2016/10/2, Sun.

 久方ぶりの晴れの朝で、明るいなかで何度も覚めたようではあるが、一一時過ぎまで起床を掴むことができなかった。意識がやや晴れると、またもや怠惰に過ごしてしまうのを恐れて携帯には頼らず、カーテンをひらいて太陽の白い照射を受け、じきに瞼を安定させることに成功した。ちょっと脚をほぐしてから、起きあがって便所に行き、それから瞑想を済ませて一一時四三分、上に行った。両親は揃ってホームセンターの類に出かけたようで、不在である。例によってハムエッグを焼き、ほかに即席の味噌汁に、豆腐を用意して食事を取ったが、そのあいだに家族が帰ってきた。テレビが点いて大衆歌唱大会が流され、二人は台所で焼きそばを作りはじめた。珍しく父親が率先して調理台の前に立っているのだが、母親が何か質問したり、野菜を切って差し出したりする時に、自分のやり方が邪魔されるのが気に入らないようで、悪態めいた言を吐く。その声の苛立たしげな調子、大人げないような態度は、聞いていてまことにみっともないとため息をつきたくなるようなものなのだが、その声音を聞いてヒステリーという言葉が脳裏によぎり、そうか、ヒステリーという語は殊更女性にのみ結びつくものとして現れがちだが、男性のそれも当然あるのだなと思った。風呂を洗うとそば茶を用意して室に下り、前日の記録を付けたりしながら、今日はどうするかと考えた。まず、『失われた時を求めて』の七巻を読み終わりたい気持ちがあった。読書時間をたくさん確保するためには、勿論、自宅に籠っているのが最善ではあるが、柔らかく澄んだ青空の広がる大層気持ちの良い日和なので、どこかに出かけたいという気持ちも強く感じた。二日前訪れた立川には用はなく、行くとしたら三鷹の古本屋くらいのものである。元々そろそろ本を売りに行こうと考えていたことでもあるので、巨大な紙袋を持ってきて本を収めておき、二時の早い電車で行くことにして、しばらく寝床で読書をした。そうして一時四〇分を迎えたところで腕立て伏せをして、本を入れた袋を持って上階に行った。居間のテレビにはクイズ番組が映っており、母親はその前で、父親はソファでそれぞれ寝転がっている。デオドラントシートで身体を拭いながら、ソファの上に仰向けになって口もとに片手を当てながら眠っている父親を眺めたが、垂れ気味の眉や山型になった口の線などの形作るその顔貌に、その親である山梨の祖父の面影が重なって、なるほど似てくるものだなと新鮮な感じを得た。それから服を着替え(麻製の白の半袖で、それぞれ違うボタンの色が装飾となったシャツを久しぶりに着た)、帽子を被って、やや早めに家を発った。『失われた時を求めて』にプリーモ・レーヴィ『休戦』と手帳の入った小型鞄は売却本の上に載せて、初めは持ち紐を握って袋を運んでいたが、大した重量に手のひらが痛むのですぐに両腕で身体の正面に抱えた。空に雲はかけらほどしかなく、青さが伸び広がっており、陽射しは空中を容易に渡って地に宿り、肌に汗を吐き出させる。息を切らせながら坂を上って駅前に着いた頃には、背や腕が湿りきっていた。ホームに行くと先のほうまで歩き、既に着いていた電車に乗りこんだ。なかは日曜日の昼下がりというわけで、山帰りの客たちで座席が埋まっている。扉際に立って、背中のシャツをつまんでばたばたとやるが、肌に溜まる汗の玉は容易に引いていかない。駅が近づいて、窓の外をゆっくりと流れていく木々はことごとく、光に葉を舐められて緑のなかに散乱する輝きを自由に遊ばせていた。降りると乗り換え、向かいの最前に行って、無人の車両の座席の端に腰を下ろした。そうして『失われた時を求めて』を取りだし、開始時間を記録して読書である。足もとの袋が大きいため、この日は脚を組むことはできず、両脚のあいだに紙袋を挟む形の姿勢になった。電車のなかでは特段の印象深いことはなかったが、途中、そろそろ腹も大方空になったかという頃合いで、胃のあたりが刺されるように痛む時間があった――まったく同種の痛みが帰りの電車内でも訪れて、神経痛のような感触でもあるのだが、それにしては固さの強いもので、このような現象が起こると、やはり胃が弱っているもしくは傷んでさえいるのだろうか、と嫌な思いが湧くものである。