2016/9/8, Thu.

 七時台に覚めて意外の感を受けた覚えがある。しかし、晴れ晴れとした確かな覚醒と起床を手にすることはできず、ふたたび寝入って、甘美で安穏とした柔らかい朝寝を続けて、一一時を越えた。さすがにその時間にもなると、これ以上眠ってもいられないという危機感が働く。ところが身体がまだ起きあがるだけの気力を集められていないので、意識をまた落とさないための努力として、寝返りを打ったり、頭の後ろに手を組んで片脚を片膝の上に載せたりした。アサガオの葉の合間に覗くのは、白い空である。一一時四〇分頃になって頭がしっかりとしてきたが、やはりまだ寝床を抜ける気にならない。それで例によって携帯電話を取ってウェブを回り、一二時半前になったところでようやく床から離れた。家内には母親の気配がなかったが、まどろんでいるあいだに隣室に来ていたような記憶があったので、入ってみると、彼女は兄のベッドに仰向けになって携帯電話を顔の前に掲げていた。昼食は焼きそばにすると言う。ギターを弄って、ペンタトニックスケールに沿ってブルージーなフレーズを適当に奏でたあと、上階に行った。顔を洗ってから、釜から払った米が椀に盛られていたので、それを卓に運んだ。前夜の茄子とピーマンの炒め物をおかずに米を食っていると、即席の焼きそばを母親が持ってきて、半分取り分けた残りの容器をこちらに渡した。それで新聞を見ながらそれも啜って、一面と、今上天皇生前退位に関する記事――皇室典範の改正は行わず、一代限りの特別措置法制定で対応する予定だと言う――まで読んだあと、持ってきていた薄水色のハードカバー(マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方Ⅰ』)をひらいたが、テレビが邪魔になっていくらも読めない。皿を空にしたあとさらに、冷凍のピザパンがあると言うのでそれも食べて、席を立った頃には、一時半も近いか、あるいは過ぎていたのではないか。台所で皿を洗っていると、母親がザッピングしたテレビに一瞬、古い時代の映画が映って、いまのは何かと番組を戻してもらった。食器を片付けてソファに移り、見てみると、どうも昔のアメリカ映画らしい(アメリカについてなどほとんど知らないのに、雰囲気でそうした見当が付くのは不思議なことだ)。南北戦争あたりだろうかと街路に馬車が点在しているのを見て何とはなしに思って、そこからマーガレット・ミッチェル『風とともに去りぬ』の名を思い出して、口にも出した。それ以前に『若草きょうだい』ではないかと言っていた母親は、こちらの言には否定的ながらも、スカーレット・オハラだっけと口にしたのだが、その瞬間には何とも思わなかったものの、いま振り返ってみると母親が『風とともに去りぬ』の主人公の名前を知っているというのは、一つの驚きである――それだけ人口に膾炙した作品であり、映画であったということなのだろう。番組は地域放送局のなかの一つのチャンネルだと言うので、手近にあった番組表を取って調べてみると、これも驚くことに母親が挙げた(名前は正確ではなかったが)『若草物語』で正解だった。それを確認してから(確か風呂を洗って)、下階に戻り、コンピューターを再起動させて二時前から日記の読み返しを始めた。毎日の記事の記録欄に「日記」の項目を設けて、何かしら引っ掛かった記述を引用したり、注釈のような形でコメントを付したりした。一年前の九月八日、さらに二年前のそれも読み返したのち、半年前の三月八日の記事もひらいたが、さすがにこちらは、あまり真面目に読む気にならない前二つに比べればそこそこは読める。この頃から書き方が少々変わって広がっていったのだということを記していると時間が掛かって、二時二〇分になった。身体がひどく凝り固まっていたので書き物をする気にはならず、ベッドに逃げて、『失われた時を求めて』を読みはじめた。