意識が定まったのは一〇時四〇分、雲も掛かってはいるものの、久方ぶりに晴れ間の見える朝で、白光を瞳に取り入れながら覚醒を呼び寄せた。この日は二時から、立川で大学の同級生と、月例の会合である。夜更かしのせいで起床が――いつも通りではあるが――遅くなり、それほどの時間もなかったためだろう、瞑想はせずに上階に行ったらしい。食事は何を食ったのか、もはや覚えていない。新聞を読みながら取って、皿を洗うとおそらくすぐに風呂洗いも済ませたと思う。そうして大衆歌唱大会がテレビで始まった頃合いに下階へ戻ると、きっとまた、Stevie Wonder "Don't You Worry 'Bout A Thing" でも流しながら、前日の記録を付けただろう。さして時間も余っていなかったが、少しでも本を読んでおきたいと、新渡戸稲造『武士道』をめくったのが、一二時三七分から五三分までである。そんな時間になると、最寄りの電車には間に合わないし、一駅先まで歩いて行っても三〇分ほど掛かるから、結局立川に着くのは二時を過ぎてしまうわけだが、多少遅れたっていまさらどうこうという相手でもないと悠長に支度をし、出発した。荷物は『武士道』に、夏目漱石『吾輩は猫である』(課題書である)、そして手帳のみと軽く、小型鞄を二つに折り畳んで小脇に抱えながら行った。そうすると、久しぶりに気温が高く三〇度にも近づいているのだろう、ヒガンバナの左右に咲き賑わっている坂道を抜けたのみで早くも汗が湧く。街道を渡って裏通りを行くあいだも、額に触れる帽子の縁のあたりに痒みが生じ、また服の内の背中が湿るのもこの頃絶えてなかった感触である。それだけに風が吹くと一層涼しいなかを、時折り頭を晒してがしがしとやりながら進んだ。駅に着いてホームの先のほうに出て、東の空を見上げると、視線が雲に刺さりながら絶えずかすかに移動しているその不安定さにぐらついて、視界が軽くふらふらと揺れて、雲のほうが動いているのか自分が動いているのかわからないようだが、態勢を立て直すために北方に向きを変えて、小学校の上空を眺めると、今度は不動の校舎が碇となって視覚を低みから支えたのか、雲がじわりじわりと東に向けて這っているのが見て取れるのだった。電車はすぐにやって来て、向かいの校庭のフェンス際で虫の口のように葉をもぞもぞと蠢かせている木々を隠す。乗りこんで座ると、鞄を身体の横に置き、それに左腕をもたせ掛けながら『武士道』を読んだ。車内では、殊更変わったことはない。途中で遅れるとのメールを友人に送っておき、立川に着くと人々が出ていくのを待ち、読書時間を手帳に記録しておいてから自分も降りて、階段を上った。既に二時を回っていた。遅刻しているというのに急ぐ素振りも見せず、歩調を速めずに悠々と人波のなかを行き、駅舎の出入り口手前で折れて階段を下った。するとそこの道脇に、犬の里親を募る活動をする女性が立っている。実際に小さな犬を二匹連れており、彼女は身を屈めて下を向き、顔を覆うように茶髪を垂れ下げながら、おすわり、おすわりでしょ、と犬たちに言い聞かせていた――見やっているうちに、もしやいつも広場のほうで呼び掛けをしている鼻筋のしっかり通った女性ではないかと思ったのだが、道を行きながら振り向いても、彼女はまだうつむいたままで、答えはわからなかった。交通整理員二人の案内に従って通りを渡ってすぐ、目的のビルの隣はハンバーガーショップが潰れて以来テナントを募集していたはずだが、新しい店が入るらしく改装中で、とんかつ屋の表示が出されていた。その隣の入口をくぐり、階段を上って喫茶店に入ると、テーブル席に友人がいるので、手を挙げた。相手の向かいに就くと、まだ注文をしていないと言う。渡されたメニューを見て、コーラが安いのに、たまには飲むかとも思ったが、やはりカフェインが神経に作用するのが恐れられて、クリームソーダに決めた。それで各々注文をすると、我慢していたのだろう、相手はやや焦った風に、トイレに行くと言って席を立った。戻ってくると、早速、『吾輩は猫である』の話が始まったと思う。ただそれは、極々基本的な形式の分析や、他愛のないような感想を述べ合うに留まって、三〇分かそこらするともう既に、話がほかの方向へと逸れていたのではないか。小泉八雲の名前を出したのがきっかけだったと思うが、我が町のことが話された――と言うのは、彼が収集した怪談のなかの一つである雪女の伝説は、こちらの住む市で聞き取られたものだという話なのだが、友人は、昨年だかのゴールデンウィークに、我が市を訪れたと言う。幕末関連の展示が催されていたのを機に、インターン生に案内してもらったと言うのだが、それで、どこどこに何があるだの、その寺にはうちの墓があるだのと話し、驚き合ったり、写真を見せてもらったりした。我が市のことが終わるとまた話は拡散して、相手はいま読んでいるという尾崎行雄の回顧録を取りだしたりなどもし、やや政治的な話題も含んだ会話が散漫になされたのち、五時頃になって、今日は飯に行けるけれどどうするかと相手が切り出してきた。