座ったまま三鷹に到着し、降りるとベンチに就いて読書時間の終わりを記録した――三時七分だった。『失われた時を求めて』七巻が、あと一五ページほどで読了だったので、その場で読んでしまおうかとも思ったが、時間をもう一度見てあまり遅くなるのもと思い、古書店に向かうことにした。エスカレーターを上り、袋を抱えて改札を通ると、引き続きえっちらおっちらといった風情で道を行った。店の前に着くと百円均一の棚を見たが、買っても良いと思われるものは、古井由吉『栖』くらいのものだった(しかしこれは結局、購入するのを忘れた)。店内に入り、カウンターの店主に挨拶して、買い取りを頼んだ。待つあいだにまず、哲学系の棚を見たが、その隣が社会学やアナール系統の歴史学を置く場になっており、その先は以前は音楽・演劇・幻想文学系という並びになっていたのが、音楽と演劇は背後の壁際に移り、哲学の裏にあった日本の批評が端に入ってきていた。そのあたりまで見ていると早くも声が掛かったのでカウンターに行くと、まとめて三〇〇〇円だと言う。二六冊でそれだと、一冊一〇〇円少々の平均になるが、まあそんなものだろうと、もともと交渉する気などないので即座に了承し、用紙に住所や名前を記入した。顔を上げて金を受け取りながら、ご無沙汰しておりまして、と向けると相手は、忙しくされていましたかと来る。いや、そうでもないのですがと受けると、棚も少し様変わりしたのでぜひまた見て行ってくださいと言うので、肯定して品定めに戻った。積み本が大層溜まっているし、もう金をなるべく使わない方針でもあったので、売却で得た三〇〇〇円の内に収めて、少なく買うつもりでいた。ところが、一通り回ってから壁際の美術の一画を見ると、パウル・クレーの書簡がある。見つけた途端に欲望が急速で煽られるのを感じ、最後尾に鉛筆書きで記された値段を見ると、ちょうど三〇〇〇円である。さすがにこれは買わないわけには行かないと購入を決め、と言ってほかにも気になるものはあったので、この一冊は例外的な余剰扱いとし、ほかのものを三〇〇〇円に収めることで自分の欲望に対して手を打った。この日は珍しく詩の類に食指が動いた――というのはおそらく、小説に用いられる言葉の形はそれなりに見知ってきたので、よほど自分の関心の作家であるか、何か気に掛かる匂いがしないと、図書館で借りて読むなら良いにしろ、わざわざ金を出して手もとに置く気にはならないというわけだったのだ。小説に関しては、おのれの好みも明らかになっており、持っておくべき本がどれかもそこそこわかる。対して詩はまだまだ読んだ量が圧倒的に少なく、そこにどのような言葉の可能性が眠っているのか未知であり、いままで見たことのないような言葉の使い方を駆使しているものへの探究心がこの日は働いた――その点で言えば、シュルレアリスムの作品などにも手が伸びたのだが、目を付けたのはむしろその先駆者、すべての既成概念を破壊しようと試みたダダイズムで名高いトリスタン・ツァラで、三冊あってどれも一〇〇〇円のなかから、一番厚いものをという貧乏性の基準で、『人間のあらまし』を選んで買うことに決定した。さらに海外の小説を見分していると、ベルナール・パンゴー『囚人』という、カバーまで日焼けして茶色くくすんだ何の事前情報もない作品を発見し、ひらいてみるとそれが何となく面白そうに感じられて、四〇〇円と安かったので購入本に加えた。これで三〇〇〇円の枠のうち、棚の上に取り分けた二冊で一四〇〇円が埋まったことになる。ほかの候補は、アストゥリアス鼓直訳『緑の法王』や、フランシス・ジャムの『回想録』だった――前者は『族長の秋』の訳者の名に惹かれ、後者はプルーストが評価していた詩人であるということを知って以来、その名は気に掛かっていたのだが、『緑の法王』は実際にページをひらいて文字を眺めておのれの欲望を吟味してみると、そこまで引っ張るものを感じなかったし、ジャムのほうも――作家の自伝や回顧録の類は好きで、値段がそれなりで手の出ないアンドレ・マルローの『反回想録』などもずっと以前から読んでみたいと思っているのだが――どちらかと言えばまず試作そのものを読みたいと思われたので、両方とも見送ることにした。