同時に膝で脹脛を刺激し、ほぐすのだが、この効果は絶大で一時間ほどやっていると身体が非常に楽になった――正確にはまず、眠気とともに身体に重りを括りつけたような、細胞が隅のものまでなまったような時間が訪れたのだが、ちょっとまどろみながらそれを通過すると血が行き渡ったように、身が非常に軽くなったのだ。読書中には、雨が降りはじめた。不安定に波打ちながら高まる時には結構な強さに達する雨で、アサガオの葉を叩く音が響き、その内側の網戸にも白い粒がいくつか引っ掛かったが、窓を閉めることはせず、レースのカーテンを引くだけに済ませた。そのカーテンが時折り、風に誘われて網戸のほうに吸い寄せられては、掴まっていられなくなり、また離れる。四時前まで書見をして『失われた時を求めて』五巻は読了し、便所に行ってきてから瞑想をした。その最中に、Twitterを使ってまた文章を発信するのも一つの手だなと思いついた――発信欲と隠遁とのあいだを繋ぐ折衷案の一つとして、毎日の日記からうまく書けた箇所を断片的に公開するというものがあったわけだが、それをするのだったらブログよりもTwitterのほうが適した場だろうと気付いたのだ。実のところ以前にも、ロラン・バルト『偶景』を引き継ぐべく同じことを試みたことはあるのだが、まったく続かなかった。ただいまのところはこの完全な隠遁に自足しており、日々の文章を誰かに読んでほしいという欲求を感じないので、いますぐに実行に移すつもりはない――そうした欲求が高くなってきた場合の一案として頭の片隅に留めておき、呼吸を繰り返した。深くゆっくりとした息を吐いているうちに、身体がさらに軽くなる感触があった。それから、コンピューター前に移って作文を始めた。前日の記事を冒頭から四〇〇〇字近く綴って仕上げると、五時半をちょうど回ったところだった。上階に上がって行くと、居間には何の明かりも灯されておらず、単調な曇りの夕暮れの空気に包まれており、母親が作業をしている台所すらも暗んだままだった。飯を何にするのかと訊けば、カレーを作ると言って、既に鍋で材料を炒めている。こちらはアイロン台を出してシャツやエプロンの皺を伸ばし、それから食事の支度は任せて部屋に帰った。英語を読むことにした。部屋に入った時から外が薄く赤らんでいるようなのを目に留めていたが、ベッドに横たわって読んでいるうちに色みが強くなってくる。排煙のような雲がほとんど空全体を覆って、それに姿は見えないがいま西の奥で落ちていこうとしているはずの陽の色が僅かに反映して、そこから空気中にも洩れだしているのだ。Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraを読みながら、寝返りを打ったり姿勢をちょっと変えたりする際に目に入る窓の外が、刻々と色を変えており、ほとんど二分くらいの間隔で、初めは茜色だったのがピンクの色味が強まって薔薇色へと移り、薔薇色から今度は紫が増して熟したようになってきて、薄紫の段階を通過すると青さへと復帰し、ただしその青は陽の気配がまだかろうじてあった時のそれとは質が異なって冷え冷えとしたような調子で、六時一〇分頃にもなると空気はそこから動かなくなり、あとは明るみを失っていくのみだった。英語の次は六時半から、夏目漱石吾輩は猫である』を読みはじめた――これは九月一七日の土曜日に控えている会合での課題書である。七時一〇分までそれを読んでから、夕食へと向かった。鍋に並々満たされたカレーをかき混ぜ、ひき肉をたくさん掬って米の上に掛けた。ほかにサラダなどもちょっと用意して卓に就き、昼に読んだ新聞の続きを読みながら二杯を食べた。室に帰るとほぼ八時で、久しぶりに歌を歌いたい気分になったので、窓を閉めて扇風機を点けた。最初に流したのは確か、Stevie Wonderの "Sir Duke" である。それから "Don't You Worry 'Bout A Thing" だとか、Jamiroquaiだとかを口ずさんだ。 "Don't You Worry 'Bout A Thing" と言って思い出されるのは以前youtubeで見かけた、少年多重録音のコーラスでこの曲をカバーしている音源で、大層な出来だった覚えがあって検索し、閲覧してみるとやはり大層な出来だった。