説集』に入って冒頭の「追い出された男」から何箇所かを写文した。そして隣室に入ると、母親はそこに机に就いており、履歴書なのか何なのか、眼鏡を掛けて何かの書類を前にしていた。その後ろでギターを少々弄りながら、汁物は何にするかと訊いてから、上に行った。ワカメのスープでも、という答えだったが、中途半端にネギが残っていたので、それも使うことにした。塩漬けにされたワカメを水に浸けて戻しているあいだにネギを刻んで鍋に入れ、ワカメも細かく刻んで投入した。粉の出汁と味の素を加えてちょっとしてから、味噌を溶かして手早く仕上げ、下階に戻った。プルースト三巻とのあいだには、セネカ大西英文訳『生の短さについて 他二篇』を読むことにした。それでベッドに寝転んでふたたび読書をした。裸の肌がシーツに接してもそれほど粘つかない涼しげな曇り日で、昼下がりには雨が降る時間があり、このあとも時折り雨音が聞こえた覚えがある。七時を回るまでものを読んで過ごし、夕食に行く前に瞑想を行った――七時八分から二〇分までである。済ませると上がっていき、寿司を前にして、ほかに炒めたナスや味噌汁も並べて卓に就いた。焼津丼は大層美味だった。母親が食べきれないからと分けてくれた握りの寿司も非常に旨く、先日山梨で食った時よりも遥かに満足感があった。さっさと平らげて、旨さの余韻に浸っている母親の皿もまとめて洗い、室に帰ると八時だった。風呂に行く前の、腹がこなれるのを待つ時間で日記を読み返すことにした――やはりなるべくなら毎日、一年前の自分の生活を振り返る時間を作りたいものだと考えたのだ。二〇一五年のこの日は、両親の衣裳部屋に置かれた箪笥を整理する過程で、古い写真を発掘していた。そこには母親と父親の結婚式の様子が写っていたのだが、それを見て、父親の若い頃の顔が自分に似ていることに驚いていた。このことは覚えている。まだ顔のたるみがなく、顎に向けて細くなっている輪郭もそうだが、何よりも、緊張しているらしく固いようになっている表情の内に漂う、神経質らしく「陰鬱そうな雰囲気」が、これはまるきり自分のものではないかと思ったのだ。一年前の自分はこの一日を綴るのに一五〇〇字ほどしか費やしておらず、その日にあったはずのことを十全に拾っているとは言いがたい。文章自体も児戯のようなものだが、ここ最近はどうも、過去の自分が拙い文章を書いていても許せるようになったようである。それはおそらく、今現在の日々の記述の質にこだわらなくなったため、過去の記述に対する視線も寛容になったということなのだろう。二〇一四年の記事に関しては、再読して改めて箇条書きで内容をまとめつつ消去するという作業をいっとき行っていたが、それもやらなくて良いだろうという気にいつからかなった。その二年前の記事も続けて読むことにした。何巻目なのか不明だが、この二年前の日にもプルーストを読んでいた――そのほかに特筆することはない。そうして、入浴に行った。少し浸かってから外に出て、頭にシャンプーをつけてがしがしと擦ったあと、顔を上げると磨りガラスの向こうに、ヤモリの白い影がくっついていて、またかと思った。よほど熱心にこの家を守ってくれているらしい。風呂を済ませて戻ると九時五分、ここでようやく前日の記事に取り掛かった。ふたたびPat Metheny『The Unity Sessions』を流したのだが、一枚目の七曲目、 "On Day One" の終盤にぶちぶちというノイズが入っているのに、片手間で聞いているとはいえ気付かざるを得ない。それでインポートし直したが、治らないので運が悪いと諦めて、続きを聞きながら打鍵を重ねた。前日の記事は一一時二〇分に完成、六〇〇〇字弱を記して計七〇〇〇字になった。この日の分はやる気が起こらなかったので、それなりにメモも取ってあるし翌日で良かろうとして、音楽を集中して聞く時間を作ろうというわけで耳のものをヘッドフォンに付け替え、例によってBill Evans Trio "All of You (take 1)" を聞いた。それからさらに、買ったばかりのBrad Mehldau Trio『Blues And Ballads』の冒頭、 "Since I Fell For You" も聞くと、零時も近い。歯磨きをしながらセネカ『生の短さについて 他二篇』の読書に入り、一時過ぎまで過ごした。その後、ポルノを視聴して射精してからふたたび読書に戻り、大層夜更かしをして三時台に突入した。三時一〇分になったところで切りあげて就寝前の瞑想、大雑把に回想をしておいて一五分間座り、そうして床に入った。



