2016/10/12, Wed.

 久しぶりに澄んだ青さの伸びる空にちらちらと輝く白球の光が寝床まで斜めに滑ってくる朝だった。八時台かそのくらいで一度は覚めたはずである。母親は前日に引き続き仕事があるという話で、これは記憶違いかもしれないが、出かけてくると言うのを寝床から低い唸りのような声で受けた覚えらしきものもある。九時台には、枕に頭を載せていては純白の熱を持った光が、瞳にまで届かないので、頭を上げて姿勢をずらして何とか太陽の助けを借りようともしたのだが、努力は実らず、結局は倒れて、意識の取りこまれて固まらぬまどろみの湿原に逆戻りである。一〇時台に突入するともうだいぶ寝覚めが良くなってきてもいたはずなのだが、油断をしているうちに半になり、またちょっと目を閉じた隙に時間が跳ねて逃げて行き、一〇時五五分が正式な起床である。ちょっと床に留まったのか、何かに時間を使ってから便所に行ってきて、一一時一五分から瞑想である。枕に腰掛け、日中の音を聞くために窓を細くひらいた。鳥の声も虫の音も川のざわめきもあるが、それらよりも、何のものなのか判然としない機械音が聴覚空間の真ん中下あたりから発して、あたりに広がってその他の音を妨害するようだった。何となく土を耕しているような、あるいは何かの工具かもしれないが、Sの子音をはらんだ何らかの駆動音で、どこかそこそこ離れたところから渡ってきて、時折り止まってはまた動き出す。そのうちに長く止まって聞こえなくなり、それからすぐに瞑想は切りあげて上階に行った。台所には、巻繊汁が鍋に作られており、麻婆豆腐の残りもあった。中国料理のほうは量が少なかったが、熱して、釜の米をすべて盛った丼の上から掛け、建長寺の修行僧が発祥とも言われる汁物も一杯よそって卓に就いた。そのほかにもう一皿、何かのおかずがあったような気がしないでもないが、記憶には浮かんでこない。新聞に目を通しながらものを食っている途中、時計に目を向けると既に正午が近い。外は久方ぶりに柔らかな光の色が、川向こうの林や町の屋根の前に落ちて空気を磨いたようになっているのが見られて、起きてから一時間しか経っていないが大気の移り変わりが鈍くなったかのような穏やかな昼下がりをちょっと味わった。皿を洗うとその他の仕事も先にやってしまうことにして、まず風呂を洗った。それから米がなくなったので、水を入れておいた釜を炊飯器から外し、流し台で洗って、ざるに米を四合半、すくい入れてくると、釜のひらき口にざるを掛けて蛇口から水を落とし、なおざりに米を洗った。水の白濁が薄くなると釜にもう米を入れておき、機械のほうに戻しておいて、ひとまずこれでやることは終了、下階に戻って湯呑みと急須を持ってきた。それで蕎麦茶をつごうと思ったところが、テーブル上を見ても袋が見当たらないのは、前日でなくなったのだ。一応玄関のほうの戸棚もひらいてみたが、ストックもないので、一時緑茶を飲むことにして茶壺をひらいたところが、匂いを嗅いでみるとあまり美味そうなものではない。それでもほかにないので、カフェインを嫌ってほんの少々急須に葉を振り入れ、薄い液体を湯呑みに注いだ。もう一杯分急須に入れておいて、下階の室に帰り、書き物の前にと日記の読み返しを始めた。二〇一四年の一〇月一二日は投稿サイトで知り合った人々との会合に行っており、それを読んだのを機にインターネットに入って、いまはもう交流のなくなった彼ら界隈のTwitterアカウントなどを眺めて、一二時三八分に注釈を終えた。さらに二〇一五年は一〇月三日のものを読んだが、こちらはこちらで大学時代の知人から連絡を貰っており、思い出される過去を書き付けたり、その頃の知人の消息をインターネットで検索したりして時間を使い、さらにいくつか注釈を付して終えると、一時一九分になっていた。書き物の前に、腹もこなれていたので、身体を動かすことにした。小沢健二『LIFE』を流してベッドに乗り、カーテンをひらくと、窓に極小の白い虫のようなものが貼りついている。目を寄せてみると、その体は白く半透明になっており、下方に向かって伸びた筒状の尻のような器官はそのなかの狭い空洞が透けて見える。