Jacob Collierという人で、その後もっと広く陽の目を見たようでWDRビッグバンドとの共演音源が関連動画に出て来たりと、本格的な活動も始めているようで、ちょうどこの九月二日三日にはBlue Note Tokyoでも公演をしたらしい。こちらより四つ年下のまだ二二だか二三だかで、大した才能と言うべきなのだろう。アカペラコーラスでさらにIdea of Northが連想されて、ひどく久しぶりに "Siste Sadie" を四人が歌う動画なども眺めたあと、Stevie Wonderの曲に戻り、またちょっと歌ってから風呂に行った。九時過ぎだった。湯に浸かっているあいだにVirginia Woolf, To The Lighthouseの朗読を収めたCDや、Katherine Mansfield, At The Bayの朗読音源の存在を思い出した――英語の習得法として、毎日それらの音源を聞く時間を作るのはどうかと思いついたのだ。To The Lighthouseのそれは非常に長いので無理があるが、At The Bayのほうは前後半でそれぞれ(あとで調べたところでは)四四分ずつ、毎日一〇分ずつ聞いたとしても九日で一周できる。そのようにして繰り返し聞きこみ、暗唱できるくらいにしてしまうのはどうかと考えたのだったが、どちらにせよまずは原文を通読してからでないとあまり意味はないので、いますぐに取り掛かれる話ではない。そこでさらに、毎日決まった作品に触れるという点から連想したのが、『族長の秋』である。文学や小説の世界に踏み入りかけていた自分をさらに引きずりこんでそこから抜けられなくしたこの作品の言葉を、(『イリアス』と『オデュッセイア』を毎日七八行ずつ、死の直前まで一日も欠かさずに読んでいたという河野与一のように)日々読み続けたいものだとは以前も思ったことがあって、しかしいざ始めても続かなかった。それがこの頃では毎日の記録という有効な継続法を見つけたので、実現できるのではないかと思ったのだ。それで風呂から部屋に戻ると、コンピューターを再起動させる間に、早速単行本の、カバーはとうに取り払って濃褐色の姿が剝き出しになった『族長の秋』を読んだ。その他の短編も収録されているこの新潮社版で『族長の秋』は一三九ページから四二三ページまで、二八五ページなので、一日に二ページずつ読んでも一四〇日ほど、すなわち五か月もあれば読み終える。新たな日課に加えることに決めて、一〇時前から書き抜きを始めた。まず先日発掘された二〇一三年のメモ帳から一一月二二日の分を写して記事にしておき、それから『失われた時を求めて』の三巻である。音楽はStevie Wonder『Songs In The Key of Life』を掛けた。『失われた時を求めて』二巻の返却日はこの日であり、翌日出勤のついでに図書館に返すつもりだったので、この三巻も書き抜きを終えてしまいたかったが、一時間ほどやって最後の長丁場が一箇所残ったので、それは翌日に回すことにした。それから即座に書き物を始めたようである(一〇時五五分からだった)。この日の分を冒頭から綴っていき、Twitterの思いつきについて書いている途中、書き付けているのとは反対の考えが浮かんだ――すなわち、『偶景』のような断片を発表するにしても、Twitterではなくてやはりブログのほうが良いのではないかという案である。理由はあまり定かでなく、ただ自分の言葉がインターネット上に置かれているのをイメージしてみた時に、前者よりも後者のほうがより断章の趣があって良かったというくらいのことらしい――もう一つには、自分が他人のブログを読み耽るところからものを書きはじめた人間なので、自分の文章を公開するにしてもそうしたことに繋がればとの思いを捨てきれずにいるのだろう、Twitterの場合、過去の文章を遡って「読み耽る」というほどのことがしにくそうに思えたのだ。