2016/8/30, Tue.

 初めに覚めた時、時計は九時ちょうどで、六時間の睡眠とはまずまずだなと計算した覚えがある。僅かに残っていた夢の断片を反芻し、記憶の奥に吸いこまれてしまったものをも取り返そうとしているうちに、いつの間にかふたたび寝付いていた。一〇時台にも一度覚めたような気がしないでもないが、はっきりと覚醒を覚えたのは一一時五〇分である。九時の時に起きていればと後悔しつつ、薄布団を身から剝がし、枕横の『失われた時を求めて』四巻を取りあげた。それで一二時一五分まで読んだところで立ちあがり、洗面所と便所に行ってきてから戻って瞑想をした。この時既に雨が降っていたのかどうだったか――目で確認はしなかったが、耳が捉えた限り、雨音ではなく前夜の雨で増幅されたらしい沢の音が空間の真ん中あたりに引っ掛かって、泡を立てるように小さく丸みを帯びて膨らんでいたのが印象に残っている。ほかにミンミンゼミの声も聞こえたが、それはさすがにもう薄く、鳴いているのが耳に届くのは一匹のみで、距離も遠いようで、コオロギめいた虫の音と拮抗していた。一〇分座って一二時三五分になると上階に行った。人の気配がないことには気付いていたが、母親はまたパソコン教室に出掛けたらしい。ガスコンロ上の鍋を見ると、シチューのようなほんのり黄みがかった乳白色の液体がなみなみ満たされており、メモによるとそれはカレースープだと言う。前日のゴーヤ炒めとともに、久しぶりに納豆を食うことにして酢を混ぜたものを用意し、新聞を読みながら食事を取った。食後に風呂を洗ってから下階に下って行き、諸々記録を付けたりインターネットを覗いたりしたのち、二時前から書き抜きを始めた。『失われた時を求めて』二巻である。スワンがオデットのなかにボッティチェリの描いたシスティーナ礼拝堂の壁画の娘(エテロの娘チッポラ)の似姿を見出し、いわば芸術に対する審美的な観念でもって女性に対する欲望をコーティングすることで恋に落ちる(その純粋な、肉体そのものの特徴からするとオデットはスワンの好みの女性ではなかったのだ)経緯を描いたくだりなどを長々と写すわけだが、このあたりの恋愛における(あるいはその他の事柄においても)心理の分析はさすがにプルーストの面目躍如といったところで、その洞察力と執拗なまでの書きぶりは賞賛せざるを得ない。この日写したなかにはとりわけ素晴らしいと思われる箇所が一つあって、それは例の、スワンがオデットに会いたくてたまらなくなって夜の通りを彷徨い、ついに遭遇できたあとの馬車のなかで、胸元に挿されたカトレアの花を直すことを口実にして彼女を「ものにする」一夜の場面、その接吻の直前の一段落なのだが、スワンは自分が触れてその「肉体を所有」する以前の、最後のオデットの姿を記憶に残しておきたいとその顔をじっと見つめるのである――自分が「まだ接吻すらしていない」恋の相手の「最後の見おさめ」などという発想は、(実際に濃密な恋愛を経験した者からするとこうした心理はあるいはありふれたものなのかもしれないが)自分が恋愛小説を書くとしてもどうあがいても思いつけないものだと思われて、読んだ時にも勇んでページをメモしたし、今回書き抜きながらも再度びっくりさせられた。件の一節は次のようなものである。

 彼はもう一方の手を、オデットの頬に沿って上げていった。彼女は、物憂く重々しい様子で、じっと彼を見つめたが、それはかねがね彼がよく似ていると思っていたフィレンツェの巨匠の描く婦人たちの目つきだった。彼女らの目のように大きく切れ長で、きらきら光っているオデットの瞳は、飛び出さんばかりに瞼の縁まで引き寄せられて、まるで二粒の涙のように今にもこぼれ落ちそうに見えた。フィレンツェの巨匠の婦人たちが、宗教画のなかでも異教の情景のなかでもみなそうやっているように、彼女も首をかしげていた。