2016/10/8, Sat.

 朝のことは覚えていない。起床は一一時二〇分だったようである。便所に立ったはずで、それから瞑想をした。一一時半から四二分まで枕の上に座り、上階に行った。食事に何を食べたのだったかは、既に忘れてしまった。(……)こちらは室に帰って、João Gilberto『João』を流しながらコンピューターを前にした。母親は、近隣のイオンモールに行かないかと部屋にやって来たのだが、断ると、一人で映画を見に出かけて行った。それで、書き物を最優先で早急に片付けなければとの思いのもとに打鍵を始めて、一人の家の、そのなかでもさらに狭い自室で黙々と文を綴って、三時に前日の記事を仕舞えた。それからは、読書をしたいところだったがしかし、先日知人――名古屋の大学院で哲学に取り組んでいる――から寄越されたメールの返信も考えなければというわけで、そちらのほうに気が向いて、指がゆっくりと新たな打鍵を始めた。腹も減っていたので、しばらくしてからコンピューターを、ケーブル類と切り離して剝き身にしてから片手で持ち、部屋を出て階を上がった。そうしてカップ蕎麦を用意して、ひどく安っぽい風味のそれを啜りながら文面を考え続けた。食後の蕎麦茶も飲んで自室に帰ったのが、おそらく五時頃だったと思われる。母親の帰りは思いのほか、遅くなっていた――映画は四時半までだと言っていたような覚えがあったのだ。それで飯も何か拵えなければならないだろうと思いながらも作文を続け――とはいえ、インターネットも覗いたりしながらの散漫なものだったが――途中、五時半前に左のラックに目を向けて、本をまた整理するかと思い立った。まだ袋に収めたまま床に放置されたものが、三袋分あったのだ。棚は埋まっていたが、最下部の段は本の配置を変えればまだまだ載せられる余地があった。それでそこを片付け、押入れのなかに入りこんでいる本を取りだして積んで行き、何とかすべてが収まりきった。さらにアンプの上に積み重ねていた文庫本もそちらに移し、機械に呼吸を許してあまり熱を溜めないようにしてやり、完了である。一〇分ほどの短い作業だったが、舞った埃のために鼻水がしきりに湧いた。そうしてまたコンピューターに向かい合っているうちに、母親が帰ってきたので、上階に行った。居間は真っ暗だった。明かりを点けて台所に入り、豚汁を作りはじめた。丸々と太った玉ねぎや侘しい人参のかけら、それにジャガイモと大根を切り分けて、ひき肉と一緒に炒めた。鍋が焦げ付いてきたので水を注ぎ、そこであとは任せて室に戻り、返信の続きを書き足した。この日の残りの時間もほとんど、やはりたびたびほかの事柄へ気を逸らしながらの漫然とした取り組みではあったが、返信作成に充てられ、ひとまずの完成を見た頃には結局、もう日付が変わるのも間近になっていたようである。あいだのことで印象に残っているのは、新聞の一面に――確か朝刊ではなく、夕食時に見た夕刊の紙面だったと思うが――阿蘇山噴火の報が伝えられており、そこに掲載されていた写真のことである。何とか言う駅の周辺を上空から写したものだったが、駅のものであれ電車のものであれ、その周りに並び広がる民家のものであれ、屋根という屋根には火山灰が降り積もっており、線路や道路などもまた一様に染め抜かれて、その無慈悲なような薄鉛色の侵食から逃れた部分は、ほんの僅かしか見当たらなかった。現地の人間にしてみれば大変な事態であろうとは思うのだが、それを見た時に、ある種、古びた写真のような、あるいは手を加えられて加工された画像のような感触を覚えて、そのなかに美しさの念すら少々含まれているようだったので、記憶に残ったのだった。夕食と風呂、それに作文を済ませたあとは、エドワード・W・サイード/デーヴィッド・バーサミアン: インタヴュアー/中野真紀子訳『ペンと剣』の読書に入った。ベッドで一時半まで読んだところで、そのまま読み続けていれば良かったとあとでは思ったものだが、気晴らしの虫が湧いてコンピューターに触れ、インターネットを散歩した。そうしているうちに二時半を越えたので、眠りに向かうことにして、用を足してきてから瞑想をした。窓ガラスの向こうで控え目に揺らぐ虫の声に耳を向けたり、この日のことを断片的に回想したりしながら、一三分座って、三時直前になって明かりを消した。