とはいえいずれにせよ、いまのところは再度の公開をする予定はない。作文は一一時四四分までで中断し、ベッドの上で手の爪を切った。そして歯を磨きながらインターネットを回ったのちに、音楽を聞いた。例によってBill Evans Trioの "All of You" を、この日は三テイクとも、そして『Warne Marsh』から最後の二曲である。このMarshというテナーサックス奏者は、引っこみ思案でもごもごと喋るようなところがあると思っていたところが、低めの音域に退いていってそのようにおずおずとしている時にも耳を寄せてみると、小さな声で何事か呟いており、なるほどこれも一つの性格で、優しげな風合いを持った奏者だなとわかったのだったが、それでもこの作品のディスクを残しておこうという気にはならなかった。ただ、音源までも消し去ってしまうのはやめにして、いつかまたの遭遇の可能性を残すことにした。それで一時を越えて、『吾輩は猫である』を三〇分ほど読んだあとは、コンピューター前に移り、長々とポルノを閲覧して最終的に睾丸から精を抜いた。するともう三時である。洗面所で股間と手を洗ってきてから、再度『吾輩は猫である』を読みはじめた。そうして四時前になって瞑想をさぼって就寝した。



 (……)ところで愛の追憶も記憶の一般法則の例外ではなく、また記憶の一般法則自体はより一般的な習慣の法則に支配されている。しかも習慣はすべてを弱めるものだから、私たちにある人のことを最もよく思い出させるのは、まさしく私たちが忘れてしまったところのものということになる(忘れたのはそれがとるに足りぬものだからだが、忘れたおかげで私たちはそれにすべての力を残したのだ)。だからこそ記憶の最良の部分は私たちの外部にあるのであり、雨もよいの風や、ある部屋のかびくさい臭いや、ぱ(end384)っと燃え上がったときの焔のにおいのなかに存在しているのであり、私たち自身のなかで知性が使い道も分からずに無視してしまった部分、過去のなかから最後までとっておいたもの、最良のもの、すべての涙が涸れ尽きたと思われるときもなお私たちに涙を流させるもの、そうしたものを見出すことのできる至るところに最良の記憶は存在しているのである。私たちの外部にあるのか? いやむしろ内部に、だが私たち自身の視線から姿を隠して、多かれ少なかれ長びいた忘却のなかにあるのだ。ただこの忘却のおかげでこそ、私たちはときおり過去の自分の存在を見出し、その存在が直面したものの前に自分を位置づけて、ふたたび苦しむことができるようになる。それというのも私たちはそのときもう私たちではなくてその存在だからであり、それは今の私たちにとってどうでもよいものを愛していたからだ。習慣の記憶の陽光に明るく照らし出されると、過去のイメージは少しずつ色褪せ、消えていく。もはやそれはあとかたもなく、私たちはもう二度と過去を見出すことはあるまい。いや、むしろこう言うべきだ、もしも(「郵政省の官房長」といったような)いくつかの言葉が入念に忘却のなかに閉じこめられていなければ、私たちはもう二度と過去を見出すことはなかったであろうと。ちょうどそれは一つひとつの書物について、その一冊を国立図書館に寄託するようなもので、そうでなければその書物は発見不可能なものにもなりかねないだろう。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ』集英社、一九九七年、384~385)

     *

