初めは少なくとも九時にならないうちに覚めた記憶があるのだが、そこから何度も覚醒と眠りへの落下を繰り返して、結局確かに覚醒したと言える頃には一一時を迎えていた。そこまで眠ってしまってはかえって投げやりな気持ちになるもので、出かけるまでに(月一回の友人との会合の日だったのだ)大して時間がないにもかかわらず、寝床に留まったままだらだらと過ごして、抜けたのは一一時四〇分頃である。これもなぜ真面目に練習するわけでもないのにそういう欲求が湧くのかわからないが、手慰みにギターを求めて隣室に入ると、そこに母親がいた。もう一二時になっちまうよ、と己の怠惰を嘆いてギターを弄り、それから上階に移った。顔を洗って、米にナスの炒め物で食事を取ったのだが、ここでもすぐに次の動作に移ることができず、どうでもよいようなバラエティ番組を眺めた。母親は、高次機能障害の人々をサポートする仕事の手伝いで、一時前には出かけると言う。下階に戻る頃には一二時半過ぎなので、文を綴るような時間もない。前日の記録を付けたり、インターネットをちょっと覗いたり、歌を歌ったりしているともう一時、服を着替えた。荷物は鈴木道彦訳『失われた時を求めて』第三巻とゼーバルト『目眩まし』に手帳のみ、先日購入した牛革の小型鞄にそれらを入れ、擦り切れたような靴下を履いて玄関を出た。午前中には結構な勢いで雨が降っていた時間があったようだが、この時は止んでいた。また降ってくるだろうことは見越せたが、傘を持つのが面倒だったため、鞄を小脇に抱えるのみで家を発った。頭上の木々から雫が落ちてくるなかを歩いていき、街道を通ってふたたび裏に入った。そうして歩いているうちに、これは電車に間に合わないなと確信された。目当ての電車に乗ってさえ、待ち合わせ時間に一〇分か一五分遅れる有り様だったのだが、それを逃すと三〇分は遅刻してしまう。しかしそのくらいの遅刻でどうこう言うような間柄でもないので、足を速めず走りもせずにてくてくと歩き、駅に入った。身体は湿り気でべたべたで、髪のなかにも水気が籠ってしんなりとしていた。電車に乗ると端の席に就き、鞄を自分の身体の左脇、仕切りとのあいだの隙間に入れ(小型鞄はここに置くことができるのだ、というのが一つの小さな発見だった)、一旦はプルーストをひらいたが、今日話す本を読み返しておくかとすぐに『目眩まし』に変えた。それで、「異国へ」という二つ目の篇の奇妙な点を確認していたのだが、そのうちに、乗客が増えて蒸し暑さが助長されたためか(加えてその頃には薄陽が射しはじめていて、ガラス窓の形に切り取られて床の上に宿っており、その端のほうが座席の上にも角の丸い曖昧な長方形となって人間の代わりに乗っていた)、気分が悪くなってきた――と言っては言い過ぎだが、頭痛の芽が見つかり、内側から額か眉間のあたりを押す感触が感じられ、車に酔った時のような気分の乱れがあったのだ。それでしばらく休もうと一旦本は鞄に戻し、目を閉じて呼吸を数えた。一〇を過ぎたか過ぎないかのうちに数字は失われて、しばらく暗闇に落ちこみ、それから目を開けて、ふたたび『目眩まし』をひらいた。しかしもう立川までさしたる距離もなく、「ドクター・Kのリーヴァ湯治旅」――一九一三年九月に、フランツ・カフカが行ったウィーンやイタリアへの出張旅行を再構成したものである――を一番最初から読み返していくらも進まないうちに、到着した。階段を上がって改札を抜け、人波のなかを行きながら、身を包むざわめきに精神が固くなるのを感じた。緊張と言っては大げさに過ぎるが、周囲から押し寄せる雑音や人々の存在そのものの圧力のようなものに対して、それに押し負けないようにと言うのだろう、内から反発力めいたものが発されて、心身が自然と構えを取るようなのだ。広場に出る前から、正面に見慣れない建物があるなと気付いていた。そこは以前にあったビルが壊されていたのだが、しばらく見ないうちに新しいものが建っていたらしい。