2016/9/20, Tue.

 目が覚めてアイマスクを外すと、六時四〇分だった。再度寝入ろうとして布団にもぐり、アイマスクで視界を閉ざしてみてもうまく行かなかったので、携帯電話を取った。雨は大層な勢いで降っており、景色は白く染まって、激しい雨音が窓を閉ざしていても部屋の内まで響いた。この日は、横浜の知人と会合の予定だった。何でも台風がまた迫っている――関東に至るのはこの夜だとか言ったが――という話で、起きてみてもこの降りなので、一応メールを送ってみるかと考えた。既に一度、台風によって延期された日程だったが、また来ているらしいけれどどうしますかとメールをしたため、返信を待ちがてら携帯電話を弄ってウェブをうろついた。八時になったところで一時間眠るかと目覚まし時計を仕掛けて眠りに向かったが、やはり目が冴えていてまどろみがやってこない。それでも繭にくるまるようにして瞑目と呼吸をし続け、そろそろかと視界を解放すると、八時五〇分だったので目覚ましのスイッチを切った。メールが届いていた。一通目には今日敢行しようとあったが、その後すぐに二通目が来ており、そこには、店でトラブルが起こったようなので申し訳ないが今日は延期させてほしい、と記されていた。返信をすると起床し、上階に行くと母親に、早いじゃないと掛けられたが、既に九時過ぎで、世間一般的な基準からすればとても早いなどと言えない。カレーの鍋を熱して一杯よそり、食うともう一杯をおかわりした。非常に涼しい雨の日で、気温計は二〇度台の前半を指していたようである。母親はパソコン教室に出かけるらしかった。室に帰ると、書き物なり何なりに掛かるはずが、川上稔境界線上のホライゾン』のアニメの続きを見はじめてしまい、初めは二話くらいずつ見て行こうと思っていたところが、あと一話あと一話と続いて止まらなくなった。義務から離れた休日の気楽さに安んじて、ポテトチップスを食い、そば茶を飲みながらアニメを見るという、いかにも怠惰なような生活に嵌り、結局昼過ぎまで視聴を続けた。午後一時半かそこらに一度、風呂を洗いに上がったところでちょうど母親も帰宅した。食事の支度を始めたが、こちらはスナック菓子を食べたためか腹が減っていなかったので、浴室からそう答えて、そば茶をおかわりしてまたアニメ鑑賞に戻った。最初はやるべきことを成さないことをまずいなと思っていたが、途中から、むしろこの一日は、最低限日記だけは書くとして、あとはもうひたすらこの作品の鑑賞に充てて良いのではないか、そういう日があっても良いだろうと寛容な気持ちで開き直ったようになった。そういうわけで三時まで鑑賞を続け、一期の一三話は見終わり、そこで身体もこごったし一旦読書をしようと寝床に移った。それでマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方Ⅱ』 を読んでいたのだが、眠りも短めだったし、モニターも長時間見つめたというわけで、避けようもなく眠りが頭に纏わりついてくる。瞼をたびたび閉鎖されながら騙し騙し読んではいたものの、四時を過ぎたあたりで力尽き、睡魔に身を任せた――そうして、五時である。夕食の支度をしなくてはと上がって行くと、母親が既にすべて済ませていたので、すごすごと下階に引き下がって、それで今度は『境界線上のホライゾン』の二期の視聴を始めた。こちらの全一三話に関しても、ちまちま区切りを付けずにもうこの一日ですべて見てしまい、明日からの生活に支障を来さないようにするのが善ではないかというわけで、モニター前から離れず、ゴルフボールを踏んで足裏を柔らかくしながら、次々と物語を追った。この夕刻だったか夜に入った頃だったか、隣室でギターを弄った際に、兄の棚に置いてあった『境界線上のホライゾン』原作(二巻までのそれぞれ上下、全四巻を持っていた)をちょっとめくってみたのだが、やはりこうしたライトノベル的あるいは漫画的な物語というものは、言語でやるよりもアニメや絵などの視覚媒体でもって表現するほうに適しているのではないかと思われた。川上稔の文章は改行が多い――無論、彼に限ったことではなく、ライトノベルやエンターテインメントの作品は全般的にそうではあるが、文学作品を読んできていままたプルーストなどを読んでいるこちらの目からすると、書きこみが非常に少なく物足りないように思われてしまうのだ。それはそれで、物語の速度だとか、「テンポの良さ」と呼ばれるようなものへの奉仕の現れであり、もとよりそうした作品は書きこみなどということを旨としてはいないのだが、川上作品はSF的なさまざまなギミックが盛りこまれていたり、ファンタジー的な設定が作りこまれてもいるので、その点もあってなおさらアニメーションのほうに適合しており、文字として読むよりもそちらのほうが楽しめるように思えたのだ。物語に特化したタイプの作品というものに対して、こちらの態度は楽しみながらも同時に懐疑をも抱かざるを得ないという微妙な立ち位置ではあるが、良い悪いは置いても、この世においていわゆる「文学」などよりもそちらのほうが幅広く力を持っていることは間違いない。ライトノベルやエンターテインメント作品が追求してきた(であろう)読者の心をそそる物語やキャラクター造形の(ある種の)徹底性と、古典文学的な細部の描写の書きこみとが同居した作品というものが――そういうものが可能であるのか、あるいは可能だとしてどのような形で実現されるのかはわからないが――見当たらないのが、勿体ないように思われた(早川書房などが発刊しているSFやファンタジー方面の作品のなかにはそういうものもあるのかもしれない――また、三宅誰男『亜人』は、RPG的な世界観とロベルト・ムージル的主題を掛け合わせたという点で、そうした試みの一例と言えるのだろうが)。何にしても、『境界線上のホライゾン』はまた読んでみても良いかもしれないな、と思った――調べてみると、大層仕事が早いもので、既に九巻まで巻数を数えているようである。七時過ぎになると夕食に上がり、カレーうどんやらカボチャの煮物やらに加えて、牛肉の炒め物をおかずに米も食った。あとの時間はまた同じく、アニメの鑑賞である。途中で九時前かそのくらいに風呂に行った。湯に浸かって浴槽に頭をもたせ掛けながら瞑目していると、窓外からは雨音が響いてくる。音は空間を塗り潰したように満々と湛えられて、無数の垂直線が鳴り響くその水音に応ずるようにして、虫の音も、意外なほどに大きく、かき消されずに立ち、漂っていた。『境界線上のホライゾン』二期全一三話も、零時前になって見終わった。隣室に入ってちょっとギターを弄ってから、原作の文庫本を自室に持ってきておき(二巻の下が一一〇〇ページを越える大層な厚みである)、それから日記の読み返しに入った。背後に流したのはTony Malaby『Adobe』、この作品はPaul Motianが参加しているということもあって、もとより売る気はない。そうして、過去の記事に対するコメントを記しておくと、一時前から書き物を始めた。音楽は、John Chin『Blackout Conception』を繋げたが、これもなかなかの良作で、売る必要はないものである。一時間を掛けて前日の記事を仕上げ(六七〇〇字を数えた)、この日の記述は翌日に回すことにして、寝床に移った。一〇分ずつ就寝を早くするというここ数日の流れからすると、この日は二時半には床に就くべきだったが、あまりに本を読んでいなかったのでそれを破り、三時前まで夜を更かし、瞑想も怠けて消灯した。