 この旅行は、現在ならきっと自動車でするところだろう。その方が旅行が快適になると人は思いこんでいるからだ。そんなふうにして行なわれた旅行は、ある意味で、いっそう本当の旅行でさえあることに、人は気づくだろう。なぜなら大地の表面が少しずつ変わっていくさまを、より近くからぴったりした親密さのなかでたどっていくことになるだろうから。だがつまるところ旅(end386)行に特有の楽しみは、途中で車から降りたり、疲れたときは停まることができるということにあるのではなく、また出発と到着のあいだにある差異をできるだけ感じられなくすることにあるのでもなくて、むしろそれをできるだけ深くすること、その差異をそっくりそのまま全面的に感じとることにある――ちょうど想像力が、生活していた場所から行ってみたい場所の核心へと、一足飛びに私たちを連れて行ってくれたときのように――。その飛躍が奇跡的なものに見えたのは長い距離を飛び越したからというよりも、まったく違った大地の二つの個性を結びつけたからであり、私たちを一つの名から別の名へと連れて行ったからであった。そしてその飛躍を図式化するのは(どこへでも勝手に降りられるから到着点というものがなくなってしまう自動車での散策ではなくて)、駅と呼ばれるあの特殊な場所で行なわれる神秘的な作業なのである。駅が町の一部をなしているとはかならずしも言えないかもしれないが、しかし町の名前がちゃんと書かれているように、駅はその町の人格の本質を含んでいるのだ。
 (386~387)

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 パリの自分のベッドのなかから、嵐の海の水しぶきを浴びるバルベックのペルシャ式教会を思(end388)い浮かべるだけで満足していたかぎり、私の肉体はこの旅行に対していささかも反対を唱えはしなかった。それがようやく始まったのは、肉体が自分もこれに加わることを知ったとき、そして到着の晩には肉体にとって未知のものである「私の」部屋へと連れて行かれることを理解したときにすぎない。肉体の反撥は、出発の前夜になって母がついて来られないと知っただけに、いっそう深刻だった。ノルポワ氏といっしょにスペインに行く父が、出発のときまで役所の仕事に忙殺されるので、むしろパリの近郊に家を一軒借りる方がよいと考えたためである。もっとも、苦痛と引きかえで購[あがな]わなければならないからといって、バルベックを眺めに行くのが好ましくなくなったわけではない。逆に苦痛は、私がこれから求めに行こうとしている印象が本当に存在することをあらわし、それを保証しているように思われた。この印象は、それと同価値だと言われるどんな光景も、またどんな「パノラマ」も、これにとって代わることのできないものなのである――そうした「パノラマ」程度のものならば、それを見に行ったあとで、帰って自分のベッドで眠るのに、なんの支障もなかったことだろう――。愛している人間と、快楽を覚える人間とが、同一人物でないことを私が感じたのは、これがはじめてではなかった。私は心の底からバルベックに行きたかったのであり、出発の日の朝、私が悲しそうな様子をしているのを見てこんなことを言ったかかりつけの医者と同じくらいに、それは深い願望だった、「請けあってもよろしい、一週間でも海辺でよい空気が吸えるのだったら、私なら自分からさっさと飛んで行きますね。あちらでは競馬だのレガッタだのをごらんになれるでしょう。きっとすばらしいですよ」 私自身は、(end389)ラ・ベルマを聴きに行くずっと以前からもう知っていたのである、私の愛しているものが何であれ、それは苦痛に満ちた追求の果てにしかなく、その追求の過程では、快楽を求めるのではなくて、この至高の善のために、逆に快楽を犠牲にしなければならないだろう、ということを。
 (388~390)

