2016/9/1, Thu.

 やはり朝のことを思いだせないが、記録によれば九時半までの睡眠となっている(二時五〇分就寝として、六時間四〇分である)。しかし携帯電話を弄りまわして、実際に寝床を抜けたのはそれからだいぶ経っていたはずだ(正午に近かったかもしれない)。前日に続いて、快晴の日和だった。食事は、父親が買いはしたものの持ち忘れていったというピザパンがあったので、それを電子レンジで温めた。ほかに卵とワカメの汁に鮭、そして大根おろしを混ぜた納豆とともに米も食べ、下階に戻ると随分とだらだらした時間を過ごしたらしい。書き付けてあるメモによれば、二時半からようやくEvernoteの画面に向かい合って、前日の諸々の記録を付けた(母親はこの頃既に、パソコン教室に出掛けていたはずだ)。それから、きっと身体が凝っていたのだろう、すぐに書き抜きや書き物には取り掛からずに、ベッドに寝転んで、ジュリア・アナス/大草輝政訳『プラトン』を読んだ。三時半まで読書をしてから、七分の短い瞑想を行って、『失われた時を求めて』二巻の書き抜きに入った。David Newman『Fire!』を後ろに流した(このVillage Vanguardでのライブを収めた盤は売却のほうに分類された)。太陽が光を空気に満たしているよく晴れた日なのだが、さすがに夏の盛りのような暑さはもはやなく、シャツを脱がなくても充分堪えられる気温で、汗は勿論かくが玉を作るわけでもなく、肌のべたつきはそこまでではない。ジュリア・アナスの入門書はこの日一日でさっと読み終わり、『失われた時を求めて』の五巻を読みはじめたかったのだが、そのためには五時までに図書館を訪れて続きを借りる必要があった。どうせなら二巻の書き抜きも終えて同時に返却したいものだったが、進む時計の針と作業の進捗を見比べた限り、あと少しのところで終わらなさそうに見えたので、返却は後日として四時二二分に中断した。部屋を出て、濡らしたタオルで肌を拭こうと上の洗面所に行くと、女性物のデオドラントシートがあったのでそれを使い、新しい肌着を身に付け、外着に着替えた。手ぶらで玄関を抜け、自転車を引きだして出発した。坂を上って行くと、出口のあたりで道の端に点々とした木洩れ陽が映っている。街道に出ると背後から陽が、何にも遮られることなく射したが、背やうなじのあたりに触れるそれは液体質のものではなく、仄かな温もりをもたらすのみだった。裏通りに入ってだらだらと走っていると、前方に、体操着姿の女子中学生三人が並んで歩いている。そのうち二人の後ろ姿に見覚えがあるようだったが、近づいてみると果たして思った通りの二人で、歩いている横から顔を向けて視線を送っているとあちらも気付いた。八月中盤あたりからほとんど塾に来なくなったことを指摘すると、何とか言ってみせたが、別に来たくなければ来ないで良いとこちらは思っているので、そのように言った。見分けられなかった残りの一人も職場で見たことのある女子だったが、八月だけとか何とか言っていたので、夏期講習のみの生徒だったのかもしれない。それからゆっくりと彼女らに併走しつつ多少の言葉を交わして、坂の途中の横断歩道を渡るのを機に、別れて先に進んだ。踏切を渡って図書館の敷地に入って自転車を停め、入館するとすぐに書架から、『失われた時を求めて』の五、六巻を引き出し、カウンターにお願い致しますと声を掛けて貸出手続きをした。もう閉館の五時直前だった。それから再度自転車を駆って、来た道を戻った。落ちる西陽がまだ隠れずに、ほとんど常に正面から顔にぶち当たって目を細めさせ、西の空の際を薄めてその青さを光のなかに吸収している。光のなかを渡って帰ると、さすがに汗ばんでいた。シャツをすぐに脱いで室に帰り、ハーフパンツに着替えると、ポルノを閲覧し、射精をした。それからベッドに転がってジュリア・アナス『プラトン』を読み、少々うとうとしているうちにあたりが暗んできて、そろそろ何かしら食事の支度でもと思って上に行くと、ちょうど母親が帰ってきたところだったらしい。先日買ったホットプレートを使って、肉を焼いてみようと言う。それなら簡単なのでこちらのやることはないなと、戻って本を読もうと思ったところが、プレートの準備をしてだの何だの言われて結局留まらなくてはならない。空腹を押しつつ七時半までものを読もうと思っていたのだが、葱の切れ端をじゅうじゅう熱しているプレートを前にするうちに諦めて、もう食事を取ることにした。米がないのでうどんを煮込むことにして、玉ねぎとキャベツを切って鍋をぐつぐついわせているあいだに、母親はもう肉やピーマンやナスを焼きはじめた。うどんを作るとこちらも卓に参加して、やや煙臭いなかで牛肉やら焼き野菜やらを食い、麺を啜った。食事のあと、一旦下階に帰ったのか、それともすぐに風呂に入ったのか、それすら覚えていない。メモによると、入浴を済ませてから他人のブログを読んだりしているうちに、一〇時を迎えたらしい。そうして、Brad Mehldau『Live In Tokyo』を共連れに書き物に移った。書きながらも、 "My Heart Stood Still" の後半、入り乱れる両手の交錯に耳が吸い寄せられて思わず手を止め、しばらく聞き入った。口のなかが汚れている感じが気持ち悪かったので、途中で歯磨きなども済ませつつ進めて、公開する最後の記事ということもあって後半はうだうだと自分を語って、結局仕舞えるのは一時二〇分になった。三時間と一〇分を費やしてしまったわけである。それをブログに公開するとベッドに移り、静かな夜のなかで読書に耽った。ジュリア・アナス『プラトン』は読み終え、『失われた時を求めて』四巻の月報も読んでから、瞑想――三時五分から二〇分まで――を行い、就寝した。