 『維摩経』は、大乗諸経典の中で最も禅に関係あるものの一つである。その中に「豁然[かつぜん]として還って本心得たり」と云う句があるが、これが六祖慧能などの唱道した頓教の旨に大い(end93)に称[かな]う所があるのである。禅は頓悟[とんご]だからである。般若の智は頓悟で始めて得られる。頓悟とは、時間の急促を意味するのでなくて、論理的飛躍の義である。こう云うと、禅は知性の方面に向ってのみ解せられようとするが、先にも云ったように、禅は行為的に霊性的に直覚せられるべきものである。禅では、知性を知性の面でのみ見ないで、これを裏付けるものを忘れないのである。即ち、知性も亦行為的・意志的であることを、禅は主張する。それで、菩薩は衆生病むが故に自分も亦病むと云うようなことが、禅に出て来るのである。(……)
 (鈴木大拙/横川顕正訳『禅堂生活』岩波文庫(青323-3)、二〇一六年(底本一九四八年)、93~94; 「第四章 陰徳」; 註)

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 近代生活は益〃自然より遠ざかり行くようである、そうしてこの事実に密接に関聯し(end100)て、我々は自然に対する尊敬の感情を失いつつあるように思われる。科学と機械、資本主義と唯物主義、是等が相携えて歩を進めて行く今日の生活では、自然を軽んずると云うことは恐らく不可避的であろう。神秘主義は、之を如何なる意味に解しようとも、宗教の生命であるが、これが全く背後に押しやられている。幾らかの神秘主義を存しなくては、尊敬の感情を味得し得ず、それと共に謙下心の精神的意義を識り得ない。科学と科学的工作とは大いに人間の役に立った、併しながら我々の実際の精神的幸福に関する限りに於ては、我々は、我々の祖先が獲ていたそれよりもより[﹅2]以上に何等出ていない。事実我々は現在、世界中に亘って最悪の不安に悩まされている。そこで問題は、如何にして不思議(acintya)の味得に我々を再び立ち帰らすかと云うことになる。これこそは疑もなく、近代人を悩ます凡ての問題の中で最も重大な最も根本的な問題である。
 (100~101; 「第四章 陰徳」)

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 仏教には「六波羅蜜」と云って六つの徳目が菩薩行を構成するものと看做されている。「波羅蜜(pāramitā)」は、到彼岸と訳せられているが、完成とした方がよいこともある。即ちこの六個の徳目を修すると菩薩行が完成するのである。六つとは、一、布施、二、持戒、三、忍辱、四、精進、五、禅定、六、智慧である。この中で第三の「忍辱」が本章で云う「陰徳」に当ると見ることが出来よう。忍辱とは只〃こらえる[﹅4]と云うことでなく、自分と云う考え、即ち自己中心主義なるもの――これは何人でも無意識に持っているもので、仏教はこれを我執の一念と云う――、これを取り除き得た時、自然に動き出る志向と行動が、それなのである。それで忍辱には積極的意味のあることがわかるであろう。陰徳もその通りで、文字面を見ていると、かげ[﹅2]と云うことがあるので、何だかわざわざ人に隠れて善事を為すと云う塩梅に考えられもしようが、その実はそのような外面的なものはそこにはないのである。ただ自己を中心として考えない行為と云う義であって、他がこれを見るとか見ないとか云うことには関係しないのである。またその事が多くの人の嫌がるような仕事だから、自ら進ん(end111)で行[や]ると云うのでもないのである。その仕事の社会的意味を見て、それは行らなくてはならぬ、集団的生活の幸福はそれで増進せられるのであると云う考慮の上に立って、それを敢行すると云うの外ないのである。この種の行為は自ら人目につかぬところに多いようであるから、陰の徳とシナ人は云ったのであろう。(……)
 (111~112; 「第四章 陰徳」; 註)