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 あたりの景色は起伏が多く、けわしくなって、汽車は左右を山にはさまれたとある小さな駅に(end404)とまった。峡谷の底の急流の縁には、一軒の番小屋が見えるばかりで、それも、窓すれすれのところを流れる水のなかに、すっかりはまりこんでいるかのようだった。以前メゼグリーズの方やルーサンヴィルの森をひとりでさまよっていたときは、不意に農家の娘があらわれてはくれないかとあんなにも心待ちにしたものだったが、そうした農家の娘にもまさって一地方の生んだ人間、その土地の特別な魅力を味わうことのできる人間がいるとすれば、このときその小屋から出てきて、昇る太陽に斜めに照らされた小径の上を、牛乳の壺をさげて駅の方へとやって来るのが見えた大柄な少女こそ、まさにそのような人間だったにちがいない。周囲の高い山々に外の世界を隠されたこの谷間で、彼女はほんの一時そこに停車する汽車の乗客以外には、だれにも会わないはずだった。彼女は客車に沿って歩きながら、目をさましている何人かの乗客にカフェ・オ・レをさし出した。朝の光に赤く照り映えて、その顔は空よりもさらに鮮やかなバラ色である。私は彼女を前にしたとき、新たに美と幸福を意識するたびに私たちの心によみがえってくるあの生きたいという欲望をふたたび感じた。私たちはいつも美と幸福が個性的なものであることを忘れて、これまでに自分の気に入ったさまざまな顔や自分の経験した快楽などをいわば平均して、そこから型にはまった一つのタイプを作りだし、これを心のなかで美や幸福におきかえ、こうしてただ抽象的なイメージしか持ち合わせなくなるのだが、そうしたイメージは無気力で味気ないものにすぎないのである。なぜなら、私たちのそれまでに知ったものとは異なった新しいものという性格、美や幸福に固有のこうした性格こそ、まさにそれらのイメージに欠けているものだからだ。(end405)そして私たちは人生に悲観的な判断を下して、その判断を正しいものと思っているが、それは幸福や美を考慮に加えているつもりでありながら、実はこれを除外し、幸福や美のひとかけらもない合成物をかわりにすえてしまったからなのだ。文学通の人が、新たな「美しい作品」の話をきかされると読む前から退屈して欠伸をするのもそのためで、それは自分が読んだすべての美しい作品の一種の合成を想像するからなのである。ところが一冊の美しい作品とは固有のものであり、思いがけないものであり、先行するすべての傑作の和から成っているのではなくて、この総和を完全に自分のものにしたところでいっこうに発見できはしないような何ものかで成っている。なぜならそれはまさしく、先行する作品の和の外にあるからだ。文学通の人はこの新たな作品を知ると、それまで無関心であったのに、たちまち作品の描いている現実に興味を覚えるようになる。ちょうどひとりのときの思考が描きだす美の型とはまるで異質なこの美しい少女が、たちまち私にある種の幸福の味を、彼女のかたわらで生活すれば実現されそうな幸福の味を与えてくれたように(私たちが幸福の味を知り得る唯一の形式は、常に特殊なものになるほかはない)。(……)
 (404~406)

     *

 それから私は、赤々と静かに照り映える美しい夕焼雲のようにくっきりと浮かび上がった祖母(end425)の大きな顔、背後に愛情の光り輝いているのが感じられるこの顔を、倦きることなく眺めつづけた。そしてどんなに微かであってもまだいくぶん祖母の感覚を受けとっているすべてのもの、こうして今なお彼女に属していると言えるすべてのものは、みるみるうちに精神化され、神聖なものにされていったので、私は手の平で、まるで祖母の好意そのものを愛撫するように、尊敬と注意深さと優しさとをこめて、わずかに白いものの混じった美しいその髪をそっと撫でるのであった。祖母は、彼女の嘗める一つひとつの苦労が私の苦労を減らすことになるのをたいそう喜んでいたし、また疲れきった手足をかかえて私がじっと動かずにいる静かな一瞬のなかに、何かじつに甘美なものを発見していた。だから、祖母が私に手を貸してベッドに横にさせ靴を脱がせようとしているのを見てとった私が、それを制止して自分で服を脱ぎはじめる仕草をすると、彼女は哀願するような目つきをしながら、上着とショートブーツの最初のボタンにかけた私の手を押しとどめた。