そして、たぶん彼女のいつもの姿勢なのであろうか、このようなときにふさわしいことを心得ていて、忘れずにそうするように気をつけている姿勢をしながら、まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く、スワンの方が彼女の顔を両の手にはさんで、少し自分から離してそれを支えた。彼は、自分の思考が大急ぎでそこに駆けつけて、こんなに長いこと温めてきた夢を認め、その夢の実現に立ち会えるように、その余裕を与えてやりたかったのだ――ちょうど親戚の女性に声をかけて、彼女がとても可愛がっていた子供の晴れの舞台に列席させるように。おそらくまたスワンは、まだ肉体を所有していないオデット、まだ接吻すらしていないオデットの、最後の見おさめにと、あたかも出発の日に永久に別れを告げようとしている眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする人のように、その視線をじっと彼女の顔に注いでいたのだろう。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』集英社、一九九七年、 94~95)

 George Adams - Don Pullen Quartet『Live at the Village Vanguard, Vol.2』を聞きながら三時まで書き抜きを行ったあと、youtubeで映画版「スワンの恋」が落ちていないか散策したのだが、断片しか見つからなかった。DVDのほうもAmazonで見た限り一二〇〇〇円とあっては、手が出ない。諦めてベッドに転がり、『失われた時を求めて』の第四巻を読みはじめた。途中で、既に降っていた雨が強まって、アサガオの葉に当たってばたばたと音を立て、その内側にまで入りこんでベッドの上にも散ってくるので、窓の隙間を細くした。四時五〇分まで読んで読書を中断するその少し前、仰向いた顔の前に掲げた本のページから影が失われて、空の白さが明るくなったようだった。本を置いて起きあがり、軽い運動をする合間、上体を振って腹筋を動かしながら窓の外に晴れ間が生まれているのに気付いた。五時を過ぎると上階に行って、夕食のためにピーマンの肉詰めを作りはじめた。こちらが玉ねぎを微塵切りにしているあいだに横では母親がピーマンを処理し、玉ねぎの解体が終わるとボウルでひき肉とともに素手で混ぜた。そこに母親が生姜やニンニクを加え、さらに豆腐も足すと一気に粘りが増して、だいぶ捏ねたところで半分に切ったピーマンたちに詰めていった。そのまますぐに焼いてしまい、ケチャップと焼き肉のたれを混ぜた液体を垂らして完成させると、母親が隣家に持って行ったらどうかと言う。初めはうちで食べれば良いだろうと答えていたのが、分けたって悪いことはない、それどころかむしろ良いだろうと思い直して持って行くことにして、紙皿の上に三つ取りだした。さらに母親がバナナや酢の物も合わせて盆の上に整え、こちらはそれを持ってサンダル履きで外に出た。隣家とのあいだにある細く短い階段を下り、勝手口を開けてこんにちは、と告げた。戸口の周りはやや薄暗く、左側は棚で、右の壁に沿っては調理台やガスコンロが設けられており、正面の奥、電灯の明かりの下にはテレビがあってニュースが映っており、やはり耳が遠いからだろう、結構な音量で声が響いていた。その音でこちらの声が聞こえなかったらしいので、再度、ごめんください、こんにちはと言うと人の気配が立って、老婆が出てきた。挨拶をして用件を告げようと思ったところが、後ろから来た母親が甲高い声で、こちらに口を差し挟ませる隙を与えずに捲し立てるように喋るので、盆を持ちながら黙って突っ立ち、それに任せた。母親はピーマンの肉詰めをこちらが作ったのだということを言い、さらに、結構料理をするのが好きだから、食べたいものがあれば自分でやるんだわ、などと説明をするのだが、これは事実ではなく、料理をするのはそれが好きだからではなく、生計と生活を頼っている身なのでせめて飯の支度くらいは手伝ったほうが良いだろうというなけなしの義務感と孝行心によるものに過ぎない。