2016/9/9, Fri.

 早い時間――おそらく七時台のあたり――から何度も覚めた記憶が微かにあり、そのたびに違う内容の、さまざまな夢を見たはずである。京都の知人とともにヤクザ団体の一員と化しているもの、祖母が出てくるものなどを含めて、少なくとも五、六種はあったような気がするが、いま(二五時四八分)となってはほとんど失われてしまった――眠りと眠りのあいだの時間でそれを反芻して、記録しなければと思いつつも起きあがる気にならず、怠惰に任せて次の眠りに潜りこみ、一一時半前に最後の覚醒を得た時にはもう大半消えていた。例によってちょっと携帯電話を弄りながら身体の凝りをほぐすべく脹脛を刺激し、正午を迎えたくらいで洗面所に立った。用を足してもそのまま上には行かず、瞑想だけは行おうと部屋に戻って、枕の上に座った。それほどの暑さのない、白い窓の日である。蟬の音よりも秋虫の声のほうが勝った窓外に耳をやりながら、腹をへこませ膨らませしていると、内蔵がぎゅるぎゅると呻きを挙げた。八分間座って上階へ行くと、母親は卓上にミシンを載せて針仕事をやっている。こちらは腕をぐるぐる回す体操をして肩をほぐし、それから台所に入ると冷えたカレーを熱して沸騰させ、よそって卓に就いた。テレビは確かこの時間既に、北朝鮮が五回目の核実験を行ったと大々的に報道していたのではなかったか。気温計のほうに目を向けると青い地を覆う丸ガラスの左側にカーテンの掛かった白い窓が映りこんでおり、右上を向いている針は二八度付近を指していた。食事を終えると自室に帰って、コンピューターを再起動させているあいだに『族長の秋』を四ページ分読んだ。それから一年前と二年前の日記を読み返し、いくつか引用したりコメントを付けたりしておいてから、書き抜きに入った――マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて』の第三巻の最後の一箇所である。これがやたらと長く、八ページ分もあって、それだけで四〇分も掛かって、次の本に入る気は湧かなかったが、二時までまだ少しあったので、二〇一三年のメモ帳から一日分を写し、「信仰」についての距離感や態度の変化についてちょっと言及しておき、時間を埋めた。打鍵のあいだにはJeff Hamilton Trio『Hamilton House: Live at Steamer's』を流した。このアルバムも実に小気味良い作品だが、先日流した時にはそれだけでは保持するかどうか判断が付かず、もう一度聞いてみたのだったが、そうすると残すことに決まった。二時である。上階に行って風呂を洗い、針に糸を通してくれとの母親の求めに従ってテーブルに就き、いくつか糸と針のカップルを拵えたあと、室に帰った。そうして、夏目漱石吾輩は猫である』の読書である。横になって、滑稽味のある文章にくすくすと笑いながら読んで四時前、瞑想や運動を挟んでから、出勤前にさしたる時間もなかったが書き物に掛かった。九月八日の記事を三〇分だけ書き進めてから上へ、腹に何か入れようと思ったが適当なものがないので、もう米で良かろうと釜から少々握って食った。そしてアイロン掛けをしてからシャワーを浴び、髭は剃らずに上がって服を着替えた。『失われた時を求めて』の二巻三巻、大きなハードカバーを二つ抱えて上へ、北朝鮮が五度目の核実験と大きく伝える夕刊が既にあり、ソファに就くと傍らには何かの封筒がある。見てみると父親宛で、国境なき医師団の文字があり、特集号とかも書かれているので、おそらく機関誌か何かだろう――いくらだかは知らないが、献金をしているらしい。父親はほかにも確かUNICEFに対しても支援をしていたはずで、そのあたりの一市民としての慈善的な意識あるいは義務感というものを、多少は持ちあわせているようである。それで五時半前になったところで出発した。自転車の籠に薄水色の本を二冊重ねて入れ、道の際まで引いていくと後ろから母親の、行ってらっしゃいという明るげな声が飛んでくる。見上げると、林のなかから鳥の声が落ちていた。後ろは振り向かずに、気をつけてねとか言うのを受けて走り出し、街道に向かう途中、道端のちょっとした斜面に彼岸花が生えはじめていて、鉤爪のような花弁を広げていくつか並んでいた。