2016/9/13, Tue.

 九時に鳴るよう仕掛けておいた目覚ましよりも前に覚めていた。起きあがってスイッチを切るのが面倒で、鳴り出すに任せたのだが、けたたましい叫び声も眠気の澱を脳から剝がすことはできず、意識の重いまま布団に戻ってまたまどろんだ。薄布団ではなく厚いほうの布団を被ったため、寝床が非常に安穏とした温もりに満たされていて大層心地が良く、いくらでも眠れそうな気がしたが、一〇時を迎えたところで起きなくてはと理性の力が働いた。それでもまたちょっとまどろんで、一〇時一七分くらいになったところでようやく布団を押し退けたが、目のひらきが悪かったので、例によってブルーライトの力を借りることにした。携帯電話を取って、他人のブログを読んだわけである。それで一〇時四〇分くらいになってから起床して便所に行った。まどろんでいるあいだに上からラジオめいた音が聞こえていて、雨に打たれる葉の騒ぎかとも思ったのだが、父親が休みらしく、確かにラジオの音が響いていた。戻ると瞑想を一〇分強行い、居間に行って、ソファでラジオを流しっぱなしにしながらタブレットを操作している父親に挨拶をした。まず風呂を洗い、それから台所に戻ると、稲荷寿司が作ってあった。それを二つとワカメや卵の汁をよそって、新聞を見ながら簡素な食事を取った。食器を始末して室に帰ると、まず前日の記録を付けてから、ウィキペディアなどで日本史の事項を学び、それから問題集で勉強を始めた。今日当たるであろう箇所を用語集を参照しながら復習しておいたあと、一問一答も前夜の箇所も含めて学習し、一時ちょうどで終いとした。柔軟と腕立て伏せをこなしてから、書き物である。前夜に流していた『Donny Hathaway』の続きを聞いたのち、Lee Konitz/Steve Swallow/Paul Motian『Three Guys』を掛けて打鍵し、前日の記事は四〇分ほどで二六〇〇字を足して仕上げた。それからこの日の分に入って、手早く綴って二時過ぎである。先の食事が質素極まりなかったので、早くも腹が減って低く動いていた。何か胃に入れたかったが、まだ時間が早すぎたのでもう少し時間を潰すことにした。ちょうど掛かっていた最後の "A Minor Blues In F" を聞くと、次にThe Velvet Underground『Live at Max's Kansas City』を流しはじめ、それら二つの作品の情報をEvernote内に入力した。それから、山川偉也『哲学者ディオゲネス』の書き抜きに入り、三時前に終えると部屋を出た。父親はどこかに出掛けたらしく、小窓から玄関の外を覗くと車の姿がない。台所に行って冷蔵庫を覗くと、午前の稲荷寿司が冷やされて残っており、調理台のほうには例によってゆで卵もある。さらに夕食にも食べられるように味噌汁も作っておこうというわけで、玉ねぎを切って湯のなかに放りこんだ。稲荷寿司を電子レンジに突っこむ一方、鍋の灰汁を取ってから粉の出汁を加え、玉ねぎが柔らかくなるのを待って椅子に座って新聞を少々読んだ。それからすりおろした葱と溶き卵を加えて完成、ゆで卵と寿司とともに卓に運んで、新聞の上に皿を置いて記事を読みながら食った。さらに食パンを焼いてハムを載せてかじり、最後に味噌汁をもう一杯啜って満足し、食器を片付けた。四時前である。日本史の準備のために早めに出勤するつもりだったので、そろそろ支度に掛かる必要があった。下階に行き、歯を磨きながらベッドの上で、一〇分間だけ英語に触れ、そののちシャワーを浴びに行った。シャンプーを混ぜて頭皮をよく擦り、髪を柔らかくして、身体のほうもたわしで擦ってから上がり、仕事着に着替えた。前夜にびしょ濡れになったスラックスは居間に干されていたのだが、それを履くと何となく股のあたりが普段よりきついようで、少し縮んだように思われた。五時前には出るつもりだった。残った時間で『族長の秋』を読むか瞑想をするかだと階段を下りながら考えて、結局後者を取って枕の上に乗った。八分間の瞑想を済ませると、日本史の教材や『失われた時を求めて』の四巻を入れたバッグを持ち、傘も携えて出発した。雨はまだ降りはじめていなかった。坂を上がって行き、平らな道を進んでいると向かいから焦茶色の犬(ドーベルマンだろうか?)を連れた婦人がやってきて、こんにちは、と挨拶をした。すると相手がちょっと止まって、O駅まで歩いて行くの、と訊いてきた。その人の名前は知らず、顔も覚えがあるようなないようなというほどで、どこに住んでいる人なのかもわからなかったのだが、向こうではおそらくこちらの家も親も知っており、目の前の相手をその息子として認識しているわけだ。そのような非対称性に一瞬戸惑いながら、はい、と受けると相手は、ああ、それは、というような感じで驚くような感心するような表情を垣間見せたあと、会釈をしたのでこちらも返して過ぎた。裏通りに入って進み、駅もだいぶ近くなってくると、道の脇に小学生女子が何をするでもなく佇んでいる。視線を向けてちょっと疑問に思いながらも、逸らして過ぎようとしたところが、すみません、と話しかけられた。