母親はその点、自分の息子のことを全然理解していないと言って良いのだが、しかしそのくらいのことはこの母親だってわかっていそうなものである。もし幾らかはわかっていながら先のような発言を吐いたのだとすると、それは嘘ということになるのだが、まったく悪意がなく、それを伝えた相手にも何ら迷惑をかけるわけでもないこのような些末極まりない嘘――というのが言い過ぎだとするならば、不正確な言表――は、例えば相手の気持ちを慮ったいわゆる「優しい嘘」や、より規模の大きく純粋に利己的な動機から発される嘘よりも、この場で放たれる必要性も意味もほとんどないというその些末さのためにかえって、真実(などという言葉は大げさに過ぎるのだが)への裏切りを強調し、母親の虚栄心と軽薄さを浮き彫りにするもののように思えるのだった。余計なことを言わなければ良いのに、と思いながらこちらは黙って盆を差し出し、老婆は調理台の上にそれを置いて、ピーマンやバナナを脇に取ると、返してきた。それでまた礼のやりとりがなされるのをこちらも適当に受けつつ、奥のテレビに視線をやると、ニュースは台風の情報を伝えていて、灰色に染まりきって荒れた海の様子が映されていた。老婆は蕗を煮たからと思いついて、サランラップを取りだしてそれを返礼にと分けようとする。母親は後ろから何だかんだと間断なく言葉を放ち、老婆が鍋から蕗を持ちあげるとともに、それまでの言葉からそのまま一繋がりに滑らかに流れこむようにして、あら、上手に作って、などと褒め言葉に移行するのだが、媚を売るようなよそ行きの声音で発されたそのわざとらしい響きが耳に引っ掛かって記憶に残った。蕗を貰うと再度礼を受け、こちらも礼を返して辞し、自宅に戻って行くのだが、玄関下の階段に向かっていく時に、家の側面の線の向こうから彩りを帯びた東南の空が現れて、足を停めた。頭上広くはスポンジのようにしっとりとした薄灰色の雲が敷かれているのだが、市街上空の一角でそれがほつれて、横に棚引く雲の有り様が露わになり、そのところどころが埋めこまれた電球によって内側からぼんやり照らされているように、茜色と橙色と薄紫色の三方から等しく距離を取ってその中心に収まる微妙な色合いで染まっているのだった。それを少々眺めてから家に入り、室に帰るとベッドに転がった。六時過ぎだった。とにかくプルーストを読みたかったので、書き物など後回しだと本を取りあげてページを繰っていたところが、途中で階段下の室から母親が呼んだ。何かと行ってみると、コンピューター画面によくわからないものが出てきたが大丈夫かと問う。見てみると、Adobeの何らかのソフトのアップデートを行っていたので、大丈夫だと説明してベッドに戻った。プルーストはとても面白く、一度目に読んだ時――それは二〇一四年の春先から秋に掛けてだが――よりも遥かにその面白さが見出され、書き抜く箇所も膨大になった。というのは、プルーストの面白さと鋭さの少なくとも一つというのはやはりその考察癖、およそ何でもないような事柄を取りあげては微に入り細を穿つようにして、そこにいちいち分析を加えずにいられない神経症的なまでの種々の考察にあるところを、一度目に読んだ時にはそれらの考察は単純に理解できないものも数多くあっただろうし、また退屈にも思われて多少読み飛ばしていたに違いないのだが、いまでは、椀に残った米を最後の一粒まできちんと拾って食べることが習慣づけられた素直な子どものように、どの一文も飛ばさずに隅々まで読み尽くすことが基本姿勢となっているので、そのおかげでかつては曖昧に靄に包まれていた様々な事柄に光が照射されて、その記述の魅力がより良く理解されたのだった。Brad Mehldau『Live In Tokyo』(あまりに眩くて正視できないばかりの凄まじいピアノ独奏である)を背景に七時三五分まで読んでから、食事を取りに行った。納豆に酢と大根おろしを混ぜたもので米を食い、ピーマンの肉詰めも食べてから下階に戻ると、隣室に入ってギターを弄った。