四時間の睡眠で、六時の目覚まし時計で覚めた。それから少々寝床に留まったらしく、記録によると六時二〇分から一〇分間、瞑想をしている。結構な雨降りの朝で、蟬の声がほとんど聞こえなかったような記憶がある。上階に行き、豚肉の炒め物などで食事を取ると、さっさと室に戻り、歯磨きをしながら諸々の記録を付けた。その後、出勤前に本を読んでおくかと『失われた時を求めて』三巻をひらいたのが、七時八分である。四五分まで読んでから仕事着に着替えて、上がると、雨は激しく降り続けていた。台風が接近しているという話だった。休みになったりしないのと母親が言うのだが、それはないなと払った。行きがてら図書館に寄って本を返してほしいと言う。濡れないように本を透明なビニール袋に入れて、脇に挟みながら傘を差し、無数の雨粒で灰色に毛羽立っている路面を歩きはじめた。街道に出た頃には雨が一層勢いを増して、早くも靴のなかが湿り、スラックスも濡れて膝のあたりが肌に吸い付くようだった。裏通りに入って歩いていると雨はますます苛烈になって、路面全体が一つの帯状の水溜まりと化したようで、踏みだす靴が水の浸潤を逃れる場所もない。開放型の車庫の前に差し掛かると、屋根に打ち付ける雨の音がひらいた空間に反響して、道の傍らに突然川が生まれたかのようだった。甲高い悲鳴を上げる女子高生とすれ違ってまたしばらく歩くと、傘に襲いかかって頭の周りを包む連打音のそれぞれに間隔がほとんどなくてひと繋がりとなり、まるで浸水した船のなかで徐々に水位が高まるように、スラックスの濡れた領域が下からじわじわと上ってくるのを防ぐ術もない。雨音で聞こえないのを良いことに、Marcos Valleの陽気なサンバのメロディを口笛でぴいぴい吹きながら進んだが、図書館へと曲がった頃にはポケットに入れた手の指先に湿り気が触れるまでになっており、靴のなかには水が溜まって足を出すたびに液体を踏む柔らかい感触があった。図書館のブックポストに本を返却してから、再度激しい雨のなかに出て、職場に向かった。到着して戸口の前で傘をばさばさやっていると、扉がひらいて出てきた同僚が開口一番、今日は休講になったと言う。マジすかと受けて、ベテランの二人が(普段も早めに来て鍵を開けているその二人しかいなかったのだが)生徒宅への連絡で忙しくしているなか、とりあえずなかに入った。特段することもないのだが、書類を記入していると、小学生の生徒がやってきて休講だからと言われている。電車が出ているかどうか見に駅に向かったあとからこちらも、僕も帰りますと言って職場を去った。駅に向かっていると前から先の小学生がやってきたので、停まっているかと訊くと、動いていると言う。それでなかに入り、IC乗車券を持ってきていなかったので切符を買って改札を抜けた。電車は九時半が最後で、それ以降は停まるという話だった。ホームに立って前を見ると、斜めに走る薄灰色の針のような線で空中は埋め尽くされており、小学校の校庭を縁取るフェンスのあたりには、漣めいて真横に繰り返し、霧状になった雨が送りだされていた。丘は乳白色を纏って、その濃緑色に視線が届くのを妨げている。そうして周辺を眺めていたが、じきに電車が来て視界が塞がれたので、携帯電話に目を落としていると、近くで止まる者があった。目を上げれば、同僚である。長い路線を辿ってきていま着いたところなのだが、そこで休講の知らせを貰って途方に暮れている。休講は一日すべてというわけではなく、夕刻六時までで(こちらは午前中しか入っていなかったので休日が偶然一日増えることになった)、この同僚は午前に働いたあとあいだを挟んで、その六時の時限からふたたび仕事が入っていたので、実に九時間もの自由時間が発生してしまったわけだ。駅を出てしまえばそれで終わり、この田舎町には遊ぶ場所などないので、九時間の長きを職場で持て余さなければならない。かといって一旦帰宅するというのも、また戻ってくるのが億劫だと迷っているらしかった。一度立川に行って本でも買ってくればいいと言ったが、本でそんなに時間を潰せないと言う。