 しかしこれらの名前は、そういった町について私の持っていたイメージを永遠に吸収したけれども、そうするにあたってそのイメージを変形してしまい、それがふたたび私のうちにあらわれる場合にも、名前固有の法則に従わせてしまった。こうして名前は、一方ではイメージを美化することになったが、また現実のノルマンディやトスカナの町の姿とは異なったものにする結果と(end363)なり、さらに、私の想像の勝手気ままな喜びを増大して、未来の旅の幻滅を深刻なものとすることになったのである。それらの地名は、地上のいくつかの場所をいっそう特殊な、それゆえいっそう現実的なものとし、それらの場所について私の抱いている観念を高揚させた。私はそのころ、町や景色や遺跡などを、いずれも同じ一つの材質のものから切りとって作られた玉石混淆の何枚かの油絵のように考えていたのではなく、その一つひとつが未知のものであり、本質的に他と異なっており、私の魂がそれを渇望しているもの、魂にとって知ればためになるもの、と想像していたのである。町や景色や遺跡は、このような名前、自分のためにだけある名前、人間の持っているような名前によって指し示されたために、どんなに個性的なものを身につけたことだろう! 言葉というものは、さまざまな物について、明白でなんの変哲もないささやかなイメージを提供するのであって、それはちょうど、仕事台、鳥、アリの巣などがどんなものかを子供たちに例示するために、教室の壁に張られた絵図、すべて同じ種類のものは似たりよったりだと考えて作られた絵図のようなものだ。これに反して名前というものは、さまざまな人間について、また町について――名前のおかげで私たちは、町も一人ひとりの人間と同様に、個別で独特なものと考えるのに慣らされているのだが――一つのあいまいなイメージを提供し、そのイメージが名前から、またその名前の華やかだったり暗かったりする音の響きから、イメージ全体を一様に塗りつぶしているあの色彩を引き出しているのである。あたかも、全体が青に、または全体が赤に染められたポスターのなかで、用いられている方法の限界のために、またはデザイナーの気紛れのために、(end364)空や海だけでなく、小舟や教会や通行人までが、青く、または赤くされているようなものだ。『パルムの僧院』を読んで以来、パルムは私が一番行きたいと思う町の一つとなったが、この名前は、小さくまとまった、滑らかな、薄紫[モーヴ]色の、心地よいもののように見えたので、いずれ泊めてもらうことになるかもしれないパルムのどこかの家のことが話題になったりすると、私は自分が、滑らかな、小さくまとまった、薄紫色の、心地よい住居に住むのだと考えて嬉しくなるのであったが、その住居たるやただ単に、まったく空気のよどんだパルムという地名のこの重い音綴[シラブル]と、私がその音綴に吸収させたすべてのスタンダール的なやさしさやパルムスミレの輝きの助けをかりて想像したものにすぎなかったから、イタリアのほかのどんな町の住居とも関係がないのであった。またフィレンツェのことを考えるとき、それは花冠にも似た、不思議な香りのこもる町を思い描くような気がした。なぜならフィレンツェは百合の都と呼ばれ、フィレンツェの大聖堂はサンタ=マリア=デル=フィオーレ(花のサンタ=マリア)と呼ばれていたからだ。バルベックはどうかといえば、これは、ちょうどノルマンディの古い陶器がその素材となった土の色を保っているように、今は廃止されたある慣習とか、なんらかの封建的な権利とか、その土地の昔の状態とか、すたれた発音の仕方とか、いまだにそういったもののしるしが描かれている名前の一つなのであった――そのすたれた発音の仕方がかつては奇妙な音綴の地名を形成したのだが、今でも、私がバルベックに着くとカフェ・オ・レをすすめて、教会の前面で荒れ狂っている海を見に連れていってくれるような宿の主人、ファブリオの登場人物にでもありそうな、議論好きで(end365)重々しく、中世的な風貌をしていそうに思われるこのような人物の言葉づかいに至るまで、そこに昔の発音が見出されるだろうと私は信じきっていたのである。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』集英社、一九九七年、363~366)