最初はいつものように調子外れにブルースをやっていたところが、じきに突然、かつてバンドをやっていた時代に作った曲のことを思い出して、Gm7・Dm7・EM7・Fという至極単純なその進行に沿って凡庸なアルペジオをひたすら繰り返した。そうこうしているうちに九時が過ぎたので入浴に行き、戻ってきて一〇時から書き物を始めた。BGMはBrad Mehldau『Live In Tokyo』の二枚目である。一時間書いて前日の記事を仕上げ、そこから一一時半を区切りとしてこの日の記事を綴ろうとしたところが、気付けば零時が間近になっていた。新聞を充分に読んでいなかったのだがプルーストを優先することにして寝床に移り、三時前まで二時間四〇分ほど、何物にも――眠気にさえ――妨げられることなくひたすら文字を追った。両親は既に寝付いており、時折り何かに苦しむように発される父親の呻きもこの日は聞こえず、家のなかには何の身動ぎの気配もなく空気が停滞していて、外からは青みがかった硝子色の虫の音が響いているが、それが海の表面を滑って行き来する漣のように間断なく、また立つ種の声もほとんど定期的なまでに一定の調子で立ちあがるため、一つのシーケンスを切り貼りしてループさせたコンピューターミュージックのように、延々と同じものが反復されているように聞こえて、動き進んでいるものと言えば目前に文字として迫る本のなかの世界だけのように思われるのだった。まるで現実は凍りついて時間が流れていないかのようなのだが、実際には勿論時計の針が一刻も休まない勤勉さでその歩みを進めており、この夜に囚われているあいだに本の終わりまで貪り読みたいというこちらの望みなどお構いなしに、朝と夜の分水嶺めいた午前三時の一点を越えようとするのだ。この日の読書は総計で六時間を超えていた。さすがに疲れたので、眠ることにして、瞑想に入った。それが三〇分近くの長さで続いたのは考え事をしていたからで、何を考えていたのかと言えば、ブログに文章を公開するのをそろそろやめにするべきではないかということだった。元々風呂に入っている最中に、頭を泡立ててがしがしとやりながら、そろそろ潮時なのだろうな、少なくともそれが近づいてきてはいると思っていたところが、思考に拍車が掛かって、まるで明日にでもやめるような気になったのだった。理由はいくつかあるが、一つには、近頃ますます加速される己の自分語りぶりを公共の場に晒すことに嫌気が差したということがある。一年か二年前の自分は「だらだらと弛緩した自分語り」を忌避していたのだが、現在の自分の記述は紛うことなくその種の文章と化している――それは書くことの自己拡大の欲望に従った結果であり、自分語りであろうと何であろうと書けるだけのことを書くという方向に転換した方針をいまさら後戻りさせようとは思わないが、今後さらに大きく拡大していくだろうと自分自身には感じられるこの文章は、公開しておくのに相応しくない内容をこの先含むこともあるだろう――例えば、こちらと肝胆相照らしたわけでもない間柄の人間が、自分の外見を事細かに描写されたり、ちょっとした発言や仕草を取りあげてその心理を詳細に分析されているということを知った場合、しかもそれが原理的には誰でも閲覧できる場に発表されていると知った場合、読む者が自分の素性を特定できるかどうかということは別としても、大抵の人間は良く思わず、不快感を覚えるのではないだろうか。この点で他の人間について克明に綴ることとは、そもそも反社会的な側面を持ち合わせているのだが、その反社会性に対抗する自分の道徳心と、書けることをすべて記したいという自分の欲望とのあいだで葛藤が生じる状況は容易に予想されるのだ。それほど親しくもない知人友人の類にこうした営みを行っていることを知られて、非難めいた言葉をぶつけられるという仮の事態を想像してみても、それだけで煩わしくて仕方がない、それだったらさっさとインターネットなどから撤退して、己の日記帳のなかに引き籠ってしまったほうが良い――そう考えたのだ。