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 ここで云う衆生は、単に有情を示すに止まらず、一切の有情・非情をひっくるめて云うのである。山河大地から草木までも衆生である。その一切衆生は実に空間的に無辺で又時間的に無尽である。我等人間は何れもその中に生きているのである。我等だけをこの環境から離して成仏すると云うことはない、我等の成仏は実に山河大地の成仏でなければならぬ。事事無礙[じじむげ]の法界では、その中の一事のみを抽出して、それの成仏とか成正覚とかを云うわけに行かない。一蓮托生である、全法界を挙げての成仏である。これを誓願度と云う。度はわたる[﹅3]の義、生死の彼岸から成正覚の彼岸にわたるのである。この誓願に徹する時、仏道成就と云うことになる。禅堂の修行は実にこれを最後の目標として驀進するのである。
 普通に祈願などと云うと、他から何か与えられることを期するものの如くに考える。併し仏教の祈願又は誓願又は本願なるものは、対象的に限定せられないのである。それは不可思議だとか非合理だとか云われるであろうが、実はその不可思議で非合理なところに、仏教的誓願の本領があるのである。
 衆生無辺誓願度はまた四恩と聯関している。四恩とは、仏の恩、親の恩、国王の恩、衆生(end134)の恩である。衆生の恩と云うのに留意したい。他の三恩は世間でも好く云うところであるが、衆生恩を教えるのは仏教の特徴である。仏教の世界観からは衆生を除けるわけに行かない、そうして仏教は衆生をその最も高大な意味に於て解するのである。華厳思想の重重無尽観又は事事無礙法界観を背景において考えないと衆生恩はわからない。人間が人間であり、我等が我等であり、個が個であると云い得られるのは、何れもその「おいて在る」処を離れないからである。知性的分別はいつも個を包んでいる。全を構成している個を、別別のものに分けて思索する――分別は実に爾[し]かするように出来ているのであるが――、そのために個と全とは相克相殺の立場におかれることになる。これが人間の自己中心主義即ち我執の一念となって、人間万般の意慾と行動とを支配して行く、衆生恩など云うものから甚だ疎隔した意識態が出来上る。この種の人々に対しては、祈願とか本願とかを説いても馬耳東風であるのは已むを得ない。併し本当に宗教を解して霊性的自覚に到達せんとする時には、是等の諸項目について深き反省がなくてはならぬ。
 (134~135; 「第五章 祈願と報謝」; 註)

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 師又語を続けて云わく、「一大事のために今日此処に法筵[ほうえん]を開く。質問ある者は速かになせ。併し何事かを云わんとすれば早やその瞬間に勿交渉[もっきょうしょう]となるぞ。何故かくの如くなるか。知らずや、釈尊云わく、法は文字を離れている、何となれば因果の支配する所に法は求むべきではないから。(……)
 (161; 「第六章 参禅弁道」; 『臨済録』)

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 (……)ただ伝統的に教えられたものを受取るでは、本当の学でない。有字の書ばかり読んで居ては、所謂る故紙推裡に浸溺するもので、徒らに精神を昏迷するに過ぎない。
 老師の抜萃に曰わく、

一斎云、学は自得を貴ぶ。人徒らに目を以て有字の書を読む、故に字に局[かぎ]られて、通透することを得ず。当[ま]さに心を以て無字の書を読むべし。乃ち洞[あきら]かに自得あり。