どうしようと相手が鳥の巣のような頭をがしがしやっているうちに、先ほどまで電光掲示板に映されていた九時半発の表示が消えて、おいおいもう停まったのではないかと笑いながら言い合っていると果たして、降雨量が規定に達したので運行できなくなったとのアナウンスが入った。こうなるとやってきた道を戻るしかないのだが、大雨のなかまたびしょ濡れになってスラックスを肌に貼り付けながら歩くのが面倒くさがられて、たまのことだし迎えに来てもらうかと家に電話を掛け、母親に頼んだ。同僚は相変わらずどうしようと悩んでいるのだが、とりあえず職場に連絡してみればと提案し、もう今日は休んでもいいっすかと訊いてみろと唆した。階段口のところで電話を掛けた相手はそうした挑発的なことを言うわけでもなく、低い声ではい、はい、と繰り返していたのだが、切ると、一日すべて休みになったと言った。相手が喜んで跳ね回っているところに、階段下から別の同僚が上がってきたので、今日休みになったらしいですよと情報を共有し、二人と別れて駅を抜けた。ちょうど母親の車が裏通りに入っていくのが見えたので、追って乗り、礼を言った。車内では例のごとく母親が勝手に取り留めのないことを次々と口にして、こちらはそれにほとんど返事もせずに聞き流しているのだが、しばらくした頃に突然母親が、今日お葬式をやっているところもあるんだろうね、とぽつりと落として、何の脈絡もなく葬式の語が口から洩れたその唐突さが引っ掛かった。あたりには特に葬儀を連想させるようなものもなかったはずである。そのつぶやきからちょっと無言が続いて何か寂しげなような匂いが漂うなかで、何の根拠もないが、祖母のことを思いだしたのだろうかと思った。と言うか、こちらが思いだしたので母親ももしやと思ったというのが正しいのだが、それは、祖母の葬儀の日も、雨ではないが、雪が大層良く降ったその天候の乱れと足もとの悪さからの連想だった。帰宅すると室に下り、母親は少しするとパソコン教室にまた出かけて行った。こちらはすぐに本を読みはじめて――『失われた時を求めて』である――九時半過ぎから一一時四〇分まで中断なく文字を追って、読了した。それからインターネットをうろついたり、おそらくギターも弄ったりして、飯を食いに行ったのが多分一時前くらいではないか。読書中、最初は窓をひらいていたが、次第に高まった雨の激烈さに隙間を五センチ程度にせざるを得なくなり、この頃もまだその激しさが続いていて、窓に寄って外を見ると金属質の鋭い線が空間を占領し、斜めにぶれずほとんど直下的にまっすぐ、随分な勢いで落ちていた。昼食は、カレードリアを食った。室に帰ると、一時五〇分頃から書き物を始めたらしい。最初は『Elis Regina In London』を流し、次はCassandra Wilson『Days Aweigh』と女性ボーカルを繋げ、二〇日の記事、二一日の記事と仕上げた。すると四時を過ぎていた。そこからベッドに移ってまた読書(プルーストの合間には山川偉也『哲学者ディオゲネス』を読むことにした)、五時四〇分頃まで読むと、一七分間瞑想をしてから上がった。夕食は麻婆白菜にしようと母親が言う。それで白菜をざくざくと切り、フライパンで炒めてから麻婆豆腐の素を加えて、手早く済ませると室に帰った。ここから夕食までのあいだに何をしていたのか覚えがないので、またインターネットにでも繰りだして気晴らしをしていたのだろう。七時過ぎに上がり、米に乗せた麻婆白菜のほかにうどんを煮込んで食べると、すぐに部屋に帰った。そして八時一七分からふたたび一時間ほど読書をしてから、入浴に行ったようである。風呂から戻ると一〇時だった。そこから二時過ぎまでずっとインターネットを彷徨っていたのだが、沖縄県高江村のヘリパッド建設反対運動が機動隊に排除されるさまを映した動画を見たりなど諸々したあとは、東浩紀と津田大介がSEALDsのメンバー二人と一緒に対談している映像を眺め、それがやたらと長くて見ているうちに時間が経ってしまったのだ。二時二〇分から枕の上に腰掛けて、三〇分間じっと呼吸をし、それから眠りに向かった。