角張った形をしており、垂直に切り立ったガラス壁が外側に並べて付された縦の柱で区切られて、表面には駅前広場にある真っ赤に塗られたアーチ状の建造物が映りこんでいた。頭上をまっすぐ見上げると、そのアーチがそびえる実際の姿が見えるのだが、ちょうど屋根の先になっており、いまは雨は降っていないが、そこに溜まった雨水が風によって震わされて像が乱れ、ぼやけるのだった。下り階段のほうへ折れると、視界の先の空は濃い灰色の絵の具を塗りたくられたようで、いまにも降りだしそうだったが、下りて道を行っていると果たして、にわかに降りだして急速に強くなる時特有の大きな粒が落ちてきた。それから逃れて建物に入り、喫茶店を訪れ、友人のいる席に就いた。遅れてすまんと言い、アイスココアを注文して、話を始めた。W・G・ゼーバルト『目眩まし』についてなのだが、それなりに面白いは面白かったものの、どういうことをやっているのか読んでみてもよくわからず解明できなかったし、フィクションと現実の境が融解しているような、と概ねそんなありきたりのことしか話していない。三五ページ付近、「異国へ」のなかで、エルンスト・ヘルベックという語り手の友人が登場してきて、彼らは電車に乗って移動したあと、グライフェンシュタイン城という中世の砦へと登っていき、そこで景観を眺めたあとは徒歩で帰ってくる。こうしたハイキング的な挿話と言い、三四年間の長期に渡って精神病院に入っていたという経歴と言い、「グレンチェックのスーツ姿」で、「頭にはトリルビーに似た小ぶりの帽子」を被っている服装と言い、ローベルト・ヴァルザーを思わせるものがある。加えて、この三五ページには、切り取られてネクタイの結び目のあたりまでしか写っていないものの、まさしく散歩中のローベルト・ヴァルザーらしいスーツ姿の写真が掲載されているのだ。読んでいて初めてこのページに差し掛かった時には、即座にぴんと来て、これはヴァルザーの写真に違いないと確信したのだが、しかしインターネットを検索した限り、同じ画像は発見されなかった(似たようなものはあるのだが、ひらいた上着のあいだを埋めるようにして身体の前に置かれている手の位置が一致しないのだ)。それでやはりヴァルザーではないのだろうかと思っていたところが、その後の検索では、ヴァルザーの写真であるとしているサイトがいくつか見られた。この日の会合ではそれを踏まえて、ここの人物はローベルト・ヴァルザーという作家をモデルにしているのだと思うと紹介したのだが、しかしこの日帰ってきたあとに改めて調べてみると、どうもこのエルンスト・ヘルベックは実在の人物であり、ゼーバルトの『カンポ・サント』のなかで触れられているらしい。お定まりの雑談的な脱線を通ったあと、五時頃には次回の課題書の話になっていたはずである。ゼーバルトの『アウステルリッツ』が、ちらほら見かけた情報によればホロコーストを扱っているらしいと言ったところから、歴史の本も読みたいなという話になって、こちらはやはり二次大戦あたりを学びたいとか、いまなぜか古代哲学のほうに食指が動いているのでギリシア・ローマの歴史も読んでみようかと思っているなどと言った。ともかく本屋に実際に行ってみなくてはということで、会計を済ませ、店を出た。雨はいまだに勢いよく落ちていた。濡れながら駅舎に入り、広場から屋根の下を伝って遠回りをしながら、百貨店のなかにある書架の長い本屋に行った。歴史の並びに入ると、反対側が音楽関連だったので、友人は先に行かせておいて『瀬川昌久自選著作集1954-2014: チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私』を見つけて、蓮實重彦との対談を大雑把に立ち読みした。それからドイツ史の前にいる相手に合流した。Guardian紙にコラムを載せていたティモシー・スナイダーの新著『ブラックアース』が前日か前々日かの新聞広告に載っていたし(慶應義塾大学出版会である)、図書館の新着図書で見かけた覚えもあったので、喫茶店にいる時に名前を挙げていたのだったが、なぜか見当たらず、あるのは前著の『ブラッドランド』のみだった。