2016/10/11, Tue.

 七時台か八時台か、早いうちに覚めた記憶がある。その時、窓ガラスに何かが触れるこつこつという音がしていたので、その音で覚めたのかもしれない。寝惚けた頭で何か虫がたかっているのだろうかと考え、気色の悪い姿態が脳裏には想像され、怖いもの見たさのようにしてカーテンをひらいたのだが、ガラスの向こうにはくしゃくしゃに萎れたアサガオの残骸と、その先の白い曇り空があるのみで、音の正体は知れなかった――まさにその茶色く染まったアサガオの蔓の先が、風に押されて窓を叩く音だったのかもしれない。再度時計を見ると八時半頃だったのだろう、就寝から六時間を数えて良い頃合いだと思ったものの、起床には到れず、ふたたび寝付いてまどろみの沼を通過し、結局は一〇時半である。起きあがって便所に行く途中、休みの父親が起きて働いているらしく、上階から何か掃除機にも似た駆動音、ドリルのようにも聞こえる機械音が響いていた。戻ると瞑想をして一〇時四五分、上がって行くと父親は外にいるようで姿が見えない。母親は障害者手伝いの仕事で不在、食事は、前夜のけんちん汁にうどんを加えて煮込むつもりでいた。冷蔵庫を探ってみると、前日には確かに見かけた生麺のうどんが見当たらず、冷凍庫のものしかない。仕方がないのでそれを使うことにして、隼人瓜の煮物が入った鍋を空にしてゆすぎ、湯を沸かしてうどんを茹でた。それをざるに上げてからけんちん汁のほうに再度投入し、豆腐を足してちょっと煮込むと丼に移して、卓に持って行った。その他、隼人瓜の料理や小さな卵焼きなども合わせて食事である。食べているあいだは、この日は朝刊が休みなので携帯電話で他人のブログを読んだ。食べ終えてからブログの最新記事も読み終えると立ち、入ってきた父親に挨拶しながら皿を洗った。それから風呂も洗い、蕎麦茶を用意して室へ戻ると、正午近くだったようである。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を久しぶりに流し、インターネットはほんの少し覗くだけで無駄な時間を費やさずに、ブラウザを閉じた。それでやる気もあって早速書き物に取り掛かれそうだったが、先に日記の読み返しをすることにした。二〇一四年を、一〇月九日から読みはじめたが、一文一文読んでいこうと思ってはいても、いざ二年前の自分が書いた文字列を目にすると、まるでくだらない書きぶりなのでどうしてもまともに読む気が湧かない。それでも多少は目を通したが、箇条書きに取りあげるような部分もほとんど見つからず、一一日までの三日分をさっさと流して削除した。それから二〇一五年の、一〇月二日を読んだが、こちらはさすがに文体も文脈を作る力も、まだまだ未熟ではあるがそれなりに固まって、その一年前のものよりは読めるものになっている。現在も変わらない父親の燥いだ振る舞いなどを記録しているのを引用しておき、磯崎憲一郎電車道』についての考察なども、大したものではないが読めないものでもないので残して、一二時二〇分から書き物に入った。それを機に音楽はSeamus Blake Quintet『Live at Smalls』に変えて、ヘッドフォンも付けた。そうして一時間を打鍵に費やして、一〇月一〇日の記事が完成したのが一時一五分である。この日の記事は一旦置いておき、そろそろ洗濯物を入れるかと上階に行った。すると父親はソファに就いてラジオを垂れ流しにしながら、歯を磨いている。その後ろを通ってベランダからタオルやシャツなどを取りこんで行き、ハンガーからタオルを一枚一枚外すと、父親が洗面所に立ったあとのソファに腰掛けて畳んだ。戻ってきた父親は、ズボンは貰ったのかと言う。肯定すると次には、工具箱を知らないかと言うので、ここの下にないのかとソファを指して答えたつもりが、父親はその後ろのラックの下を覗きはじめたが、実際そこに見つかって器具を取りだし、床にしゃがみこんで居間の椅子のネジを回しはじめた。その傍らでこちらは下着なども畳むと、アイロン台を出してワイシャツとハンカチにアイロンを当てた。終える頃には父親は外に出ており、こちらは下階の室に帰って、まず身体をほぐそうというわけで、先のSeamus Blakeのライブ盤の最後、 "Fear of Rooming" をスピーカーから吐き出させて、ベッドの上で柔軟運動をした。それから腕立て伏せ、続いて背筋も動かすと一時四〇分、コンピューター前に就き、この日のことを記録しようと打鍵を始め、音楽はKurt Rosenwinkel Standards Trio『Reflections』を流した。そうして、まだ記憶も概ね定かだから、軽い筆致でさらさらと記して行って、二時九分になって切り、綴ったのは二〇〇〇字ほどである。この日は労働が三時限で時間が少ないという頭があるのだろう、自然とおのれを律するような心持ちで、ここまで気晴らしを必要とせず、無駄なく、かといって焦りに追われることもなく、こなすべきことをこなせていた。四時には出ないといけないので、三時前には上に上がって腹ごしらえをするつもりでいた。それまでのあいだしばし英語を読もうというわけで、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraに触れて、二時半にペーパーバックを閉じて部屋を出た。上階に人の気配がなく静かだと思っていたら、父親はソファにもたれて座布団を抱えこみながら、うとうととまどろんでいた。台所に入ると、カップヌードルの空容器のなかに、朝に食ったレトルトのカレーの空袋が、洗われたようで綺麗になって合わせて置かれている。