 「無字の書」は霊性的意味にのみ解しないでも、物理や化学の実験室も亦無字の書である。動物や植物の世界、星辰の世界、人類生息の社会も亦好個[こうこ]実験(此場合では観測)(end266)の室である。
 (266~267; 「洪川禅師のことども」; 今北洪川)

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 (……)三つをいっしょに知るためには記憶のなかから三つをいっしょに見つけ出さなきゃだめなんだ。記憶ってやつはまったく始末におえないものだ。だから、何か気にかかるようなことは考えないことだ。いやむしろ、そのことを一心に考えるべきだ、というのは、考えないでいるとかえって記憶のなかで少しずつそれを見つけ出してしまうという破目に陥りかねないからだ。つまり、しばらくの間、たっぷり時間をかけて、毎日、日に五、六回、それが泥のなかに深く沈んでしまうまで考え続けなければいけないのだ。これは至上命令だ。
 (片山昇・安藤信也訳『サミュエル・ベケット短編小説集』白水社、二〇一五年、10; 「追い出された男」)

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 (……)わたしはがっかりして、同時にほっとして帰ってきた。そう、どういうわけか、わたしは失望したときには――若いときはよく失望したものだが――いつも同時に、または一瞬後に、否みがたい安堵感を味わったものだ。
 (15; 「追い出された男」)

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 (……)三時ごろ、わたしたちは眠っている馬を起こして出発した。御者はわたしに御者台に上って隣にすわらないかと言ったが、わたしはもうかなり前から客車の箱が恋しくなっていたのでなかの座席に帰った。わたしたちは彼が下線を引いておいた住所を一つ一つたぶん順序を立ててだろうと思うが、訪ねて回った。冬の短い日が暮れかかっていた。わたしがほんとうに覚えているのはこの冬の日々だけ、それもとりわけ、夜の闇が昼を抹消する直前のあのもっとも美しい瞬間だけのように思えることがときどきあ(end24)る。彼は、下線を引いておいた、というよりは下町の人間がやるように✕印をつけておいた住所を一つ一つそれがだめとわかるとそのたびごとに斜めに線を引いて消していった。これは、しばらくしてから彼が、だめだったところへもう一度行ったりしなくてもすむように大事に持っているがよいと言ってわたしにその新聞を見せてくれたのでわかったことだが。ガラス窓は閉ざされ、馬車がきしみ、往来は騒がしかったのに、彼が高い御者台にたった一人乗っかって歌をうたっているのが聞こえた。彼は葬式よりもわたしのほうを選んだのだ。これは永久不変の真実だった。彼は歌っていた。姫君は若殿眠る国を離れて[﹅12]、歌詞はこれだけしか思い出せない。(……)
 (24~25; 「追い出された男」)

     *

 (……)彼はランプに火をつけていた。わたしは石油ランプが好きだ。それが蠟燭とともに、空の星は別として、いやなこの世に生まれてから初めて知った光であるにもかかわらずだ。わたしは彼に二つ目のランプに火をつけさせてくれないかと言った、なにしろ一つ目のは彼が自分でつけてしまっていたか(end25)ら。彼はマッチ箱をくれた。わたしは、蝶番のついた丸くふくらんだ小さなガラス窓を開き、ランプに点火して、すぐ閉めた、ランプの芯が風に当たらずに自分の小さな家のなかでぬくぬくと静かに明るく燃えるように。わたしは一種特別の喜びを味わった。わたしたちはこのランプの光で何一つ見えるわけではなかった、馬の輪郭がぼんやりと見えるだけで。でも他の人間には遠くからこのランプが、二つの黄色い光の斑点が空中をふわふわと動いていくのが見えた。馬車が曲がるときには、片目だけが見えた。それはステンドグラスのように透明で鋭くとがった菱形で、場合によって赤や緑に色が変わるのだった。
 (25~26; 「追い出された男」)