この夜の瞑想中には結論は出ないまでも、隠遁のほうにかなり傾き、翌日は八月三一日と月末で切りが良いので、この日を最後にブログへの投稿は終わりにするかと思いついて、それがいかにも好ましい考えのように思われもした。三時半前に瞑想を終えると明かりを消して布団に潜りこんだ。読書中もそうだったが意識が冴えきっており、そのために頭が痛いかのようで、瞑想をして脳内を回したためか横になってからも思考が高速で回転して止まらなかった。その空転は何ら有効な考えには辿り着かずに、ただ無秩序に次々と、意味を構成しない言葉や声やイメージを増幅させ、氾濫させていく。それを前にしていると永久に眠くならないかのようで、視界から溢れ出るようにして押し迫ってくるそれらの圧迫感とまともに向かい合うのが嫌がられて、こんな状態を何度も続けたら自分は狂うのではないか、そのうちに統合失調症にでもなるのではないかと不安になったが、狂ったところで今度はその狂いを書き記すだけだと虚勢を張って、窓外の虫の声に意識を逸らした。



 彼の二度目の訪問は、たぶんもっと重要な意味を持っていた。その日も彼女の家へ向かいながら、いつも彼女と会うときにそうしているように、彼はあらかじめ相手のことをあれこれと思い描いていた。彼女の頬はしばしば黄色っぽくやつれていて、ときには赤い斑点がぽつぽつと浮いているので、彼女の顔を美しいと思うためには、その頬をバラ色のみずみずしい頬骨のみに切りつめてしまわねばならず、そのことが、理想はとうてい近づきがたく実際の幸福はつまらぬものであるという証明のように思われて、彼の心を悩ませていた。彼は彼女が見たがっていた一枚の版画を持って行くところであった。少し加減を悪くしていた彼女は、薄紫[モーヴ]色のクレープ・デシンのガウンを着て、その胸のところにまるでコートのように、豪奢な刺繍をほどこした衿をかき合わせながら、彼を迎えた。彼のそばに立って、ほどいた髪を頬に沿って垂らし、無理な姿勢ではなく版画の方に身をかがめられるようにと軽く踊るように片足を曲げ、頭をかしげながら、心が燃えたたないときはひどく疲れて陰気に見えるその大きな目で、じっと版画を見つめている彼女の姿が、あまりにもシスティナ礼拝堂の壁画にあるエテロの娘チッポラに似ているので、スワン(end74 / 75~76は挿画)ははっとした。日ごろからスワンは、巨匠の絵のなかにただ単に私たちをとりまく現実の普遍的な性格を見出すだけではなく、逆に最も普遍性と縁遠いように見えるもの、私たちの知合いの顔の個性的な特徴といったものをもそこに見出して喜ぶという、特殊な趣味を持っていた。こうしてスワンは、アントニオ・リッツォ作の総督ロレダーノの胸像が、頬骨の出かたといい、眉の傾斜といい、彼の馭者のレミと瓜二つであること、ギルランダーヨのある作品の色彩は、実はパランシー氏の鼻の色であること、またティントレットのある肖像画は、はじめて頬髯を貯えたときの頬の肉といい、鼻の割れ方といい、さすような眼差しや血走った目といい、まさにデュ・ブールボン医師そのままであることを見出したのだった。おそらく彼は、社交界でのつきあいや会話に生活を限定してきたことをいつも悔やんでいたので、大芸術家たちでさえ、このような顔を喜んで観察し、それを作品に登場させたという事実に、自分に対して与えられた一種の寛大な許しを見出せると考えたのであろう。その顔によって彼らの作品に、現実や生活に根ざしているという奇妙な証明が与えられ、近代的な味わいが添えられているからだ。おそらくはまた、彼は社交界の人びとの浮薄さにすっかり冒されていたので、古い昔の作品のなかに、若返って今日の人びとの名前を暗示する予言を見出す必要を感じたのかもしれない。ことによると逆に彼はまだ充分に芸術家の本性を備えていて、古い肖像画と実在の原型――ただしその肖像画のモデルになったわけではない人――とのあいだの類似を通して、個々人の特徴がその根から引き離され、解放されているのを見つけるやいなや、そういった特徴がもっと一般的な意味を帯びていることに喜び(end77)を覚えたのかもしれない。