表を抜けて裏に入り、民家のサルスベリを過ぎざまに目をやると、高いところが特に花を集めて、「たわわ」という形容が似合うほどに膨らんで果実のように下がっている。空には前日同様、ムース状の、手触りの柔らかそうな青灰色の雲が広がっていた。そのなかにところどころ、毛布についた染みのようにオレンジ色が曖昧な形で割りこんでいるのを見据えながら裏通りを行った。途中で折れて踏切を渡って図書館へ、なかの職員が窓際でブラインドを下ろしている前に停まり、ブックポストに本を二冊入れた。引き返してまた踏切を越え、再度折れて職場へ、時間はちょうど良い具合だった。二時限を働いて小さなチョコレートを五つポケットに拝借し、九時五〇分頃に退勤した。自転車を駆って夜道を渡っている最中、ペダルをゆったりと押しこんでゆるゆる行くその前から風も緩く流れて、軽さが頬を擦って身体を包むのに、肌が少々恍惚として一瞬震えた。静かな裏道では、行くあいだに左右についてくる秋虫の声のそれぞれがくっきりと耳に聞こえる。大層秋らしくなったものだと思いながら帰宅し、ワイシャツを脱いで洗面所に入れてから階を下りた。涼しい夜だったので肌着は脱がずに寝転がり、脚を刺激しながら『吾輩は猫である』を二〇分読んでから食事に行った。米とうどんと両方あると言う。どちらも食うことにして、酢を混ぜた納豆と葱を入れた麺つゆを用意しておき、先にサバやカボチャを温めて卓に運んだ。胡麻油の風味だろうか、味わいのあるキャベツの和え物をつまみ食いし、米やうどんも持って行っておいてから、納豆とつゆにまとめて大根をおろして、持って椅子に座った。夕刊をちょっと眺めながら平らげると、うどんが意外と嵩があって腹が重くなった。父親がそろそろ帰ると言うが、すぐさま風呂に入る気にならない。引き続き新聞を読みながら休んでいると父親が帰ってきて、先に入ると言うので室に帰った。一一時過ぎだった。コンピューターを点けると、職場にいたあいだに要調査としてメモしてきた事項――「加賀一向一揆」「山城の国一揆」「日明貿易 - いおう」「ザビエル」――を調べはじめた。と言ってウィキペディアの記事を読む程度でしかないのだが、加賀一向一揆のページをひらくと、上部に募金の呼び掛けが大きく出る。哀れみを乞うような日本語の文言がやや気に入らないのだが、恩恵に浴している身ではあるし多少は援助をするかというわけで、一五〇〇円をクリックし、クレジットカードの情報を入力して処理をした。それから山城の国一揆のほうも記事を読み、そうして入浴に行った。既に零時を過ぎていた。二度目の湯浴みを済ませて戻ってくるとThelonious Monk『Piano Solo』を流した。そうして書き物を始めるはずが、Monkの写真を見たくなって画像検索をした。良い写真を保存したい欲求があるものの、ブログを廃したいま、持っていても特に使わないしな、と思ったところが、デスクトップの壁紙があるではないかと思いついた。それと同時に、壁紙がランダムに変わるような設定はできないものかと調べてみると、勿論そのような機能が備えられている。それでBill EvansやMonkの画像をフォルダに追加して設定をしているうちに一時を回ってしまった。ようやく書き物に掛かって(音楽はその後、Monkのソロピアノの流れを踏んで『Solo Monk』を流した)、四〇分で前日の文は仕上げ、残った僅かな二時までの時間はこの日の記事を六〇〇字ほど綴った。それで中断、寝床に移って、まずは英語である。歯磨きをしながらLove in the Time of Choleraを三〇分弱、三ページしか読めないが、一ページだろうととにかく毎日続けるのが肝心なのだと心定めて、口をゆすいでくると『吾輩は猫である』に移った。三時も近くなったが、父親もまだ起きているらしく、幻聴かと思われるほどかすかな、何かの音楽らしきものが、線香の煙のように細く漂ってくる。用を足しに出ると、上階でラジオかスマートフォンかで流しているのか、ピアノ演奏めいた音が聞こえた。三時一五分まで読んだところでこの日は終いとし、眠気に耐えながら九分の瞑想をして、床に就いた。