体のほうからその尻がちょっと長く伸びて、先端からはまるで植物の細い蔓のようなものがやや湾曲しながら二股に垂れているそれは、実のところ以前も二匹ほど揃って窓に付いているのを見たことがあった。その時は網戸の上にいたので、確か裏側から指をぶつけて落としたのだったが、またもや現れたこの存在の正体は、こちらの知識ではとんと知れない。一見したところでは、姿態の類似から、蜻蛉の赤ん坊のようにも見えるのだが、体は先にも書いたように、空白の中身が見えるほどに透き通っており、ぴくりとも動かないので生命の印が窺われず、単なる抜け殻のようにも思われた。ともかくこの虫のことは放って、小沢健二の歌を断片的に口ずさみながら、柔軟運動をしたあとに床に立って屈伸、それからベッドに戻って腕、腹筋、背筋と軽く動かし、一時半を迎えた。そこでさっさと書き物を始めるはずが、またもや意識が逸れて、小沢健二の曲をいくつか歌ってしまい、さらにそのあとには隣室に誘われてギターを手に取った。椅子に腰掛けて、メロディを時折り自分でも歌いながらスローなブルースの真似事をしていると、母親が帰ってきたようだったので、切りを付けて上階に行った。階段を上って行くと、母親は仏間で着替えをしており、ズボンを脱いだ下半身を晒しているようである。そちらを見ないようにしながらベランダのほうに行き、洗濯物を取りこんだ。この時タオルを畳んだのかどうか記憶がないが、ともかくそれから部屋に帰り、いよいよ書き物かと思いきや、先の日記の読み返しに触発されて、半年前のものと一か月前のものも読んでから、やっと一一日の記事の続きを始めた。時刻は既に、二時三八分にもなっており、この日の労働も四時過ぎには職場にいなくてはならないので、残り時間は少ない。Miles Davis『'Round About Midnight』を共連れに打鍵を進め、Bill Evans『Interplay』に音楽を繋げてからも取り組んだが、終いまで行かないまま、三時一五分で一度切った。途中母親が戸口に来て、炬燵テーブルの下に絨毯を敷くのを手伝ってほしいと言うのを、ヘッドフォンを横に引っ張って片耳を解放しながら、書き物中に闖入されても苛立たずに冷静に受け答えをしてあとでと言って、中断してから上がって行くと早速炬燵テーブルの天板を持ち上げてどかした。その下の卓も横に倒して、母親が掃除機を掛けて行く。それから絨毯を敷く(……)。それで、三時半も目前になったところで巻繊汁をよそり、一杯食って、ゆで卵も腹に入れてエネルギー補給は完了、下階に下って服を着替えて、歯磨きをした。ベスト姿で上がって行き、膀胱の中身をトイレに放って手を洗ってから、行ってくると母親に掛けて玄関を抜けた。外はこの頃には陽の色が消えて平板に曇っており、あと少しで肌寒さに転じそうなほどの涼しい空気である。自転車に乗って走って行き、街道の際で、いつもは左の表に出るところを、右に折れて裏道行きを継続した。こちらは道なりに進めば、中学校の裏の急坂を下って、街道からちょっと下がった住宅地のなかを行くルートである。グラウンドの前を通りながら見上げると、北のほうの空には白波のようにざわめく雲が太い線となって面を区切っており、ほかの雲とのあいだには青さが覗くが、正面の西や右方の南に視線を転じると、雲は広く繋がって覆いを掛け、色調の変わった箇所は果ての山際のみだった。さらに進むと、市民会館前から南に下る坂道に差し掛かる。そこで一時停まって車の流れが途切れるのを待ち、渡ってまた裏に入りながら時計を見たが、上の裏道よりも時間が掛かるから、また労働開始二〇分前に間に合いそうもない。一度下ったからには、駅前に出るのに上がらなければならないというわけで、ギアを軽くして急坂を漕ぎ上り、ぎりぎりで着くかと思いきや職場に入って靴を脱ぐと、腕時計の針が目標の時間を僅かに過ぎていた(……)。労働は比較的楽に終えた(……)そうして退勤すると既に八時過ぎである。夜道には風が正面からひっきりなしに向かってきて、ズボンの布をすり抜けて、立ち漕ぎをする太腿が冷たい瞬間もあった。