2016/10/17, Mon.

 前夜は午前四時にもなってようやく床に入ったのだった。六時間で何とか覚めたいと、一〇時に仕掛けた目覚ましによって目論見通り覚醒することができた。二度寝に立ち戻ることも避けられたが、携帯電話を弄りながら一時間を床に貼り付くことになった――むしろ眠っていたほうが良かったとも思える。布団を剝いで身体を露出し、脚を膝でほぐしていたが、その間、前日の新聞の天気予報では最高気温が一八度に下がるということだったが、思ったよりも寒さの感触はなかった。一一時になると、瞑想もせずに部屋を抜け、上階に行った。朝食は、雑多な野菜の汁物があったはずだが、ほかには覚えていない。ものを食って皿を洗い、室に帰ると既に一一時半過ぎ、コンピューターを立ち上げてインターネットに繋ぎ、電車の時間を調べてみると一二時一七分に乗らなければ、二時の代々木には間に合わない。それで早速、歯磨きやら着替えやら支度を始めた。服はスカイブルーのズボンに薄桃色のシャツを着て、上着に何を羽織るかちょっと迷った。一度は、夏に古着屋で買ったは良いものの季節柄出番のなかったリーヴァイスのジーンジャケットを身につけたが、洗面所の鏡の前に行ってみると、シャツの丈が長くてジャケットの下端からはみ出すのが見栄え悪く思われたので、もう少し長さのあるソフトジャケットに替えた。それで正午を回るともう出発、母親から投函してほしいという葉書を受け取り、傘を持って玄関を抜けた。雨は緩い。片手で傘を持ち、もう片方に抱えた小型鞄には、『失われた時を求めて』と、この日の会合の課題書だった『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』に手帳が入っている。そうして道を行き、十字路から坂を上って駅に入った。ホームの先へと、一度閉じた傘をまた差して出て、閉じた空の下、入線してきた電車に乗った。着いた駅で降り、向かいの先頭に乗り換えて座席に就くと、気付いていたが払っていた尿意がやや膨らんできた。食後に蕎麦茶を飲んだためである。これから三〇分の道行きを我慢しなければならないわけだが、尿意の高潮に怯えて不安に襲われたのも過去の話、この日は遠出をするから何となくと薬を二粒飲んだこともあるし、このくらい問題ではないと、本を読みはじめた。出掛けに、『ベンヤミン・コレクション1』からの書き抜きを読み返して、気に掛かった部分のページを手帳にメモしておいたので、それを見ながら、会合前にと改めて記述を読み返した。車内の人は少なく、座席は端とあと少しが埋まるくらいで、隣に人もやって来ない。立川に就くと、読書時間を手帳に記録してから降り、階段を上がって便所に行った。放尿してまたホームに降りて、空き気味の快速の東京行きに乗りこんで座った。それでまた、読書である。今度は隣に中年くらいのサラリーマンが座って、吉祥寺で彼が立ったあともすぐに婦人で埋まった。そのうちに、六時間睡眠のためだろう、眠気が湧いてきたので休んでおくかと、メモしたページすべてを読まないうちに、本をしまって瞑目した。窓の外から高く響く風切り音を耳にしながらまどろんで、中野に着くと降り、番線を替えた。新宿で山手線に乗っても良いのだが、所狭しと人の行き交うあの駅の混雑が、何となく忌避されたのである。中野駅のホームは遥かに人が少なく、総武線の番線に立っても寄るほどの近くに人はいない。千葉行きがやって来るのを待ちながら、正面に目をやると、線路のレールと枕木のあいだに水が溜まっており、ごろつく石が敷かれたその隙間は、泥の色に染まっていた。それを見つめていると、電車が入線してきて、その風圧で水面の震えが激しくなったと見た瞬間に、車体がその上を通過し、車輪の合間から覗く水溜まりはモノクロに変じて、はたはたとそれまでよりも柔らかく揺らいだ。乗るとまた瞑目して、代々木に着くのを待った。