     *

 だからもし空模様があやしいと、私は朝からたえず空ばかり気にして、どんな前兆も見逃すまいとした。もし向かいの家の婦人が、窓辺で帽子をかぶっている姿を目にすると、私はこう自分に言いきかせた、「あの女の人は出かけるんだぞ。だから、出かけられるお天気というわけなんだ。どうしてジルベルトがあの女の人みたいに、出かけないなんてことがあるだろう?」 だが、空は暗くなっていき、母は、また晴れるかもしれない、ちょっとお日様がさしてくれさえすりゃいいんだけど、でも、たぶん雨になりそうね、と言う。もし雨が降りはじめたら、シャンゼリゼに出かけて行ったところで何になろう? だから昼食がすむと私の不安な眼差しは、はっきりしない曇った空からもう離れることができなかった。空はいつまでもどんよりとしている。窓の前ではバルコニーが灰色をしている。と、突然、そのバルコニーの陰気な石の上に、これまでより明るい色を認めたわけではないけれども、明るい色に向かおうとする努力とでもいったように、自分の光を解き放ちたがっている躊躇いがちな一条の光線の脈搏っているのを、私は感ずるのだった。一瞬の後、バルコニーは青白くなり、朝の水面のように光を照り返し、またその手すりの(end378)金物の無数の反映が、いつの間にかそこにやって来てとまっている。さっと風が吹いて、手すりの影を吹きとばし、石はふたたび暗くなるが、まるで飼いならされたように、影はまた戻ってくる。石は人目につかぬくらいにまたもや微かな白味を帯びはじめ、音楽で<序曲>の終わるころ、単一音に中間のすべての段階をたちまち通過させて一気にそれを最高のフォルティシモへと導くクレシェンドのように、その石が持続的なクレシェンドによって、晴れた日の変わることなく固定したあの黄金の色に達するのを、私は見るのであった。その金色の上には、細工をほどこした手すりの影が、勝手気ままな植物のようにくっきりと黒く浮き上がり、そのどんなわずかな細部の輪郭にもあらわれる精緻さは、製作者の旺盛な熱意と満足感とを示しているように思われたし、またそのどっしりとした暗く心地よげな形が、浮き彫りのように、ビロードのように、静かに休息しているさまを見ると、太陽の湖に憩うこの幅広い茂みの反映は、自分が静穏と幸福との保証であることを知っているようにも思われるのであった。
 (378~379)

     *

 けれどもシャンゼリゼに着き――そして私の愛情に必要な修正を加えるために、まずその愛を、私とは別にその愛の生きた原因になっている当の本人と、いざ照らしあわせてみようとして――ジルベルト・スワンの前に出るや否や、疲れた記憶力ではもはや見つけ出せなくなったイメージを新たにするために私が期待をかけ、会いたいと願っていたあのジルベルト・スワン、昨日もいっしょに遊んだし、また、歩くときに考えるまでもなく本能的に左右の足を出すように、盲目的な本能がたったいま私にその姿を認めさせ挨拶させたあのジルベルト・スワンと、私の夢の対象であった少女とは、まるで二人の異なった存在であったかのように、すべてが進行するのであった。たとえば前日から記憶のなかで、ふっくらと輝いている頬のなかの火のように燃える両の目を思い描いていたとする。ところが今やジルベルトの顔がしつこく提供しているのは、まさに私が思い出さなかったもの、鼻の鋭くほっそりとした形といったもので、それがたちどころに他の特徴と結びつき、博物学において一つの種を定義する諸性格のような重要性を帯び、彼女を、とがり鼻の娘という種類に属する一少女に変えてしまうのだった。私がこの待ちのぞんだ瞬間を利用して、そこに来る前に準備しておいたジルベルトのイメージ、しかしもう頭のなかでは見出せなくなっていたジルベルトのイメージの上に焦点を合わせ、こうして自分が一人きりになる長い時間のあいだに思い出すのがまさしく彼女のことであり、また一つの作品を仕上げていくように少しずつふやしていくのが、まさしく彼女に対する愛であるという確信をつかもうと身構えているあいだに、ジルベルトはもう私にボールを渡そうとしている。そして、観念論の哲学者が、頭で(end387)は外界の実在を信じていなくとも肉体では外部世界を考慮に入れてしまうように、ジルベルトだと認めるより早く彼女に向かって私に挨拶をさせたその同じ自我が、彼女のさし出すボールを大急ぎで受けとらせ(あたかも私はジルベルトと遊ぶために来たのであって、彼女は単なる遊び友だちにすぎず、私がそこに合体するためにやって来た心の通いあう異性の友ではないかのように)、またその同じ自我が、彼女の帰るときまで、礼儀正しく、愛想のよい無意味な多くの言葉を口にさせ、こうして、もし黙っていればどこかへ紛れこんだ急を要するイメージをついに自分の手でとらえ得たかもしれないのに、私が沈黙を守るのも邪魔すれば、二人の愛を決定的に進め得る言葉を彼女に向かって述べるのも妨げてしまうので、そのたびに私は、もはや翌日の午後でなければ恋の進展を期待できなくさせられてしまうのであった。(……)
 (387~388)

