2016/9/30, Fri.

 前日と同じく、自分としてはまだ早い頃合い、八時三五分に覚醒が訪れたのだが、携帯を取ったのが運の尽きで、恐るべきことにそれから三時間のあいだ、寝床に転がったまま怠惰にウェブを回って時間を潰した――この三時間を読書に充てていれば、それで一〇〇ページほどはプルーストの物語のなかを進めただろうにと考えると、まことに愚かしいものである。起きていくと、母親が台所でチャーハンを作っているところだった。釜からしゃもじで米をフライパンに入れたのを引き取って、木べらで崩すようにしてちょっとかき混ぜると、トイレに行きたいからと言ってふたたび替わってもらった。用を足してきてから、居間で料理ができるのを待ち、母親がよそってくれた皿を受け取って食事を始めた。このあいだのことは、何も覚えていない。済ませて食器を片付け、下階に帰ったのがおそらくは正午付近、コンピューターを点けて、一二時半前から書き抜きを始めている――マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 4 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ』である。図書館で借りた本のうちではこれと、続く五巻の書き抜きが済んでおらず、早くしないとまたもや返却期限が来てしまうというわけで、この日は先んじてこれに一時間を費やすことにしたのだ。背景にはRobert Glasper Experiment『Black Radio』を、涼しい日だったのでおそらくは窓を閉めてスピーカーから流したのだと思う。それで一時半前になると、今度は安楽を求めて寝床に寝そべった。例によって、『失われた時を求めて』七巻の読書である。最初のうちは身体を晒して脹脛を膝でマッサージしながら読んでいたが、あと数歩で肌寒さに達しそうな涼気に布団が恋しがられて、身体を覆うと、自然と耐えがたい眠気が湧いてくる。それでも抵抗していたが、跳ね返すことなどできず、ついには本をひらいたまま胸の上に置き、睡魔に屈した。おそらくは四〇分ほど、夢のなかを泳いでいたようである。そうして三時一〇分まで読むと、立川に出かけるべく準備を始めた。前日と同様、迷いはあった――先にも書いたように、シャンプーやらシェービングジェルやらはいますぐ買わなくたってどうにかなるのだ(シャンプーは母親のものでも使えば良いし、髭剃りだって石鹸で代替できないこともないだろう)。わざわざ立川まで出てドラッグストアに寄ることで、随分時間を使ってしまうのも勿体なく思われたのだが、しかし年金は払わなくてはならない。とりあえず行くだけは行くことにして、服を着替えて上階に行くと、母親も眼科に出かけると言う。乗っていくかと訊くので、歩きたい気分でもあったが、時間を節約するかということで同乗することにした。ガムを一粒貰って噛みながら外に出て、車に乗りこみ、後部座席に就くと勿体ぶった様子で脚を組んで到着を待った。眼科に就き、小型鞄を持って降りると、母親と別れて街道を歩きはじめた。曇り空の下、緩い風が流れて、それが肌に触れると、おそらく湿り気が混ぜこまれてもいるのだろう、高級な布のようにひどく柔らかで甘美な感触が知覚にもたらされ、体温と同期する心地よい温度の空気が、服を通って細胞に染みこむような感じがした。森のなかの道に続く坂の麓のT字路、新聞屋の前の白いサルスベリは、花をまだいくらか灯していた。そこを過ぎて横断歩道を渡り、少々行くと郵便局である。入るとATMを使っていた婦人がすぐに離れたので、入れ替わりに機械の前に入って、三万円を下ろした。残高は六九万円、三〇万円が一挙に手に入った一月時点ではほぼ八〇万円あったので、まずはそこに戻すことを心がけなくてはならない。通帳を少々見分してから外に出て、駅に向けて歩きだした。ちょうど小学校が終わった頃合いのようで、ランドセルを背負って思い思いの様子で行く小さな子どもらとよくすれ違う。駅前に来るとコンビニを覗いたが、レジが埋まっていたので入る気にならず、年金を払うのは後回しにした。そうして駅に入り、停まっていた電車の最前車両に乗って、座ると本を取りだした。手帳を持ってこなかったので、読み始めの時間を携帯電話にメモしておき、ふたたび『失われた時を求めて』の文字を置いはじめた。