いずれにせよ、またしばらく前から彼の覚えていた溢れんばかりの印象はむしろ音楽への愛情から来ていたとはいえ、それがおそらく絵画に対する彼の好みを一段と豊かにしていたためであろうか、このとき彼がオデットとサンドロ・ディ・マリアーノの描いたチッポラとの類似のなかに見出した喜びはさらにいっそう深く、スワンに長く影響を及ぼすことになったのである――そのチッポラを描いたサンドロ・ディ・マリアーノは、むしろよく知られたボッティチェリという綽名で呼ばれているが、そう呼ばれるのは、この名が、画家の真の作品ではなくて、むしろその作品の通俗化された観念、月並みで誤った観念を喚起するようになってからのことである――。スワンはもうオデットの頬の質のよし悪しとか、あるいは、いつか思いきってオデットに接吻することがあった場合、唇がその頬にふれるさいにきっと見出すにちがいないと思われる純粋に肉体的なやわらかさとか、そういったものでオデットの顔を評価するのをやめてしまった。むしろこれを繊細で美しい線のからみあったものと見なし、目でその渦まく線のカーブを追い、項[うなじ]のリズムを豊かな髪や瞼の曲線に結びつけながら、この一本一本の線をときほごしていくのであった――あたかも顔は彼女をモデルにした肖像画であり、そのなかでこのような型の女が理解できるものとなってくっきり浮かび上がってくるかのように。
 彼はオデットを見つめるのであった。彼女の顔、彼女の身体には、壁画の一部があらわれている。そのとき以来、オデットのそばにいようが、あるいは離れてただ彼女のことを思っているだけであろうが、スワンは常に壁画のこの部分をそこに探し求めた。おそらく彼がこのフィレンツ(end78)ェ派の傑作に執着したのは、彼女のうちにそれを見つけたからにすぎないのだろうが、それにもかかわらず、この類似がオデットに対しても美しさを与え、彼女をいっそう貴重なものにしたのである。スワンは、あの大サンドロが見たらきっと愛すべき人だと思ったにちがいない女の価値を、自分が見損なっていたのを責め、またオデットに会うという喜びが彼自身の美学的教養によって正当化されるのを嬉しく思った。彼は考えた、オデットを思う心と幸福の夢とを結びつけたからといって、これまでそう思いこんでいたように自分が不完全な間に合わせのものに甘んじていたわけではない、なぜならオデットは、自分のなかで最も洗練されている芸術の好みを満足させているのだから、と。しかし彼は忘れていたのだ、そうだからといって、けっしてオデットがそのためにいっそう彼の欲望にかなう女になったわけではないことを。なぜならまさしく彼の欲望は、常に彼の美的趣味と反対の方角に向いていたからである。「フィレンツェ派の作品」という言葉は、スワンにたいへん役に立った。この言葉はまるで一つの肩書のように、オデットのイメージを、これまで彼女が全然近づくことのできなかった夢の世界に組み入れることを可能にし、その世界でオデットにも貴族的な気高いものがしみわたったのである。つまり、これまで彼がこの女をただ肉体的にしか眺めてこなかったために、彼女の顔や身体の美しさについて、彼女のすべての美しさについて、たえず疑いの念が起こり、それが彼の愛情を弱めていたのに対し、他方そういった肉体的な見方のかわりにある確実な美学の与えるものを基礎におくと、たちまち疑いは破壊されて、この愛情は保証されるのだった。むろん接吻や肉体の所有も、それが崩れた肉体(end79)によって与えられる場合はごく自然なつまらないものに見えるけれども、美術館に飾られたある作品に対する熱愛を完成するものであるとすれば、超自然的で甘美なもののはずだと思われるのだった。