諸々見ながら、しかし歴史となるとやはり知識が圧倒的に足りないので、課題書として取りあげてもあまり話を膨らませられないよなと話し合った。それから哲学のほうも見てみるかということで書架を移ったが、途中で禅宗などに寄り道しているうちに、相手が便所に行った。待っているあいだに歴史の棚の最初のほうを見ていると、「冷泉家時雨亭叢書」と筆文字で記された『古今和歌集』などの巻が見られて、こんなものがあるのかと驚いた。なかは見なかったが、要するに冷泉家に古くから伝わる古書資料を複写出版したものだろう。値段は覚えていないが、相当に高かったはずである。うろうろしているうちに相手が戻ってきて、哲学の棚を見回ったのだが、やはり求めやすい文庫から選ぶのが良かろうと移動した。平凡社ライブラリー、岩波文庫と移りながらヴァージニア・ウルフのエッセイとかヘンリー・デイヴィッド・ソロー『ウォールデン』とか挙げているうちに、夏目漱石でもいいなと思いついて、どれがいいと問われるのに、『明暗』と最初は答えたが、『吾輩は猫である』もいいなとどちらかと言えばそちらに傾いた。『トリストラム・シャンディ』と合わせて読みたいと以前から思っていたのだ。岩波文庫のものをめくっていた相手も面白そうだと明るい顔つきになって大層気に入ったらしいので、それにしようと決まった。その後文庫の棚を移行していき、講談社学術文庫やちくま学芸、ちくま文庫を眺めた。相手は学術文庫では、近刊の尾崎行雄の回想録を選び、またちくま文庫では、梶井基次郎全集があるのに梶井も面白いとこちらが言ったところ、それも購入を決断していた。こちらはジュリア・アナス(先日読んだ岩波書店の入門書『古代哲学』の著者である)およびジョナサン・バーンズの『古代懐疑主義入門』という本が岩波文庫に入っているのに初めて気付いて、気付いた瞬間にこんなものがあるのかと非常に欲望を感じて、買ってしまおうかとも思ったのだが、積読本の多さを思いだしてひとまず見送ることにした(そして帰宅後に調べたところ、地元の図書館にあることが判明した)。友人が購入を済ませるとエスカレーターを下り、百貨店をあとにした。六時半過ぎだった。雨は既に止んでいたが、歩道橋の下をくぐって伸びていく道路の彼方の空が、地平の際まで柔らかく湿った青に染め抜かれて、地上の空気もその色を分け与えられて黄昏れているなかに、店々の看板の照明が際立って浮かんでいた。通路を歩きつつ、常日頃の癖で、あとで記述する時のためにそれらを頭のなかで言葉に置き換えて記憶に刻もうとするのだが、そのあいだ、意識の一部は常に隣を行く友人のほうを向いていて、観察に全面的に傾斜することができず、なるほど、やはり他人といるとそれだけで事物への没入が阻まれるのだなと再確認した。プルーストが、『失われた時を求めて』のなかに書き付けていたのだったかどうか、出典は忘れてしまったが、自分の人生における最も美しい瞬間というのは必ず一人でいる時にやってくる、一人でいなくては絶対に駄目なのだ、というようなことを述べていたのは、そういうことではないか。相手はこのあと、新宿で別の会合があると言うので、夕食は共にできず、駅まで行って改札のなかで別れた。電車に乗ると扉際に立って、鞄を脇腹と右腕とのあいだに収めて、『失われた時を求めて』三巻をひらいて持った。それで読みながら揺られていたところが、車内アナウンスが入るとそちらに耳が行く。JR東日本からのお願いです、と始まって、スマートフォンを歩きながら使用するのは危険なのでやらないこと、ゲームアプリ等を利用する際は必ず立ち止まって行うこと、などと述べられたあとに、JR東日本からのお願いでした、と終わるのだが、それが道中何度か聞こえるたびに、なぜか必ずそちらに意識が奪われてしまい、やはり携帯音楽プレイヤーは必要なのだよなと思った。