     *

 いま一度は、例によって、古典劇を演ずるラ・ベルマを聴きたくて夢中だった私が、ジルベルトに、ベルゴットがラシーヌについて語っている仮綴じの本を持っていないだろうか、もう絶版になっているのだけれど、とたずねたときである。彼女がその本の正確な題名を教えてくれと頼むので、私はその日の夕方、彼女に速達を送り、何度となくノートに書いたあのジルベルト・スワンという名前を封筒に記したのであった。翌日彼女は、だれかに探してもらった本を包みにし、薄紫[モーヴ]色のリボンをかけ、白い封蠟をして持って来てくれた。「ほら、これがあなたに頼まれた本でしょ」と彼女は、私の送った速達をマフから引っぱり出しながら言った。しかし、この速達(end389)――昨日はまだ何物でもなく、私の書いた封緘速達にすぎなかったのだが、電報配達人がこれをジルベルトの門番に手渡し、召使いがこれを彼女の部屋まで運んだので、それからはきわめて貴重なもの、つまりその日ジルベルトの受け取った速達の一つとなったこの手紙――に記されている宛名を見ても私は、自分の字体で書かれた空しく孤独な文字をなかなか認めることができなかった。その文字の上に、郵便局でおされた丸いいくつかのスタンプや、配達人の一人が鉛筆で書き加えた文字などがかぶさっていたからで、こういった、本当に現実の手紙として届けられたしるしや、外界の刻印や、人生を象徴する紫色の帯状の文字などは、はじめて私の夢を受け入れ、その夢を維持し、引き上げ、喜ばせてくれたのである。
 (389~390)

     *

 さしあたり私は、ジルベルトが書いたのではないけれども、少なくとも彼女から来たものである一ページを読みかえしてみるのだった――これはラシーヌが想を得た古い神話の美しさにかんする例のベルゴットの文章で、私はそれをいつも瑪瑙の玉と並べて手許においていたのである。私は、この本を探してもらってくれた彼女の好意に、胸が熱くなった。ところで、だれしも自分の情熱にいろいろもっともな理由を見つけたいものであり、揚句のはてに文学や会話のなかなどで愛情をかきたてるにふさわしい資質とされているものを、勝手に自分の愛する人に認めて喜んだり、またそうした資質が、自然のままの愛情が求めるであろう資質とたとえ正反対でも、真似をしてそれを同視し、またそれを自分の恋の新たな理由にするなどというところにまで至るもの(end400)だ――かつてスワンが、オデットの美しさの美学的特徴を求めたように――。それと同様に、私ははじめコンブレー時代から、ジルベルトの生活のすべての未知の部分のために彼女が好きになり、もはや何の価値もないと思われた自分の生活を見棄てて、その未知のもののなかにとびこみ、そこに一体化したいと思ったものだが、今では計り知れない好運を思うように、ジルベルトがいつかこの私の生活、あまりにもよく知りつくされ、無視されている生活の、へりくだった召使いになり、便利で気持のよい協力者となって、夜になると私の仕事を助けて仮綴じの本をあれこれと調べてくれるかもしれないと考えるのであった。ベルゴットにかんして言えば、私がはじめジルベルトに会いもしないうちから彼女が好きになったのは、このどこまでも賢く、ほとんど神々しいとすら言える老作家のためだったが、今ではとくにジルベルトが原因で、ベルゴットが好きなのであった。私はベルゴットがラシーヌについて書いたページを読むのと同じくらいの喜びを覚えながら、ジルベルトがその本を包んで持ってきてくれた包み紙、白い大きな封蠟で封をして薄紫[モーヴ]色のリボンが波のようにかかっていた紙を、眺めるのであった。(……)
 (400~401)