 スワンが、数カ月前から自分はオデットに会う以外に何もしなかったと考えて、それを後悔するような気持になるとき、彼はこう自分に言いきかせるのだった、言うに言われぬ傑作が、今度だけはまったく異なった素材、そしてとりわけ味わいのある素材のなかに流しこまれ、類い稀な作品に仕上げられており、自分はそれを、あるときは芸術家の謙譲、信仰、無欲さで眺め、あるときは蒐集家の傲慢さ、エゴイスム、官能で眺めているのだ、このようなものに多くの時をさくのはけだし当然ではないか、と。
 彼は自分の仕事机の上に、まるでオデットの写真のように、エテロの娘の複製を置いた。その大きな目を、まだ成熟しきっていない肌をしのばせる繊細な顔を、疲れた頬に沿ってたれ下がっている見事な巻き毛を、嘆賞した。そして、これまで審美的に美しいと思っていたものを実際の女の観念に当てはめて、これを肉体的長所に変形し、その長所が、自分の所有しうる一人の女のうちに集められているのを見て嬉しくなった。自分の眺めている傑作の方に私たちを惹き寄せてゆくこの漠とした共感、それは、スワンがエテロの娘の肉体を持った原型を知った今、一つの欲望となり、オデットの肉体によっては最初のうち刺激されなかった欲望を、今後は補うことになったのである。このボッティチェリを長いこと眺めたあとでは、彼は自分のボッティチェリのこ(end80)とを思い、その方がもっと美しいと考え、そしてチッポラの写真を引き寄せながら、オデットを胸に抱きしめているように思うのだった。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』集英社、一九九七年、74~81)

     *

 ヴェルデュラン家の近くまで来て、けっして鎧戸を閉めることのない大きな窓がランプで明るく照らしだされているのを認めると、それだけでスワンは、この金色の光のなかで自分がこれから会おうとしている可愛らしい女が花開くように顔を輝かせるのを考えて、胸がいっぱいになるのだった。ときには、半透明のランプの笠のほかの部分がすっかり明るくなっているのに、あちこちにはめこまれた小さな絵の部分だけは黒くなっているように、ランプに照らしだされた招待客の影が、スクリーンにほっそりと黒く浮きあがることがあった。スワンはそこにオデットのシルエットを見つけようとした。ついで室内にはいると、自分でも気づかないうちに彼の目が喜びにきらきら輝きはじめるので、ヴェルデュラン氏は画家に向かってこうささやくのだった、「どうやらだいぶ熱をあげてるようですよ」 事実スワンにとってオデットがそこにいるということは、自分が招かれるほかのどんな家にも備わっていないあるものをこの家につけ加えていた。つまり一種の感覚器官、一種の神経網をつけ加えていて、それが部屋という部屋に張りめぐらされて、たえず彼の心に刺激をもたらしつづけるのであった。
 (82)

     *

 階段の踊り場のところで、給仕頭がスワンに追いついた。彼はスワンが着いたときにちょうど席をはずしていたのであるが、オデットから、もしスワンがまだあとから来るようだったら、自分はたぶん家に帰る前にプレヴォの店に寄ってココアを飲むつもりだと伝えるように頼まれていたのだった――しかしそれはもうたっぷり一時間も前のことだという。スワンはプレヴォの店に向かった。だが、彼の乗っている馬車はひっきりなしに、ほかの馬車や、道を横切る人たちに邪魔された。このいまいましい障害物をいっそ轢き倒してしまったらどんなに気がせいせいするだろう、もしそのために警官にあれこれと調べられて、通行人の横断を待つ以上におくれてしまうのでなければ。彼は所要時間を計算し、あまり短くしすぎないために一分につき数秒ずつ余計に加算した。短くしすぎると、早く着いてオデットにまだ会えるというチャンスを、実際以上に大きく思わせかねなかったからだ。そうこうするうちに、まるで眠りからさめたばかりの熱病患者が、今まで自分自身とはっきり区別もできずに反芻してきた夢想のばかばかしさを意識するように、突然スワンは、ヴェルデュラン家でオデットはもう帰ったと言われたとき以来、自分がこね(end86)まわしていた考えの奇妙さ、心の痛みの新しさに気がついた。