2016/9/22, Thu.

 一〇時台のうちに一度は覚めて、睡眠時間を計算したのだったが、例によって、砂を零すように起床をするすると手から逃し、横を向いて顔を床に付けているうちにまどろみとともに時間が過ぎた。そうして結局、頭がはっきりとしはじめたのは一一時四〇分である。台風は前日で過ぎたはずだが、またしめやかな雨降りが始まっていた。布団を剝ぐと携帯電話を取り寄せたが、他人のブログが更新されていなかったのですぐに置き、一二時になるまで読書をしようと、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方Ⅱ』を読んだ。膝で脹脛を刺激して血流を促進させ、正午を過ぎてから起きあがると、便所に行ってきて瞑想を行った。じっと座って一二時二〇分を迎えると上階に行った。玄関を抜けると傘立てにビニール傘があったので、それを差して軒から出て、ポストから新聞や郵便物を取って戻った。両親はいまだ旅行先で、当然何の食事の用意もなく、台所に入ると調理台の上は前夜に使ったまま細かなごみが転がっていた。炊飯器を覗いても米は微々たるもので、底に大方貼りついて固まっている。一瞬迷ってからすぐにうどんを食うかと思いつき、米を皿に収めて冷蔵しておくと、冷凍庫から袋を取りだした。さらに冷凍のたこ焼きも食うことにして出しておき、麺を少々湯がきつつ玉ねぎやキャベツを切って用意した。改めて鍋に湯を沸かし、麺つゆを混ぜて野菜を投入したあと、豆腐や卵も用意して麺と混ぜ、丼いっぱいに流しこんだ。たこ焼きを電子レンジに入れておいて卓に行き、新聞を見ながら食事を始めた。途中でたこ焼きも持ってきて、ソースとマヨネーズを掛けて食し、腹を満たすと一時付近だったはずである。新聞記事――高速増殖炉もんじゅ」が事実上廃炉の方針であるとか、南スーダンに派遣する自衛隊に「駆けつけ警護」権限を認めるか迷われているというもの等々――を読むと既に一時半前、食器を片付けたあと、前日に放置していた洗濯物を処理することにして、居間の隅のハンガーからタオルや下着を取った。それらを畳んで、それぞれの場所に運んでから自室に帰った。コンピューターを起動させ、Stevie Wonderの "Don't You Worry 'Bout A Thing" をリピート再生に固定して、時折り口ずさみながら他人のブログを読んだり、インターネット各所を覗いたりした。さらに笑ってしまうような動画を眺めて、二時半を迎えてJamiroquaiの曲を歌ってからようやくやることをやる気になり、J. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』の書き抜きを始めた。後ろに流したのは、Ahmad Jamal Trio At The Pershing『But Not For Me』である。最初はイヤフォンを耳の穴に突っこんでいたのだが、何かの際にやはりヘッドフォンで聞きたいものだと取り替えた――このヘッドフォンは接合部の金具が壊れて開きっぱなしなのをセロハンテープをぐるぐる巻いて補強して使っていた上に、先日耳当ての布の接合も片方剝がれて、さすがにもう駄目かと放っていたのだが、そんな有り様でも使えることは使えるし、損壊は音質面に影響があるわけでもないのだ。それで久しぶりに頭に付けてみると、当然だが音像の広がりがイヤフォンとは段違いで、シンバルの煌めきが鮮やかに生々しく響いて、やはりヘッドフォンのほうが良いなと思われた。音楽のほうはと言えば、Jamalが繊細さと、舌の上で転がる飴のように甘く上品な味わいを持った趣味の良いピアニストであることは明白で、演奏の形にも聞くべきものがあるような気もしたのだが、自分がこれを繰り返し聞きたいのかどうか不明瞭で、ひとまず保留として翌日もう一度流すことにした。そうして、四時ちょうどに書き抜きを完了した。メールで尋ねたところによると、両親は、高速道路が混んでいなければ五時過ぎに帰ってくるということだった。それまでに米を研ぎ、アイロン掛けもやっておきたかったが、立ったまま打鍵していたために脚が張っていたので、休もうというわけで寝床に転がった。それでプルーストを読みながら脚をほぐしていたが、じきに肌寒さに負けて布団を纏い、そうすると温もりに眠気を召喚されて、時折り目を閉ざしそうになりながら五時前まで本を読んだ。それから起きあがって瞑想を行ったが、足先や手先が肌に触れるとひやりと冷たいのに、季節の進みが思われた。ぴったりと閉ざされた窓の外ではくぐもった雨音が、てんでばらばらに重なり合って一つの平面と化した人々の行進の響きのように鳴っており、虫の音はガラスに阻まれてほとんど聞こえず、ただ時折りカネタタキの単調で素っ気ない声が雨のなかを抜けてくるのみだった。一〇分ほど座ると上に行き、米を研いで早くも炊飯のスイッチを押した。それから野菜炒めを作ろうとキャベツやピーマンやシシトウを用意していると、両親が帰ってきた。母親が諸々の土産を持って騒がしく入ってくるなかで玉ねぎに焼豚も切って炒めはじめると、母親のほうは隣で味噌汁を作りはじめ、水を入れて火に掛けた鍋の上で葱を大きく(円柱状に)切り落とした。野菜炒めができるとそちらは任せることにして、アイロン掛けに入ったのだが、父親のワイシャツの胸のポケットにインク染みのような黒い汚れがあった。