それにしても、このようなアナウンスを聞いたからといって、実際に歩きスマホをしなくなる人間などいるのだろうか、やる者はこれを聞こうとやり続けるだろうし、やらない者はこれがなくとも最初からやらないのではないかとも思った。中島義道が確かこうしたアナウンスの類が大嫌いで、この種の不愉快な「騒音」をテーマにした本を書いていたはずだが、そのことを思いだして、わかるような気持ちがした。別に特段苛立つわけでもないが、このようなことをわざわざ公共の場で放送として言わねばならない社会そのものにも小さな反感を覚えるし、こうしたアナウンスに体現されているその過保護さに対しても同じ反感を禁じ得なかったのだ。それはともかく、集中を乱されながらも本を読んでいたのだが、文字をじっと見つめていると立っているにもかかわらず眠気が湧いてくるので、途中で諦めて鞄にしまった。それで窓を眺めていると、外の電灯が流れて行く時に、白であれ黄色っぽいものであれ赤みがかった暖色灯であれみなおしなべて例外なく、その光の周囲に電磁波を纏っているような風に、放電現象の如く細かく振動する嵩を膨らませながら通過していく。それは初めて目にするもので、なぜそんな事象が起こっているのかしばらくわからなかったのだが、途中の駅で少々停車している際に、ガラスに目をやると先の雨の名残りが――と言ってこの頃にはまた降りはじめていたのだが――無数に付着していて、その粒の一つ一つが、いまは静止している白い街灯の光を吸収して分け持っているのを発見し、これだなと気付いた。灯火が水粒の敷き詰められた地帯を踏み越えて行く際に、無数の粒のそれぞれに刹那飛び移り、それによって分散させられ、広げられ、また起伏を付与されて乱されながら滑り抜けて行くので、あたかも乱反射めいた揺動が光に生じ、実際にそうした効果が演じられているのは目と鼻の先のガラスの表面においてなのだが、街灯のほうに瞳の焦点を合わせているとまるで、電車の外の空中に現実に電気の衣が生まれているかのように見えるのだった。それから地元で降り、ベンチに座って読書をしながら乗り換えを待った。再度降りはじめていた雨が次第に強まって、電車に乗って最寄り駅に着く頃にはかなりな勢いだったので、ここでも座ってしばらく読書をしながら雨が弱くなるのを待つことにした。身体をやや反らして横を向くと、自動販売機の向こう、落ちる明かりのなかに雨の線が窺われ、黄線近くに溜まった水の上にはマンションの廊下を照らす白色灯が映りこみながら、雨粒に打たれて乱されている。光のなかに線が見えなくなり、水溜まりもほとんど静まってから、駅を抜けた。坂道の林のなかを通って行くと、ふたたび雨が降りはじめたかの如く音が響き、大きな粒も頭上から垂れてくるのだが、下りきって道に出ると途端に消えて、そのために夜道が殊更静かで穏やかに思えるのだった。九時頃に帰宅すると服を着替えて、夕食にしたが、それから四〇時間ほど経ったいまでは何を食ったのか覚えていない。風呂のあと、部屋に戻ると一〇時半だったらしい。書き物をする気が起きずにインターネットを回ったりギターを弾いたりして、一一時が迫った。何となく落ち着きがなく、そわそわとして集中を妨げるような精神の状態だったので、これではいけないと数分間瞑想をしてから、書き物を始めた。音楽はThe Bad Plus『Blunt Object: Live In Tokyo』を流した。前日の分を済ませるとこの日の記事にも入り、零時を越えて、大して書かずに立川に着いたところまでで中断した。それから新聞を読んだのち、『失われた時を求めて』を読みはじめた。一時直前から二時二〇分まで、一時間半近く読んでいたのだが、それで満足してしまい、そのあとは翌日が休みである気楽さに任せて、電脳世界をうろつき回り、大層夜更かしをして四時を過ぎた。瞑想だけはしようと枕の上に尻を置き、瞑目して呼吸していると、外では朝も近づいて虫が騒がしく合唱しており、新聞屋のバイクの音もその向こうに響く。四時二七分まで座ってから、布団の下に入った。