こちらは、もう一つ残っているレトルトのカレー(キーマカレーである)を食べるつもりでいた。父親の食事の残骸をごみ袋に始末し、カレーのために湯を沸かす一方、よく覚えていないが確かけんちん汁が残っていたはずで、それを熱して卓に運んで食べながら、レトルトパウチの中身に火が通るのを待った。汁物を平らげてから改めて、大皿の米にカレーを載せて、父親がすやすやと眠っている横でそれを口に運んだ。食べ終えて後始末をすると、下階に戻って、歯を磨きながら本を読んだ時の時間の記録が、三時一五分から三二分とされているそれだろう。それから着替えて、小型鞄に日本史の一問一答と用語集、それに九月の勤務書類のチェックをするつもりで手帳を入れ、印鑑も持って階を上がった。父親はこの頃にはそこそこ目覚めていただろうが、相も変わらずソファに身を沈めていたと思う。労働前に腹を軽くしておきたかったこちらは便所に入ったが、便座の上に座りこんでいても訪れがなく、腹を撫で回したり腸のあたりを狙って下腹部を指であちこち押しこんでみたりとしたが、かえって便意が消散するような感じすらあったので、これは出ないなと心を決めて、室を出た。それで父親に声を掛けて玄関を抜けたが、そんなことをしていたおかげで時間が経っており、欲しいだけの準備時間が貰える時刻にはぎりぎりで間に合わない頃合いになっていた。自転車を走らせはじめて街道に出ながら、時計を見て判断するにやはり間に合わなさそうだが、裏通りに入ると多少は脚を勤勉に動かして速度を稼いだ。気温は低く、前日よりも涼しさが強いくらいで、ハンドルを握る両の手指の先が冷たさを帯びている。このままスムーズに、速度を落とさずに進めるかと思っていたところが、やはり前方に女子高生が四人並んでいるのが見えて、減速せざるを得ない。空き地の縁の道の余剰を利用して抜いたが、自転車に乗っている時に遭遇するこうした障害の存在は、まことに煩わしいものである。ベルを鳴らしてこちらの存在を背後から気付かせるのも何となく気まずい思いがする――そもそも、自転車の何が楽しいと言って、何にも妨げられることなく一人で道をすいすいと滑らかに走って行けることが快いのであって、そうした他人への周知をわざわざしなければならない、そのような状況の発生自体が既に自転車の楽しさを損なっているわけで、それを避けたいあまりにやはり徒歩を取ろうかという気も湧くほどである。もしくは、遠回りになるが別のルートを使って、人のあまりいない道を取ったほうが良いなと思われた。そうして、職場に着くのはやはり、求めた時間を僅か過ぎた頃になって、(……)。(……)九時四〇分かそのくらいに職場を退出した。夜の帳の降りきった帰りも、行きと同じくらいには気温が低いようだが、指先はかえってこの時のほうが冷えず、労働で動いて多少の熱が生まれているからだろう、身体全体としても涼しさをあまり受けない。ゆるゆる漕いで家に帰り着くと、父親は相変わらずソファにいたので挨拶をした。母親は入浴中である。手を洗ってから下階に帰り、ジャージに着替えると早速瞑想、ここのところはそれほど労働で疲れず、帰ってきてからも休む時間を取らずにいられると見える。一一分を座って一〇時一〇分になると上階へ、食事を取りに向かったが、父親は既に下りてきて階段下の部屋におり、座椅子に就いて珍しく何かの本を読んでいた。夕食は麻婆豆腐だった。既に丼に盛られたものがあったので、それを電子レンジで熱してから、赤み混ざりの豆腐のぬかるみの真ん中に、米をすくって載せていき、卓に就くと両者を絡ませて口に運んだ。夕食中には携帯電話を持ってきていて、他人のブログを読んだのだが更新されていた記事が短くすぐに終わってしまったので、久しぶりにその後はものを食う一方で片手の指を動かしてウェブを回ったりもしたのだが、そのうちに母親がテレビを回すなかで選んだドラマのほうを見やった。この人誰だっけ、とヒロインらしい女性を指して言うのに、新垣だろうと答えた。筋は、IT会社勤めのクールな眼鏡の堅物めいた男(星野源)と、その家で家事手伝いか何かとして働いていた女(新垣結衣)が、周りには見破られないように偽装して契約結婚をするという、要はラブコメディの一種らしい。真面目に見てはいなかったが、契約結婚の体を取っていながらも、男女共に何となく相手に惹かれているような雰囲気もあって、それを隠しながら契約を建前として共にいることを選んだという風に見え、最終的には本当に好き合うのだろうと筋の予測は容易に立つ。キャラクターの造型なり舞台設定なりに、漫画の匂いがすると思えば、エンディングのクレジットに表示された原作が、よくは見えなかったがやはり漫画だったようである。それを何となく見て一一時を過ぎ、食器を洗ってから風呂に入った。出て室に帰ると、一一時半過ぎというところだったかと思う。この日はまだ読書を、三時台の食事の傍らと、その後の歯磨き中にしかしていなかった。それでここから眠るまで二時間くらいは読むつもりでいたところが、インターネットをうろついているうちに、(……)結局二時を迎えた。そこでようやく切って歯ブラシを取ってきて、磨きながら読書を始め、口をゆすいできてからは寝床に転がり、読書である。おのれの怠惰、欲望の寄り道のせいだが、一日五〇ページ程度も本を読まないのはやはり気持ちが良くない。それで就寝が遅くなってしまうのを構うものかと払って読み進め、無事に五〇ページ分は越えることができた。それからもちょっと進めて、切り良く三時に達したところで終いとし、本を閉じて即座に消灯し、瞑想もせずに布団にもぐった。