2016/10/15, Sat.

 久方ぶりの印象がある、晴れの朝だった。何度も目覚めるあいだに、窓ガラスの宙に丸く膨らむ太陽の光を瞳に浴びたのだが、身体は固まって動かず、その恩恵を活かすこともできずに、太陽もよほど逃げて窓の隅で枠の向こうにいまにも隠れようとしている頃合いになってようやく起床を見た。既に正午前、久しぶりの長寝だった。コンピューターの前に就いていると母親がやってきて、起きたのなら布団を干すと言ってベランダに出る。こちらは洗面所と便所に行ってきてから、ベッドに戻って瞑想をした。それから上階に行くと、フライパンにはジャガイモのソテーが残っているのでそれを温め、その他汁物などで食事を済ませる。新聞を読んでいると母親は、高次機能障害者のサポートが一時半からあるというので出かけて行った。食事を終えて室に帰ったのが、一時前だったようである。インターネットをちょっと覗いてから、ベッドに転がって読書を始めた。マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラⅡ』である。晴れは続いており、気温もこの頃では高い日で、窓をひらいても肌寒さはない。光はまだ窓の付近にうろついており、アサガオの、もう緑色などどこにもなくなって、先端の種袋も含めて隅々まで茶色く老いた蔓に重なって、その色をところどころ、艶がかった飴色に変じさせている。一時間文字を追って、二時半で一旦区切りとし、家事を行うことにした。まずは自室からベランダに出て、母親が干していったおのれの布団を取りこむ。布団叩きは使わず、手でぽんぽんと軽く叩いて表面を払ったり、ちょっと持ち上げて揺すったりしてから、ベッドに運んで寝床を整えた。柵に寄って布団に触れる合間に外を見ると、陽は南の窓辺からは退いて、土の上に線を引いているが、一段下がった畑はまだ暖色のなかにある。斜面に生えた棕櫚の木は、夏頃には身の周りに旅人の蓑装束のように大きな枯れ葉を纏わせていたものだが、いつの間にかそれも消えて幹の上方から少々垂れているのみであり、直立する円柱状の体が剝き出しになって痩せたようだった。それから父親の布団やハンガーに掛かっていたジャケット類も、両親の部屋に入れておき、そうして上階に上がった。今度は上のベランダに出て、洗濯物である。取りこんでタオルを畳み、それから風呂も洗って、自室に帰った。ふたたびベッドに横たわっての読書である。窓を向いてもアサガオにはもう陽の色はなく、窓枠の下の辺から僅かに顔を見せる梅の木の天辺が、かろうじて緑の色を明るませているばかり、足の先のもう一つの窓を見通すと、隣家の塀の上に張られた大きな蜘蛛の巣が、帯のようにはたはたと風に翻って、まるで海中を漂う白い原始生物のように見えた。陽が退くと途端に肌寒くなったので窓を閉め、少々うとうととしながら二時間弱を本に費やし、五時頃になると蕎麦茶をおかわりしに行った。居間に行って茶を用意していると、窓の外から何やらぱちぱちという音が聞こえる。自室にいた時から薄い煙臭さを感じていたので、隣家の老婆がものを燃やしているのだろうと思っていたところが、南窓に寄ると、そちらからも煙が立ってはいるが、音の出所は反対側、畑の横の家だった。木々に遮られてよくは見えないが、庭に焼却炉のような場所があるらしく、強い朱色の火が旺盛に立って、煙が空へと激しく吐き出されている。その勢力に、家の者――数年前に主人は逝って、老いた未亡人が一人で暮らしているはずだが――は気付いているのだろうな、まさか火事ではなかろうなと心配されたが、茶を注いでからもう一度見下ろしてみると、もう火は消えていたので安心して、下階に戻った。「ハーベスト」という菓子をつまみながら茶を飲み、三〇分ほど過ごしてから、そろそろ夕食の支度を始めるかと室を出た。暗い居間に明かりを灯し、母親が牛蒡があるから巻繊汁を作ろうとか言っていたのを思い出して、冷蔵庫に材料を探った。焜炉台の足もとにある玉ねぎの袋を開けると、なかの一つが腐っており、途端に悪臭が漂い出す。膿んだ傷口のように、白く粘つくようなものをはみ出させたそれを持ち出し、悪いところを切ってみたが、腐蝕はなかの全体を冒していたのでこれはもう捨てるしかないなと思われた。そうは言っても、ごみ受けに入れておいても、病んだはらわたのような吐き気を催す臭いが台所に立ち籠めるばかりである。それで林のほうの堆肥溜めに捨てに行くことにして、直接持ちたくはなかったので小鍋に入れて、玄関を出た。外はもはや暮れ切ってあたりは宵闇、東南の方角には満月が低く浮かんでいる。足もとも暗さに包まれて見えない敷地に入り、小鍋を引っくり返して玉ねぎを始末した。そうして戻るついでにポストから新聞を取り、なかに入ると手を洗って、食材を切りはじめた。野菜を大方切って、泥に覆われた牛蒡をごしごし洗っているところで、母親が帰宅する。彼女が取りだした肉も切り分け、鍋に引いた油の上に生姜をすりおろし、弱火で調理を始めた。味付けまでやるのは面倒くさかったので、炒めて煮はじめ、洗い物を済ませるところまでであとは母親に任せ、六時頃だったと思うが風呂に入ることにした。出てくると一旦部屋に戻り、他人のブログを読んで、それから食事に上がったのが七時二〇分頃である。ジャガイモのソテーの残りはこちらがすべて引き受け、あとは先ほど作った汁物に、茄子と肉の炒め物である。食事を取りながら、カラオケをして楽しかった、遊びに行っているようなのにコーラも貰って悪いと言う母親の話を聞き、そのうちに父親が帰ってきた。この日と翌日は都内で研修で、普段より帰りが早いと言う。それで食事を終えて蕎麦茶を持ってねぐらに帰る(……)。零時半に到ったところでようやく一旦停まって、書き物を始めた。Tethered Moon『Experiencing Tosca』を流しながら一時間一〇分、前日の記事を仕上げると一時四〇分である。そうして(……)三時台に入ったところで切りとし、寝床に移った。