それなら行くかと受けると、そろそろ次回の本を決めるかとなって、その前にほんの少しだけ『吾輩は猫である』に戻って、例によって本屋に行くことになった。席を立ち、各々会計をして建物を出て、尾崎行雄の本で紹介されているエピソードのなかで、福沢諭吉の名が出ていたので、福沢諭吉にも興味はあるなどと話しながら、本屋に向かった。百貨店のなかに入って長いエスカレーターに乗って行き、入店すると日本史の棚を見分した。そのうちに、確かこちらが、維新前後の外国人の日本見聞記も読んでみたいと言ったからだろう、イザベラ・バードの名を相手が出すので、それだったら平凡社ライブラリーに入っていたなというわけで、文庫や新書のほうに移った。件の日本見聞記を取りあげた相手は、有力候補でと言い、こちらもそれでいいなという気だったが、物色は続いて、岩波文庫の棚の前に居座った。諸々見たあとに、で、どうする、と言うと、相手は迷いながら、ちなみに小説だったらどれが良い、と訊く。特にこれ、というほどのものは思いつかずに、小説なら何でも良いと受けて、それこそジョイスとか、と相手がそれまでの話に出していた『ダブリンの市民』を取り、その次に、そういえばホロコースト関連の文学も読まなくてはと思っていたのだ、と思いだして、プリーモ・レーヴィ『休戦』を挙げた。渡すと相手は、矯めつ眇めつするようにめくりながら、これにしようか、と静かに言う――その判断基準は、イザベラ・バードだったら自分で前々から読みたかったので、いずれ機会を作って読みそうだが、レーヴィのほうはこれがなければ手に取らなかっただろうから、というもので、相手がこれまでにもしばしば従ってきた論理だった。それで決まり、相手が会計を済ませているあいだ、講談社学術文庫の著作を見分し、戻ってくるとまた雑談をしながらそのあたりの棚を見て時間を使った。七時もそれなりに回ってそろそろ飯に行こうと棚のあいだを抜けたのだが、思い立って、海外文学だけ見ても良いかと許可を取り、壁際に歩いて行った。そうしてまた並んだ本の背表紙を、次から次へと見つめていると、ニコラ・ブーヴィエ『世界の使い方』が見つかったので、友人に、これは面白いよと紹介した。またほかに、ローベルト・ヴァルザー著作集も四巻並んでいたので、こちらも、自分が一番好きかもしれない作家だと紹介し、四巻目をひらいて、「神経過敏」を読むように勧めた。その後、いい加減にもう行こうというわけでエスカレーターを下ろうとしたところが、七時が過ぎて店々の営業時間が終わったので、白いシャッターが閉まっている。それでエレベーターを使って一階まで下り、夜闇に包まれた街に出た。ファミリーレストランでも良いが駅ビルの上にでも行くかと言うと、どんな店が入っているのかと相手は問う。それで挙げているうちに、相手はお好み焼きが引っ掛かったようで食指を動かすので、そうしようと同意した――実のところ、自分もお好み焼きが食いたいと思っていたのだ。同時に相手は、何かを思いだしたらしき声を挙げて、大阪に行った時の話を始めた。偶然入った「くくる」という店のたこ焼きが、大層美味かったと言い、その店舗が立川にあるのだと明かした。相手が携帯電話を使ってその場所を調べてみると、画面の地図は駅構内施設を表示し、店舗を示す点はその最下層にあるカフェに重なっている。ここならわかると受け、見るだけ見に行ってみよう、と話がまとまったので、駅の西側に南北を貫いて新造された歩廊を通って、南に渡った。下の道に降りて、カフェの前をうろついたのだが、たこ焼き屋らしきものはない。それでやはり、構内にあるのだろうと上がり、駅舎のなかから施設に入ってみると、数歩先んじた相手が、あった、と大げさなような顔をして振り返ってみせた。行くと、洋菓子屋などの並びにこじんまりとして設けられている。その場で食べるための席もあるにはあるが、それはせいぜい三つ程度であり、あとはレジカウンターと奥に作業場のみで慎ましくやっており、持ち帰りが主のようである。今度買って帰ってみようと言いながら施設を、駅ビルのなかに移って、エスカレーターで階を上がった。相手が便所に寄るのを待ってから、お好み焼き屋の前に行ったが、周囲の座席でいくつもグループが待っており、結構な盛況ぶりである。待ち客のリストに名前を加えて、こちらも店舗前に設けられた簡易椅子の端に座った。そこで話されたのは大学時代のことで、時間をまったく無駄にしただの、講義を真面目に聞かなかっただの、とは言ってもやはり講義はつまらなかっただのと話し、入店した頃には八時を回っていた。それで大学の頃の話などを続けながら、注文の品が来るのを待ち、焼かれたお好み焼きが運ばれてくると、各々分けて黙々と食い、会話は途切れがちになった。二枚ののちに、さらにせせりと葱の炒め物にとん平焼きを頼んで食い、合間に、もう一人の大学の同級生のことが話された――会合にも参加していた人間だが、法務省の役人である彼は、この四月から英国に留学しているのだ。