2016/8/19, Fri.

 六時に鳴り響いた時計に急襲されて、予定通り目を覚ました。立ちあがってけたたましい音を止めると、その瞬間に背後から届く蟬の合唱が今度は耳を満たした。窓は白い。仰臥位に戻って五分ほどしてからまた起き、一〇分間、瞑想を行った。それから上階に行くと、母親は既に起きており、朝食はおじやだと言う。ぐずぐずに柔らかく煮こまれた米をよそって食べた。室に戻ったのは七時直前だった。コンピューターを点けて前日の記録を付け、それから読書を始めた、鈴木道彦訳『失われた時を求めて』の三巻である。ベッドに乗って八時前まで悠々と読むと、さすがに四時間の睡眠で頭が重いようだったので、仰向けにだらりとなった。呼吸を数えはじめるとすぐに、手の先や額のあたりにじりじりと痺れるような感覚が現れた。二〇回を数えるとそれがある程度溶けたので起きあがり、仕事着に着替えた。ポロシャツ風の柔らかい素材のシャツに水灰色のネクタイを締め、上階に行くと便所に入った。朝の習慣で、働きはじめる前に腹を軽くしておきたかったのだが、なかなか訪れがないので腹をさすりながら待った。無事に出すものは出せたが、時間が経ってしまったので風呂を洗うのは帰宅後として出発した。結構な勢いで雨が降っていたので、自転車は乗れない。黒傘を差し、白い毛羽立ちが高速でそこかしこを跳ね回っているなかを歩いていき、街道に出た。走り過ぎる車も、車体の周りに厚めの水飛沫を立ちあげて纏っている。裏通りに入るところの家のサルスベリは、水を吸って一層ふやけた和紙のようになり、重さを増して提灯のように垂れ、枝を傾けていた。裏通りを歩いているうちに、雨は和らいで、傘を頭上から外す時間もあった。かと思うとまた強まるので傘を戻すと、その下に湿気が溜まって蒸し暑い。高校生連中とすれ違って職場まで行くと、悠長にしていたため到着時間は普段よりも遅くなった。それで急いで働きはじめ、二時前に退勤した。その頃には雨は消えて、夏らしく厚くもこもこと寄り集まった雲の周りに瑠璃色の空が覗いていた。電車で帰るかと思ったのは、陽射しの下を歩くのが億劫だったからでもあるが、同時に、便意が差し迫っていたからでもある。駅に入ってみると都合よく数分後に発車だったので、ちょうど良いと切符を買って乗りこみ、到着を待った。降りると陽射しのなかを歩いて帰宅、家に入ると脳が自然ともう大丈夫、構えを解いてもいいと安心するのだろう、リミッターが外れたように、腹の圧迫がさらに強まっが、慌てずにネクタイを外して服を脱いでから、便所に入って腹を軽くした。それから下階に帰ってハーフパンツに着替え、瞑想は怠けて上に行き、米とナスの炒め物をよそった。それらを食べて腹を膨れさせてからなかなか動けず、三時を迎えて、眠気が厳しかったので解消しようとテーブルに突っ伏した。穴に吸いこまれるように意識が落ちて、気付くと頭を乗せた腕が痺れており、顔を上げると三時半だった。立ちあがって食器を洗い、風呂も洗ってから下階に行き、隣室に入るとそこに母親がいた。眼鏡を掛けて兄の机に就き、履歴書に記す文言を練っているらしかった。というのは、パソコン教室のために通っている商工会議所で、市役所の受付職を募集していたとかで、それに応募してみることにしたのだった。多分無理だとは思うけど、と母親は言った。写真も撮らなきゃ、と言い、この日もあるパソコン教室の前に撮ってくるつもりらしい。ギターを少々弄ってから自分の部屋に帰り、四時ちょうどから『失われた時を求めて』をひらいたのだが、母親が飯を作りに行ったらしいのを追って一旦上がった。すると既に手早く、ゴーヤとハムと卵の炒め物を拵えていたため、こちらは汁物を作るかというわけでジャガイモを切り、塩漬けで凍ったワカメを水に浸けた。ジャガイモを鍋に投入して固さがなくなるのを待ってから、ワカメと刻んだネギも加え、味噌を溶かして手短に仕上げた。そうして室に帰り、再度読書に掛かった。六時までプルーストを読んだのちは、本を置き、寝床に転がったままだらだらと時間を潰した。七時を過ぎると起きあがってコンピューターの前に座り、Bill Evans Trio "All of You (take 1)" に "Alice In Wonderland (take 2)" 、そしてBrad Mehldau Trio "I Concentrate On You" をヘッドフォンで聞いた。上階に行ったのが七時半過ぎである。母親は出かけており、居間は無人の暗みで、カーテンのひらいた窓から見える宵の空は曇っていたが、その灰色のなかにわずかに緑を差し入れて神妙なような色だった。食卓灯を灯し、米に味噌汁に炒め物の簡単な食事を並べた。文字が見やすいようにティッシュ箱に立てかけた『失われた時を求めて』のハードカバーを傍らに、ものを食べ、皿を空にしても何とはなしに物足りなさを感じたので、カップラーメンを用意して啜った。時刻は八時台に入ったところだった。八時半を迎えたら入浴することに決めて、腹がこなれるまでのあいだ、座ったまま引き続きプルーストを読んだ。半ぴったりになったところで本を閉じて皿を洗い、本を置きに室に帰って、ついでに歌を歌った。それから部屋を出ると、母親が既に帰ってきていた。風呂に入ると断って入浴し、湯を浴びて洗面所に出ると、肌の湿り気が拭っても拭いきれず、熱風を髪に当てているあいだにまた汗が背から旺盛に湧く暑さだった。居間に出ると、母親にジンジャーエールを飲もうと誘って、扇風機の風を浴びながら分け合って飲み、そして室に帰った。九時半かそこらだったはずである。特に何のきっかけもなく、なぜその名を思いついたのかも不明だったが、蓮實重彦の名前でインターネットを検索しはじめ、すると詳細な年譜を作っているファンサイトのようなものがあって、その経歴を読んでいるうちに時間が経った。一〇時四五分からようやく、書き物を始めた。BGMにはRobert Nighthawk『Live On Maxwell Street - 1964』を流し、それはすぐに終わったので、次に『Don Salvador Trio』に移した。そうして、一時間ほど掛けて前日の記事を終了させた。『Don Salvador Trio』はラテンの風味が混ざった軽快なピアノトリオで、まったく悪い演奏、悪い音楽ではないのだが、それでも耳を引っ張られる瞬間がなかったので、売却することにした。その後、Made In Brasil『Numero Um』とともに打鍵を続け、零時半までこの日の記事を埋めた。あとは翌日で良かろうとそこで中断し、歯磨きをしながら三〇分、娯楽的な動画を眺めて、そうして一日の最後の読書に移った。『失われた時を求めて』を一時間、寝床に転がって読んでいるとさすがに意識が乱れるので、二時二〇分になって続行を諦め、瞑想もさぼってすぐに眠りに向かった。