それをソファに座って相撲を見始めた父親に知らせると、捨てるから良いと言うので母親に渡しておき、エプロンとハンカチの皺を伸ばした。それで一旦下に戻ろうかと思ったところが、炊飯器を見ると米があと数分で炊けるところだったので、まだ六時だがもう飯を食うことにして、おかずをよそった。納豆も久しぶりに用意して卓に就き、新聞にまた目を通しながらものを口に運んだが、自分一人の時とは大違いで、テレビは点いているし母親はうろうろしているし(父親は風呂に行ったのだ)で、文字を追うのが容易でない。もんじゅ関連の記事をなおざり気味に読んでから食器を片付け、そば茶を持って室に帰った。そして菓子類をつまみながら、『Glenn Gould In Moscow』を背景に日記の読み返しをして、七時過ぎである。音楽はTito Puente & His Orchestra『Live at the 1977 Monterey Jazz Festival』(売却である)を続けて、そのまま書き物に入った。四五分ほどを掛けて前日の記事を仕上げると、一旦そこで切りあげて腕立て伏せと腹筋を行い、窓をちょっとひらいてこの日三度目となる瞑想に入った。窓外では秋虫たちが鳴きしきっており、一つの虫が一時声を消して休憩に入っても、その後ろで必ずほかの虫たちが控えており、合奏を途切れさせまいとするかのように、交代交代で常にどこかしらから鳴き声を運んでくるのだった。八時二三分まで座ると風呂に行き、上がって九時、そば茶をおかわりして室に帰ってくると無駄な時間を使わずに、すぐに書き物に入った。BGMはMarcos Valle『Vento Sul』(これも保留とされた)、続けてJoshua Redman『Trios Live』(こちらは充実したさすがのライブ演奏である)を流し、ちょうど一時間ほどでこの日の記事を黙々と綴った。そうしてBill Evans Trio "All of You (take 1)" をヘッドフォンから耳に流しこみはじめた。音空間が広がったためか一音一音が捕捉しやすく、暗闇の視界のなかで眼球を各方に動かし、各人のソロをじっと見つめて吸収するようにして音楽を聞き、それから便所に行った。時刻は一〇時二〇分で、二時半に眠るとしてあと四時間ほどが残っている。この日、日課としては英語のリーディングと日本史の勉強が残っていたが、それらは犠牲にしてこの四時間をすべて読書に費やすか、という気持ちが湧いていた。放尿しながらそう決断して、室に帰ると即座に読書に入り、ベッドに寝転がって『失われた時を求めて』の四巻をひらいた。雨はまだ降っていて、食事から数時間経ったせいもあろう、身体の先端が冷えて、ハーフパンツに半袖の肌着で腕や脚を晒しているのに肌寒さを感じながら、ページを繰った。休まずに二時間ほど読み続けて零時を越えると、横になった身体の腹から低い音が洩れて空腹も感じていたので、夜食を取りに行くことにした。よく上階でテレビを見ながら夜更かしをしている父親も、この日は旅行で疲れたのだろう、両親は既に床に就いているようで、足音をあまり響かせないように注意しながら真っ暗闇の居間に上がって、食卓灯を点けた。持ってきた可燃と不燃のごみをそれぞれ上階のものと一緒にすると、即席のワンタン麺を戸棚から取ってきて湯を注ぎ、さらに昼に食ったたこ焼きの余りも食ってしまうことにして、電子レンジに突っこんだ。そうして卓に就いてものを食べながら、ひらいた本の上に視線を滑らせた。腹が満たされて一息つくと片付けだが、まず食器乾燥機にスペースを作らなくては洗い物ができない。音を鳴らさないように慎重に、皿を抜きだしては戸棚などにしまい、そうして食事の後始末をすると今度は、部屋から急須と湯呑みを取ってきた。古いそば茶の滓を流し台に捨てると、排水口に溜まっている生ごみをビニール袋に入れてバケツに収めておき、そして新しく茶を二杯と半分用意した。それを飲みながら読書を続け、一服も終わると下階に戻り、歯を磨いた――そのあいだも本は手放していない。そして、就寝時刻が近づくまで書見をひたすら続けた結果、この日の読書量は一六五ページ、時間にすると四時間四三分である――よく読んだほうではあるが、休日なのだからもう少し読めるだろうとも思うものだ。二時一八分で切りあげ、枕に腰掛けて瞑想に入った。腹を満たしてからまだそれほどの時間が経っておらず、息を吐きながら胃のあたりが前方に張っているのを感じ、呼吸をそれほど深いものにすることができなかった。一〇分の瞑想を済ませて、消灯して横になってからも、仰向いていると腹が張り出す。それで弱い呼吸を数えていると、次第に喉の奥、口蓋の上のほうに一滴点じられたように、液体じみた感覚が現れて、胃液が逆流してきたのだろうかと思って舌を動かしたり唾を飲みこんでみたりしたが、明瞭な酸味は感じられなかった。ここ最近は、だいぶ胃も空に近づいてから横になって読書をしているあいだなどに、内臓に軽い痛みを感じることがあって、知らぬ間に胃が傷ついてでもいはしないかと懸念を覚えることがある。その働きも以前より鈍いように感じられて、何となく、胃というものが自分が老年に到った時の障害になるのではないかという気がするものだ――不安はあったが、現実にさしたる症状が見られないので、じきに意識がほぐれていって、寝付いたようである。