脚を組んで、上に乗った脚を本の置き場にするという気取ったような態勢だが、こうすると目から文字までの距離がちょうど良いものとなり、持ちあげる必要もなくて読みやすいのだ。左手は本の下に差しこみ、右手は親指をページの端にそっと添えるようにして、集中しようとその姿勢を崩さず、顔もなるべく動かさないようにして視線を文字の上に滑らせるのだが、そうするこちらを邪魔したいかのように、額や頬に痒みが湧いてくるものである。途中、巨大な風船のように身体が膨張した婦人が大きな袋とともに乗ってきて、こちらの隣の空席を占めたが、それも意に介さずに読書を続け、立川で降りた。携帯を取りだして、読み終わりの時間を記録しておいてから、階段を上って、便所に寄ったのちに改札を抜けた。自分の周りを通り過ぎて行く乱雑な人波を眺めて、大層な人の多さだといつもながらの思いを抱いたが、この時既に――あるいは外出した初めから既に――若干の緊張が身体を覆っていたようである。歩廊を行き、左側の通りへ下りようとしたのだが、エスカレーターが工事中で作業員が封鎖していたので、右側の通りに降りて、横断歩道を駆け渡った。それでドラッグストアに入ったが、通路の狭い店内も結構な人のうろつきようである。シャンプーと髭剃りジェルや剃刀の棚の前に立ってみたが、やはりこれらに金を使う気にならないので、痒み止めを取ってレジに向かった――ところが、どこか並びの始まりなのか判然としない。と言うよりは、みな勝手な場所に位置して明確な列を成していないように見え、困惑してひとまず籠を置いて喋り合っている婦人らの後ろに就いたが、この人たちだって並んでいるのかどうなのかはっきりとしない。そのうちにレジの上に掲示されている、整列はレジごとにとの注意書きに気付いて、最も手近のレジで会計をしている老婦人の次に移った。そうして自分の番が来るのだが、札を取りだすにも一円玉を四枚足すにも、礼を言うにも何となく緊張して、店員の顔もまっすぐ見られず、ぎこちないような風になった。外に出ると釣りを整理し、品物を鞄に入れて大きな交差点のほうに歩きはじめた。本屋を見て行こうと思ったのだが、可能なら途中でコンビニに寄って年金の支払いもここで済ませようと考えたのだ。それで交差点を曲がり、コンビニの前まで来て覗くと、ちょうどレジが一箇所空いているようである。なかに入って用紙を差しだすと、店員は少々くたびれたような婦人で、物憂げで気の抜けたような声音で応対をした。それでまた緊張を感じながら金を払い、ぎこちなく礼を言って退出し、横断歩道を渡った。歩廊に上がると建物に入り、まずはCD屋に踏みこんだ。そうしてジャズの棚を見て、何か目ぼしい新譜でもあるかと探ったのだが、購買欲がそそられるようなものはほとんど見当たらない――Joshua RedmanBrad Mehldauのデュオ作が見つかったくらいである。それだって、勿論欲しいことは欲しいものの、何となく音が想像できるような気もして、今回は見送ることにした。それで店を出て、エスカレーターに乗って本屋に移った。岩波文庫の赤版を見分し、ちくま学芸などもちょっと見たあと、ハードカバーの棚のあいだに入りこんだ。まずは歴史の棚を見て、そうしてみると歴史の分野にも、本当に読みたい本がいくらでも見つかるほどに多いものである。これは、というものもなかにはあったのだが、そういうものに限って値段が高いので、為す術もなく哲学のほうに移った。何か一冊くらい買おうかと考えていて、ハンス・ヨナスの『回想記』は五〇〇〇円程度と手の届く範囲だったのだが、決め手とならず、もう一つとりわけ気に掛かったウラジーミル・ジャンケレヴィッチ『死』は七八〇〇円と、許容範囲を越えている。そういうわけで海外文学のほうに移って(五時半頃だった)、こちらの棚もじろじろと眺めたが、読みたい本はいくらでもあるものの、あえて金を使う気になるものがそうあるわけでもない。岩田宏の仕事であるマヤコフスキー叢書の新しいものが出ていたが、この日は買わずに帰ることにした――と言うのも実のところ、またレジで店員と顔を合わせて定型的な言葉を交わさなければならないということが、億劫だったのだ。最後に漫画の棚を見たが、市川春子宝石の国』の新刊もまだらしいので、店をあとにした。外に出ると、もはや暮れ切っており、空には薄雲が掛かっているようでそれが均一に青さを分け合って一平面を作り、そこから色の幕がまっすぐ落とされて四囲の背景を成しているかのように地上も夕べの青みに沈んでいる。