残る候補は、『西脇順三郎 詩と試論Ⅰ』(一〇〇〇円)、フランシス・ポンジュ、フィリップ・ソレルス/諸田和治訳『物が私語するとき ポンジュ、ソレルスの対話』(一五〇〇円)に、岩波文庫の『チェッリーニ自伝――フィレンツェ彫金師一代記』(上下巻で六〇〇円)である。詩と文庫を買えばぴったり三〇〇〇円だが、フランス文学の気鋭二人による対話も、以前Amazonで存在を知って以来、ずっと欲しかったものである(フランシス・ポンジュは非常に特殊で先鋭的な詩人として以前より関心を持っているし、フィリップ・ソレルスは、自分の小説を書くにあたってその著作を読んでおかなければならない作家として位置づけられている――もっとも、入手した彼の本はまだほとんど読んでいないのだが)。とはいえ対談本を選べば、残りを足す余地はない。多少の超過はおのれに許すことにして、とりあえず『西脇順三郎 詩と試論Ⅰ』を棚の上に加えて、これで二四〇〇円である。文庫を選んできっちりと収めるか、それとも九〇〇円を余計に払うかと悩んだ挙句、九〇〇円も一五〇〇円も大して変わるまいと払って、自分の欲望を許し、すべてまとめて買うことにした――クレーの書簡を加えると総計で七五〇〇円を数えて、売却益を引いても四五〇〇円と考えると、多少勿体ない気も湧いたが、しかしこの値段で自分の興味関心を満たせるのだから、安価なほうである。会計を済ませて店を出ると、四時半を回った頃合いだった。すっきりと青く晴れた空に浮かぶ陽は傾いて水平線に向かい、駅前に聳えるビルの側面には粉のようなオレンジ色が染みこみ、窓には輝きが凝縮され、街路樹の下を歩くあいだ、光に浸透されて青さを剝がされ純白に満ちた西側の空が、葉の合間から宝石の破片のように覗いた。駅に入ると改札を抜け、便所に寄ってからホームへと降りた。各駅停車の先頭車両に乗りこんだが、結構な混みようで、座席はすべて埋まり、扉際も空いていなかったので通路の適当な位置で吊革を掴んだ。重い単行本を片手で持って支える気にもならなかったので、手持ち無沙汰に外を眺めると、まだ明るいが、陽はもうだいぶ西のほうへ入りこんだようでその姿も光線も見えず、北側の街並みに窺えるその気配は、流れゆく建物の窓や側面に触れる仄かな暖色と、蔭の薄青さのみである。住宅地を成す町で人々が降りて行き、じきに扉際が空くとそこに入って、『失われた時を求めて』を読んだ。それで立川で降り、ホームを替えてやって来た電車に乗り、引き続き読書をして到着を待った――途中で『失われた時を求めて』七巻は読み終わり、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『休戦』に入った。再度の乗り換えを済ませて最寄りで降りると時刻は六時過ぎ、もはや暮れ切って空には暗い青が僅かに残っているばかりである。虫の音が至る所から響く道を行って、家に帰った。自室に戻ると、早速支出や売り買いした本の記録を付けておき、それから瞑想をして、食事を取りに行った――メニューは覚えていない。その後の時間のこともほとんど覚えていないが、九時直前から書き物を始めて三時間続けているところでは、風呂は食後すぐに入ったようである。二時間一〇分を掛けて三〇日の記事を仕舞え、その後四五分で前日のもの、さらに一五分この日のものを記したところで零時一〇分となって切りとしたのだが、背景に流した音楽はGyan Riley『Stream of Gratitude』、Guillaume de Chassy & Daniel Yvinec『Songs From The Last Century』、Brad Mehldau Trio『Blues & Ballads』、Mal Waldron『The Quest』という順、このなかで売却に分類されるものはなかった。零時頃に記憶を探りながらふと視線を落とした時に、机の下にオノ・ナツメさらい屋五葉』全八巻が積まれているのが目に入って、驚いた。これも売るつもりでいたのに、完全に忘れていたのだった。それで「売却予定リスト」という目録にその八冊を書き付けておき、書き物のあとは日本史を勉強した。一問一答を見開き三つ分確認し、すると一時前だったようである。ポルノを閲覧して射精するのに時間を使ったのち、二時から読書を始めた。プリーモ・レーヴィ『休戦』を五〇分ほど読み進めたのち、一四分間瞑想をして就寝である。