その近況を聞いたのち、彼と目の前の相手が東欧を旅した時の、性向の違いから来る二人の齟齬が説明された。官僚の彼のほうは甚だ几帳面で真面目な性格であるのに、自分は大雑把なので、それで何度か、喧嘩とまでは行かないが、不穏な空気が醸された時があった、と言う――具体例として、パスポート検査時の諸々だとか、意図せずして無賃乗車をしてしまった時のことだとかが語られるのを聞いた。聞く限りの印象では、官僚の彼は、真面目というのもあろうが、自分が知っているよりも神経質なのだなと思われた――そう考えてみると、会合で向かい合った時に、しばしば前髪を捻るようにして弄る仕草をしていたのが思い出されて、それも性質の現れのように思えて来るものだ。そうした話を終えて、九時を回ってから退店した。やはりエスカレーターは止まっているので、エレベーターを使って階を下り、ビルを出て駅舎通路に戻った。人々のあいだを歩きながら今度は、これもずっと以前、会合に加わっていた一人なのだが、防衛省に勤めていた女性の話が相手の口から出された。辞めて、コンサルタント業だとかいう新しい職場に入ったのだが、仕事がつまらないとSNSなどで愚痴を洩らし、早くもそこも辞めたいと言っているらしい。改札を抜けて電光掲示板を見ると、どちらも一〇分ほど猶予があるので、まだちょっと話して行こうと階段入口の脇に立ち止まった。相手は件の女性の話を続けて、旅をしながら研究をしたいらしい、と言う。研究とは何のかと問うと、政軍関係、という語が洩れて、大学でもやっていたことらしいが、トルコの政軍関係について学びたいとかいう話である。それで、いまそういう本を読んでいるのかと訊けば、いや、読んでいないと思うと来たので、ならば、やりたくなどないのだと、こちらは即座に断じた。もしかしたら読んでいるのかもしれないが、と断りながらも、もし本当にそれをやりたいのだったら、働きながらでも本を読むはずだと意見を述べると、相手も、まあ趣味の域を出ないものなのだろうと答える。そう考えると、その研究というのも本当にやりたいことではなくて、旅をしたいと言うのは要するに、働かずに楽に、自由に生活をしたいという抽象的な願望が一つの具体的な形を取ったものに過ぎないように思える、と述べると、前にほかにもそういうことを言った人間がいるのだと相手は話した。ただ件の女性が、自分の耳に痛いことは聞き入れない種の人間なので、そうした指摘は彼女には、ただひどいとしか思われなかったらしい。そのはっきりいったという人とは仲良くなれそうだな、と余計な言葉を残して別れ、それぞれのホームに行った。電車に乗ると、扉際で『武士道』をめくり、途中から席に座って到着を待った。着くと即座に乗り換えて、しばらくすると最寄りに降り立ち、暗闇のなかから虫の音の響き漂うあいだを抜けて、帰路を行った。帰宅して玄関をひらくと、何やら騒がしい声が居間から聞こえる。高いような声音も含まれていたので、母親だろうかと思いきやそうではなく、父親が一人でから騒ぎをしているらしい――日曜日とあって、自治会の会合でまた酒をたらふく飲んできたのだろう。扉をくぐると、父親は、帰ってきたばかりらしく、シャツにズボンの姿のままソファに就いて、パラリンピックの選手たちの活躍をまとめたようなテレビ映像を見ながら、赤い顔で大層燥いで笑い回り、合間合間に感心の唸りを洩らして手を叩いている。そのさまは滑稽でもあり、同時に幾許かグロテスクなものも感じられ、幼児性を含んでいるようにも思われて、人は老いるとともに子どもへと戻っていく、という世間にありふれた警句が浮かびもする――手を洗ったあと、階段を下りて行きながら、これもまた狂いだろうか、との思いが自然に脳裏に落ちてきた。着替えて上がると、台所に立った父親が、先に風呂に入っちゃってと言うので、入浴を済ませて、出ると一一時過ぎである。室に帰ると日記の読み返しをして、その後は、本来だったら前日の記事を仕上げるべきところだが、外にいた時間が長かったためだろう、頭痛が湧いていたので、文章を作る気力が起こらず、臥位で読書に入った。それで『武士道』を進めて、一時を越えたあたりで、このまま読み終わることもできるとわかっていながら、気晴らし的な時間を過ごしたい欲求もあり、結局後者を取って立ちあがり、コンピューターで笑わせるような動画を閲覧した。その時間があるなら書き物をすれば良いものの、頭痛を放置しながら夜更かしをして、二時四五分にようやく床に就いた。瞑想はせずに、明かりを落としたが、横になって目を閉じると、余計な情報が削ぎ落とされるために頭痛の刺激が純化されて迫って来る。姿勢を変えながら呼吸を数えて対抗してみるのだが、痛みが脈打つばかりで一向に眠気が寄ってこないので、大層久々のことになるが、精神安定剤(ロラゼパム)を飲んだ――そうして、何とか入眠することができた。