空には月があるようだが、雲も広くて墨色のなかに突入して見え隠れしている。家に続く坂の上まで来るとちょうど姿を現したところだったが、満月ではなく、形はいびつに欠けており、視線をそれに向けて凝縮させる瞳の調子もあっていくらかぶれて見え、すると白くつるりとしたその光体が、カブトガニのような原始の単純な生物が泳いでいる姿にも見えるのだった。帰宅すると、駐車場に車が二つともないので、母親はパソコン教室だったかと気付いた。なかに入って手を洗ってから部屋に帰り、ジャージ姿になって即座に瞑想である。あらぬ方向に逸れ続けていく思考を追いかけて一〇分、そのあいだに母親も帰ってきており、食事を始めた音がする。枕から離れるとこちらも上がって夕食を取りに行った。メニューは大根の味噌汁にひき肉や隼人瓜混じりのカレー、あとはサラダである。(……)そのうちに母親は空になった食器をカウンターの上に載せて、どこかに行き、残ったこちらはブログを読んでから立ち上がって皿を洗った。そうしてすぐに、入浴である。窓外から間歇的に鳴る虫の音を聞きながら湯に浸かり、身体を大層、まるで痛めつけるように、少しひりひりするくらいまで何度もたわしで擦って、室の外に出た。短髪を乾かして洗面所から台所に出ると、母親はソファに就いて、タブレットを覗きこんでいる。脚を伸ばして炬燵テーブルの上に投げだしており、機械は腹のあたりに抱えるようにして、何を見ているのか知らないがその表示に応じて、伏せ気味の横顔に青白い光が反映しては消える。水を飲みながらそれを眺めて、緑茶を用意してねぐらに帰った。時刻は一〇時だったようである。名古屋の知人からメールの返信が来ているかとアカウントを覗けば、別の相手から届いていた。それはおそらく二〇一四年くらいにTwitterを通して知り合った長野の知人で、サラリーマンをしていたのが実家に戻って、イラストを描いて金を稼いでいる。こちらとは現代ジャズの話を通して交流が始まったのだと思うが、当時はTwitterを使ってブログの周知も図っていたから、それで興味を持ってくれた面もあったようである。用件は短く、ブログを閉鎖したようだが新しいページは作っていないのか、良ければ教えてほしいというものだった。それで返信を考えだしたのだが、他愛のないものであっても、いざ誰かにコンピューターでメールを送るとなると、それなりに気分が格式張って、文章を作るという心持ちになり、どう書くかどこまで説明するかなどと考えてしまう。それで短い返答を作るのに三〇分ほど掛かって、書き物を始めるのが一〇時四〇分になった。Bill Evans『Interplay』の続きを流して打鍵し、一一時を回る頃には前日の記事は作り終えた。それから音楽はHerbie Hancock『Speak Like A Child』に移した――これは随分と昔、まだジャズを本格的に聞きはじめて間もない頃、おそらくは大学時代の初期に買ったもので、当時は曖昧模糊として薄暗いような色調がうまく理解できなかったが、売ってしまうことはなく自宅の棚に眠っていた。いま改めて聞いてみると、結構な良作だと思える。それで前日に引き続きそれを聞きながら、打鍵しているうちに、いつの間にか零時半も目前、三七〇〇字を綴ったところで止めた。それから気晴らしの虫もいくらか疼いていたようだが、この日まだまったく読書をしていないことのほうが気掛かりで、ともかく本を読むことにした。マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラⅡ』を持ってベッドの縁に尻を載せ、足の裏をゴルフボールで刺激し、合間に歯磨きも済ませながらページをめくった。さらに横になって読み続け、一時間半読んで二時になると五〇ページほどは読めて、最低限の読書量を達成したような気になったので、ちょっとインターネットを覗き、二時二〇分前からまた読書に戻った。前夜が三時就寝だったから今日はもっと早く寝たいと思っていたところが、結局は読んでいるうちにまた夜を更かしてしまうものである。それで前日と同じく三時前まで読んで、瞑想もせずに消灯した。