歩廊の上から街並みを見渡すと、人のいるビルの窓々や、街灯やマンションの生みだす明かりの暖色が、まさしく散乱という言葉に相応しく至る所に点じられて、紺青に近づく空気のなかに穴を開けている。軽く恍惚の気配を感じながらモノレール駅下の歩廊を進み、また顔を外に向けると、横一列に並んだビルの窓のなかを芋虫のようなモノレールの分身が通って行くのだが、端まで来ると平面から空中に抜け出して実体化するのではなく、輪郭線に吸いこまれるようにそこで途切れて消えてしまうのだった。恍惚の感覚は高まり――もはやかつてのような強さを持ち合わせてはいないが――、かすかな震えを肌にもたらそうとしていたが、それはまさしく官能と言うべきもので、性感の高まりとほとんど変わらないかのようだったが、ただ内奥から湧き出る圧力は下腹部に向かうのではなく、顔のなかを通って瞳の内を圧するのだ。歩きながら、リリー・ブリスコウのことを思いだした――崩れ落ちるようにして別荘の庭で地面に座りこみながら、「このすべてに恋しているんです」と訴える彼女の姿が目に映った(実際に、『灯台へ』のなかではそのような動作と台詞が現実に行われたものとして現れることはないのだが)。文学作品のなかに住む、言葉でその肉体と精神が組織された虚構の人物の姿を、まるで現実に会ったことのある人間のように思いだすということは、彼女は自分にとって、もはや生きているのとほとんど変わらないのだろうか?――その姿を想起しながら、これから先もこのような恍惚の瞬間が訪れるたびに、自分は彼女のことを思い返すのだろうという思いが自然と湧いたのだった。モノレールの駅を過ぎると、照明から離れた歩廊の真ん中あたりは薄暗さに浸食されており、その薄暗さに包まれて身体の表情を曖昧にしながら、若夫婦と幼児の三人が連れ立って、言葉を交わしながら歩いているのが、いかにも家庭の平穏といったものを表しているように見えた。聳える駅ビルの空と接する頂上や、ビルの窓々に浮かびあがるネオンサインに目を向けながら、駅舎に入り、歩きながら惑うこともなくおのれの進むべき軌跡を見出して、互いのあいだを縫うように斜めに通り抜けて行く人々のあいだに混じった。改札を抜けるとホームに降りて、電車に乗ったのだが、車内の様子はとんと覚えていない。行きと同じように悠然とした様子で、『失われた時を求めて』七巻を読んだのは確かである。地元に着くと乗り換えも済ませて、最寄りから午後七時前の宵の道を少し行って、帰宅した。家は留守だった――母親は、眼科のあとにパソコン教室があったのだ。室に下りると、歌でも歌うかと小沢健二の曲を流しだし、支出の記録を付けながら声を出しているうちに何曲も通り抜けてしまったのだが、七時半頃になって携帯電話を見ると、メールが届いていた。京都の知人である。ここのところよく来るなと見ると、「起きてる?」と一言あった。肯定で返してのち、腕立て伏せをしながら待った返信は、スカイプで話そうとの誘いだったので、飯と風呂を済ませてしまっていいかと了承を乞うた。それで上階に行って、フライパンで調理されたカレー風味の鯖を温め、あとは米と味噌汁のみのシンプルな食事を卓に並べた。了承があったので、九時ほどになると思うと送っておき、新聞もちょっと見ながらものを食って、急がず風呂に入った。出ると、帰宅していた母親に挨拶し、自室に帰った。時刻は八時四〇分だった。スカイプでお喋りの時間を取るということは、おそらくこの日はもうほとんど文を綴ることはできないだろうから、九時までの時間で少しでも書き物を進めておこうと取り掛かり、二九日の記事に九〇〇字足したところで中断した。マイクを収納から引っ張りだし、およそ何か月ぶりかわからないほど久しぶりにスカイプにログインし、その旨のメールを送って、Robert Glasper Trioの演奏を聞きながら待っていると、相手が現れて、すぐに着信があった。音が聞こえるか互いに確認し合ったあと、相手から、元気にしてるかとの問いが掛かったので、まあ何とか、と答えると、何とかって何やねん、と笑いが返った。初めのうちは、インターネットから撤退したこちらの日記のことや、仕事のことや、過去に患ったパニック障害および心臓神経症などの話をした。また、何かのきっかけで、こちらが文学の世界に足を踏み入れた当初(それは卒論の提出を終えた二〇一二年の末から翌一三年の年頭のことである)の興味のことを話した――すなわち、話しながら自分でも忘れていたことをそういえばそうだったなと思いだしたのだったが、こちらの初めの関心というのは、実作ではなくどちらかと言えば批評だったのだ。