彼はたしかに苦しんでいたけれども、この苦痛をまるでたったいま目ざめたかのように、ようやく認めたばかりのところにすぎなかった。だが、なんということだろう? 明日にならなければオデットに会えないというそれだけのことで、こんなに血相を変えるのか? ほんの一時間ほど前にヴェルデュラン家に向かっていたときは、まさにこうなることを願っていたのに! スワンは否応なしに認めざるをえなかった、プレヴォの店に自分を連れていくこの同じ馬車のなかで、自分はもはや今までの自分と同じではなく、また自分一人だけでもない、自分とともに新たな存在がそこにいて、自分にぴったりとはりつき、自分と一体になり、彼はその存在を振り払うこともおそらくできないだろうし、今後はまるで主人や病気に対してそうするように、この存在とよろしく折りあっていかねばならないだろう、と。にもかかわらず、一人の新しい人物がこのように自分につけ加わったことを、ついいましがた感じて以来というもの、彼には人生がこれまで以上に興味深いものに思われだした。ことによるとまだプレヴォの店で彼女に会えるかもしれないが(その期待のために、それに先立つ時間はすっかり台無しにされ、むきだしにされてしまったので、彼にはもうなんのアイディアも浮かばず、心が安まるような思い出も何ひとつ見出すことができなかった)、もし仮に会えたとしても、ほかの場合と同様にこれもおそらくつまらぬものになるだろうということを、彼はほとんど考えようともしなかった。いつもの晩のようにオデットと二人きりになるやいなや、彼はこっそりと、くるくる変わる彼女の表情に視線を走らせるだろう。だが彼女がそこに欲望の前ぶ(end87)れを読みとって、スワンが自分に無関心でなくなったと思うといけないので、すぐその視線をそらせ、もう彼女のことを考える余裕もなくなるだろう。なぜなら彼がすぐ彼女から離れていかない口実、たいして執着しているような素振りも見せずに、それとなく翌日ヴェルデュラン家で会えるかどうかを確かめられるような口実、つまり彼が近づいていきながら思いきって抱きしめるわけでもないこの女の空しい存在によってもたらされる幻滅と苦痛とを、さしあたりは引き延ばし、それをもう一日繰り返すための口実、そういった口実を探すのに汲々とすることになるからだ。
 (86~88)

     *

 彼はもう一方の手を、オデットの頬に沿って上げていった。彼女は、物憂く重々しい様子で、じっと彼を見つめたが、それはかねがね彼がよく似ていると思っていたフィレンツェの巨匠の描く婦人たちの目つきだった。彼女らの目のように大きく切れ長で、きらきら光っているオデットの瞳は、飛び出さんばかりに瞼の縁まで引き寄せられて、まるで二粒の涙のように今にもこぼれ(end94)落ちそうに見えた。フィレンツェの巨匠の婦人たちが、宗教画のなかでも異教の情景のなかでもみなそうやっているように、彼女も首をかしげていた。そして、たぶん彼女のいつもの姿勢なのであろうか、このようなときにふさわしいことを心得ていて、忘れずにそうするように気をつけている姿勢をしながら、まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く、スワンの方が彼女の顔を両の手にはさんで、少し自分から離してそれを支えた。彼は、自分の思考が大急ぎでそこに駆けつけて、こんなに長いこと温めてきた夢を認め、その夢の実現に立ち会えるように、その余裕を与えてやりたかったのだ――ちょうど親戚の女性に声をかけて、彼女がとても可愛がっていた子供の晴れの舞台に列席させるように。おそらくまたスワンは、まだ肉体を所有していないオデット、まだ接吻すらしていないオデットの、最後の見おさめにと、あたかも出発の日に永久に別れを告げようとしている眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする人のように、その視線をじっと彼女の顔に注いでいたのだろう。
 (94~95)