 「わたしがやってあげるよ」と彼女は言う、「それがお前のお祖母さんにはとてもうれしいことなんだから。それから、もし今夜なにか要るものがあったら、かならず壁を叩くんですよ。わたしのベッドはお前のベッドと背中合わせになっているし、仕切り壁はとても薄いからね。じきにお前が横になったら、試しに叩いてごらん。うまく聞こえるかどうか見るためにね」
 そして事実その日の夜、私は壁を三つ叩いた――また一週間後に私が病気にかかったとき、祖母が朝早く牛乳を持って来てくれるというので、私はそのノックを数日のあいだ毎朝くり返した。(end426)そうしたとき、どうやら祖母が目ざめているらしい物音が聞こえたと思うと――祖母を待たせないために、また祖母がそのあとすぐまた眠れるように――私はおずおずと、かすかに、それでも耳に聞こえる程度に、思い切って小さく三つ叩くのであったが、それはもし思い違いで彼女が眠っていた場合に、その眠りを中断させてはいけないと考えるとともに、もし目ざめている祖母の耳にはじめ合図が聞こえなくて、しかもあらためて呼んでみる勇気が私にないときに、祖母がいつまでも合図をうかがっているというようなことも避けたかったからである。そして壁を叩くやいなや、すぐさま私は違う三つのノックを耳にするのだが、これは異なった色調を帯び、穏やかで毅然としたものに刻印されて、はっきり分かるようにと二度くり返され、こう告げているのであった、「いらいらしてはいけないよ、ちゃんと聞こえましたからね。すぐそちらへ行きますよ」 そしてじきに祖母がやって来るのだった。私は祖母に聞こえないのではないか、隣の人が叩いたと思うのではないか、それが心配だったと告げる。すると彼女は笑いながら、
 「わたしの可哀そうなおいたさん、お前の合図をほかの人のと間違えるんですって? とんでもない、百も千もあるなかからだって、お祖母さんはちゃんとお前のをあててみせますよ! それじゃお前は世のなかに、これほどおばかさんで、熱に浮かされたみたいで、わたしの目をさまさせても困る、分かってもらえなくても困ると心配している合図が、ほかにあるとでも思っているの? どんなにかすかにひっかいただけでも、小さなねずみさんのことぐらい、すぐ分かりますよ、こんなにほかに類のない、可哀そうなねずみさんですもの。わたしにはね、もうだいぶ前か(end427)ら、ねずみさんがもじもじしたり、ベッドのなかで身体を動かしたり、あれこれと手を使ったりしているのが聞こえていたんですよ」
 彼女は鎧戸を半開きにする。ホテルの突き出た別館のところで、太陽はもう屋根の上に身を落ち着けていたが、それはまるで早起きの瓦屋が早々と仕事を始めて、まだ眠っている町、ぴくりとも動かないだけにいっそう瓦屋を敏捷に見せているこの町の眠りをさまさぬようにと、黙々と仕事をやり上げていくように見えた。祖母は私にいま何時か、どんな空模様かを告げ、わざわざ窓のところへ出てくるまでもないと言い、海の上には靄がかかっているとか、パン屋の店が開いているかどうかとか、耳に聞こえてくるあの車の音は何であるかなどといったことを話してくれる。このどうでもよい幕開[まくあき]の寸劇、だれも参加していないその日のミサのこのとるに足りない入祭禱[﹅3]、私たち二人だけのものであるこの生活の小さな断片、それを私は昼間フランソワーズやあるいはほかの人たちの前で好んで思い浮かべながら、獲得した知識というよりは私だけが受けた愛情のしるしを見せびらかすように、とくとくとして、朝の六時には深い霧が流れていたなどと話すことだろう。この甘美な朝の一瞬は、まるで交響楽のように、私の三つの合図という律動的な対話で開始され、それに対して愛情と歓喜がしみとおって和音になり非物質的なものと化した仕切り壁が、まるで天使のような声で歌いつつ、別の三つの合図で答えるのであるが、熱狂的に待ち望まれたその合図は二度くり返され、仕切り壁はお告げの喜びと音楽的な正確さとを伴いながら、祖母の魂全体と彼女が来てくれるという約束とをその合図のなかにこめる術を心得ている(end428)のであった。(……)
 (425~429)