当時はまだ時流に乗ってTwitterなどにも登録し、愚にもつかないことを吐き散らしていたのだったが、そのTwitterやブログなどで自分と同年代の、おそらくは大学生らしい人間が小難しい哲学の概念などを援用して文学作品やアニメなどを分析し、語っているのを、素朴に格好良いと思ったのが始まりだったのだ。したがって、最初期のこちらの知りたいことというのは、小説というものをどう書けば良いのかではなく、その読み方だった。それで、文学というものに触れてみようと思って一番初めに読んだのが、確か筒井康隆の『文学部唯野教授』だった、と、これもすっかり忘れていたことを想起して、告げると、相手は意外な事実に接した時の驚きの声を挙げてみせた。相手が現在推敲に苦しめられている最中の、新作小説の話にも当然なったが、紙本のみならずデータのほうも有料にしようかと思っていると相手は言った。意見を問うてみせるので、それはどうだろうなと鈍い反応をして、そのうちに売れる売れないでちょっとした議論のようになった――と言っても、剣呑な空気はまったくなかったのだが。既に自主出版されている前作よりは「間口の広い」ものになっていると相手が言うのを聞いて、意外に思った――こちらの感触としては、少なくとも明確な物語としての筋(それはある意味では読者の拠り所となるものでもある)があった前作に比べて、今作はまったくばらばらの断章という形式であるから、それだけで前作よりもいくらか取っ付きにくいものになっているのではないかと思われていたのだ。そうしたことを述べると、しかし主題としても身の周りの事柄を取り上げ、日本文学の伝統たる私小説の様式を踏んだものになっているし、ロラン・バルトが『偶景』で試みた「意味の零度」の追求をむしろ後退させて、保守的な文学好きに受け入れられそうな極めて旧態依然たる小説に仕上げたつもりなのだ、と来て、そう説明されるとなるほどと思わなくもないが、とはいえそれにしたって、あの長く形容過剰でごつごつとした強力な文体を、速やかに受け入れて、好物を味わうように読む人間はそういないだろうというのがこちらの考えだった。加えて主題にしても、そもそも「偶景」のようなもの――こちらが「具体性の震え」と呼んだところの、日常において認識や感覚がふっと揺らぐ瞬間――を敏感に捉える感受性を持った者が圧倒的に少ない、したがってロラン・バルトが試みた元々の「偶景」にしたって一体どれほどの人間が趣旨を理解しているのか怪しいと言うと、強度や差異について述べているドゥルーズを読む人間ならこちらの試みを理解できるはずだし、そしてドゥルーズは結構広く読まれているではないかと返ったのだが、そういう人間が本当に実感として「具体性の震え」に触れているのかという点にも、自分は疑いを持っているとこちらは受けた。前作は本当に新人賞を獲ると思っていたし、大層売れるとも思っていた、そのことをまったく疑っていなかったと冗談抜きの調子で知人は口にするので、それもまた意外に思われた。こちらや一部の人は大絶賛している前作が、非常に少数の反響しかもたらさなかったという事実を鑑みれば、そして、インターネット上、つまりTwitterや個人のブログなどで文学や小説について語る人間たちの発言、言っても言わなくても良いことをわざわざ発信する(そもそもTwitterというツール自体がそれを目的とした場なのだが)その薄っぺらさを見れば、この知人の書くような類の作品を好む人間の圧倒的に少ないのは、こちらには明々白々なことだったのだ。要するに、この現代日本においてロベルト・ムージルが一体どれだけ読まれ、受け入れられているのかということなのだ――のちには、ヴァージニア・ウルフの『波』だったり、ガルシア=マルケスの『族長の秋』だったりのような作品を、日本語で書いた作家が一人もいないのだから、という言い方もした――と言うと、相手は笑ってしまう話として、読書メーターの登録数を見ると、ムージル作品集のある巻よりも自分の前作のほうが数が多いのだ、と大笑いしながら明かすので、こちらも馬鹿笑いをしながらも、そのあとに落ち着いて、しかしそれは笑い話ではないですね、と受けた。端的にその一点に、この世の小説に対する関心の貧困さが明瞭に――あるいは象徴的に――現れているように、こちらには思われた。