止まると相手は口調を崩して、あのね、あそこに煙草があってね、火がついてんだけど、とか何とか言う。うん、とこちらは受けて、どこに、と続けて無愛想に低く訊くと女子は先に立って、すぐそこの道脇に落ちているのを示した。よくわからなかったが、始末してしまって良いものかどうか迷っていたらしい。まだ煙が出ているものを、踏んじゃっていいよねと、確認するまでもないのだが女子に訊いてから靴の先で叩いた。女児はありがとうございます、と礼を言った。消えたかなと洩らしながら、もう一度踏み付け、よく気付いたねとか言っていると、女子はもう一度、はっきりとした礼を述べたので、はい、と受けて別れた。ふたたび歩きながら、よくもほかの人を差し置いて自分に話しかけたなと思い、話しかけやすそうだったのだろうかなどと考えると、ちょっとおかしくなって心中笑われた。単純にほかの人間たちより、歩速がのろかったからかもしれない。それで図書館へと踏切を渡り、職員たちがちょうど退勤して戸口から出てきた横を過ぎて、ブックポストに『失われた時を求めて』を入れた。戻って職場への道を曲がって行くと、コンビニの横に中学生が四人だか固まってたむろしている。見ているとそのなかに塾生の姿があり、向こうもこちらと目を合わせてきたので、ちょっとやりとりしてから通り過ぎた。駅前は、ここ数日はずっとそうだが、雀なのか椋鳥なのかよくわからない鳥が街路樹に群がって、無数に重なりあうその鳴き声があたりを満たしている。木を見上げつつロータリーを通って、職場に到着した。退勤は九時半過ぎ、出ると雨が降っていた。傘をひらき、バッグを左腕に抱えて胸に寄せながら歩いて行った。帰路は視線を落とし気味にし、多少の物思いをしながら黙々と歩いていたはずで、特に印象に残った事柄はない。帰り着くと父親に挨拶し、居間でシャツを脱いでから室に帰った。久しぶりに行き帰りに徒歩を取ったためか、随分と疲労があった。ベッドに寝転んで脚をほぐしながら『族長の秋』を読んだが、本を目の前に掲げて文字に視線を収束していると眠くなるようで、意識しなければ文の意味がうまく読み取れなかった。瞑想はせずに上に行くと、テーブル上にフライドチキンの紙バケツが乗っている。その他自分の作った味噌汁や、コロッケやレタスが乗った皿などを運んで、食べはじめた。疲労は満ちて、固い頭痛が始まっていた。テレビはパラリンピックでの日本人の活躍を報じており、競技中の映像やメダルを獲得した選手たちへのインタビューなどを流していた。寝巻き姿の母親が居間の内を行き来しながら、テレビと喋ってばかりいる、と揶揄するように、父親は事あるごとにテレビに向かって、何らかのつぶやきを差し挟んで、感心していた。こちらから見れば、そうした滑稽な父親の姿も、それをからかう母親の姿もどちらも同じ程度阿呆らしく、多かれ少なかれうんざりさせるものに違いない。母親がからかいを言った時には、それに過剰に反応して語気を乱して怒る父親のさまが即座に想起されて、またげんなりしなければならないのかというその事前の予想そのものに早くもげんなりしたのだが、父親が黙って無視したのは幸いだった。食事を終えた頃には既に一一時を過ぎていたはずである。満杯になった食器乾燥機のものを一つずつゆっくりと棚に戻し、それから自分の使ったものを洗って、風呂に行った。再度頭を洗い、身体も擦って出てくると、居間には一点の光もなく、真っ暗になっていたので、台所の電灯を点けて水を飲んだ。頭痛は相変わらずだった。ただ、頭はしきりに痛んで苦しむものの、その下の身体のほうはそこそこまだ力が残っているような感じがして、頭痛を感じながらもそれを受け止める気力があるようだった。それで食器乾燥機のものを再度片付けておき、さらにはシンクの物受けに溜まった生ごみを、ビニール袋に収めてバケツのなかに封じておいた。少しでも母親の味方をしてやろうというわけで、非常にささやかなことではあるが、こうした細かなことを一つ一つこなすことが大事であることは疑いない。そうして下階に戻り、歯ブラシをくわえながら日記の読み返しをした。九月一三日のものは二〇一四年も二〇一五年もさして印象深いことも記されておらず、すぐに終えて零時となった。音楽も毎日聞く時間を取らなくてはということで、Bill Evan Trio "All of You" のテイク一とテイク二を聞いたのだが、わかっていたとはいえ瞑目しているうちに眠りに刺されて項垂れている有り様で、音楽などほとんど意識に入らなかった。それから寝床に移っても、脚をほぐして身体を宥めているうちに意識を失って、気付けば一時である。布団を身体に掛けていなかったので体温の下がった肌に夜気が冷たかった。実際、窓ガラスを完全に閉ざすほどに、久方ぶりに気温の低い夜だったのだ。それでそこからようやく読書を始めた――J. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』である。あくびを洩らしつつ読み進め、三時手前になったところで文字の列のなかを前に進むことが難しくなってきたので眠ることにし、瞑想は怠けて明かりを消した。