通話を始めて二時間が経過したところで、料理人をしている横浜の知人もスカイプにログインしてきて、彼からメッセージが届いた。先日の会合が延期されてしまったことに対する謝罪だったが、それを軽く受けて、いま京都の人と話しているが通話できるかと尋ねたところ、可能だとあったので、料理人を通話に引きこんだ。先のような判断には、文学の受容状況に対するこちらのシニシズムや諦めも大いに影響しており、多少偏ったものでもあるのだが、新たに会話に加わったこの人に対しても京都の人が、自分の新作は売れるかどうかと訊くと、横浜の人は言いづらそうにしながらも、それほど広く受け入れられるものではないというようなことを言う。間口が広くなったという作者の言にも、むしろ狭くなっていると思うとこちらと同じ意見を述べるので、我が意を得たりとなった。京都の人は、まさかそのような冷たい判断を年下の二人から揃って差し向けられるとは思っていなかったようで、腐ったようになり、何でそれをもっと早く言ってくれなかったのかと言ったが、こちらとしては、そのようなことはとっくにわかって、前提条件としていると自然に考えていたのだ。そうした話が大方落ち着くと、今度は横浜の人の双子の兄弟のことが話された。同性愛者である彼は、恋慕した上司に思いを告白したところ、激務のコールセンターに飛ばされてしまったと言う。聞いて、先ほどの小説の話も合わせて、実にくだらない世の中だなとこちらは思ったのだったが、その後に面白いオカルト的なエピソードが語られた。横浜の人も八月あたりに、恋愛関係で非常に気分が落ちこんでいた時期があったのだが、ある夜、ほとんど眠れないままに朝方に到ったことがあったと言う。うとうとするような調子で一、二時間だけ眠ったところで、携帯電話にメールが入っていることに気付いたが、それが兄弟からのものだった。連絡を取ってみたところ、相手は、次のようなことを語った――曰く、自室にいたところが、ベッドに真っ黒なオーラが溜まっているのが見え、そこから感じられる激しい絶望感のあまりに、近寄ることができず、椅子に座って時間を過ごしていた。するとそのうちに、そのオーラに感情が作用されて、嗚咽を上げるほどの激しさで泣いてしまったのだが、自分はそれほどの悲しみを抱いていないので、自分と親しい誰か、母親か兄弟かに何かがあったのだろうと考えた(通常の人間からすれば飛躍以外の何物でもないこうした論理の繋がり方に、こちらは聞きながら驚かされた)。母親に連絡を取ってみたところ、特に何もないようだったので、それではお前かと思ったのだ――横浜の人は、自分が苦しんでいたことはその時誰にも話していなかったので、さすがに驚いた、と洩らした。加えて、黒々としたオーラはじきに消えたのだが、その時間も、横浜の人が楽になった時間と大方同じ頃だったという話である。オカルトやスピリチュアルという語で呼び習わされる類の事柄をこれまで体験せず、身近に体験したという人間もおらず、あまり信じる基盤のないなか育ってきたこちらであるが、こうした話を聞かされると、面白いものである。京都の人は、自分で語るところでは最近は、「ムージルの伝記よりも、オカルトサイトのほうを読んでいる」ほどオカルトの類に心惹かれているので、大層興奮した様子で、何やねんあいつ、すげえな、見えてるな、と声を上げていた。通話は総計で四時間に及んだのだが、その最後に、京都の人の新作のタイトルについて話がされた。ブログには、『塵と光線』で決まったとあったのだが、横浜の人が、『囀りとつまずき』という題がとても好きだった、それか、『くちばしと光線』のどちらかになるのだろうと思っていたと言い出し、それを受けると京都の人も、改めて迷いが出てきたのだった。こちらも意見を求められると、囀りという語は好きであると答えて、かつて相手がブログに書き記していたそのタイトルの趣旨を述べると、相手も翻った心が固まったようで、『囀りとつまずき』で決定となった。通話を終えると、時刻は一時一五分かそこらだった。水も飲まず、姿勢もあまり変えず椅子に座ってモニターを長時間前にしていたためだろう、空に近づいた胃が不快な感触で音を立て、頭痛も湧いていた。それでも本を読みたかったので、一時二〇分から三時前まで、やや霞んだような意識と疲れた肉体を押して『失われた時を求めて』七巻を読み、それから眠りに就いた。