降りて携帯電話を見ると、あちらもちょうど着いたところらしく、メールが入っている。返信はせずに西口出口に向かって、改札の向こうに相手の姿を見つけて、通ろうとした瞬間に、チャージしてある金額が足りないのだったと思いだした。それで精算機で処理をしてから通過、近寄って行くと相手は顔をこちらに向けたので、会釈をし、お待たせしましたと告げた。喫茶店に向かいはじめながら、手近にポストを見つけて、投函するのを忘れていたと母親の懸賞葉書を入れた。横断歩道の前で相手は、ブログ閉鎖のことを持ち出した。新しいブログは作っていないのかと訊くので、もうやっていない、完全に引き籠っていると答え、渡ってすぐの店に入った。禁煙の一席を取ってからカウンターに行き、それぞれ注文して戻ってくると、早速相手が、ベンヤミンはどうだったかと尋ねるので、何もわからなかったと返した。それから五時半過ぎくらいまで、どちらも席を立たずに会話を続けた。互いに難しくてわからなかったと言いながらも、相手が大まかな感想を言い、こちらもそれに応じていたようだが、すぐに話題はずれてより広い方向に向かい、それが一段落すると相手が、話をベンヤミンに戻していたようである。話を聞き、返答をしながら、時折り相手の外貌を見つめた。目はどちらかと言えば伏せ気味の時間が多かったように思われ、そういう時には眼鏡の奥の眼窩が睫毛に半ば隠れてしまう。シャツは落ち着いた色合いの、滑らかそうな生地のもので、その上の羽織りも褐色で地味なものだった。四時半を迎えたくらいで、確かもう次回の課題書と日程を決めてしまったはずである。それは『ボヴァリー夫人』で、何かの拍子にフローベールの話になったところからの流れだった。相手が、『ボヴァリー夫人』よりも、『感情教育』のほうが好きだということを、言い出したのだ――それは確か、叙事に徹することの難しさ、というようなことをこちらが述べたところからの流れだったと思う。つまり、極端な話内面や心理、思考といったものを取り扱えば、記述はいくらでも膨らませることはできる、それに対して、何があった何をした何が起こったの叙事のみで言葉の連なりに厚みを出すというのは、それはそれで難しい、というような発言をした。その時こちらの念頭にあったのは勿論、ガルシア=マルケスであり、『族長の秋』だったわけだが、相手はそれを受けて、それで言ったら『ボヴァリー夫人』なんかもそうで、あれは要約すれば何ということのない物語だが、一場面一場面の構築が熱の入ったもので、物語がなかなか進まないくらいだと返した。その後に、しかし自分は『感情教育』のほうが好きだと言って、両者の特徴をそれぞれ語ったのだったと思うが、それでこちらが、自分は『ボヴァリー夫人』を持っているので、次回の課題書はそれにしても良いかもしれないと受けて、決まったのだ。それでそろそろお開きにしますか、と相手は言ってきたが、こちらは時計を見て、五時になったら、と返した。それでまたベンヤミンに戻り、「複製技術時代の芸術作品」の話にようやく入って、アウラという概念について思うところを二人とも述べていったが、また話はずれて結局は五時を越え、五時半も回ったくらいで、今日はこの辺で、となった。退店し、磯崎憲一郎電車道』の話をしながら代々木駅に渡って、改札を抜けると別れた。新宿方面行きの番線に上がり、満員のなかを一駅耐え、人波に混ざりながら再度乗り換えである。乗った電車内も混んでいて、座席の縁あたりに人に囲まれて就き、本を取りだして読む余裕もない。こういう時のためにやはり携帯音楽プレイヤーが必要だなと思ったが、いまは仕方ない、周りを見回して手持ち無沙汰を潰した。左隣りの男は炭の混ざったような色合いのスーツ、頭頂がやや薄くなりはじめたサラリーマンで、「いまさら聞けない」という文句がつくような、世界の神話についての簡易な本を読んでいる。吊革を吊るす横棒に伸ばした手の甲は毛が濃く生えており、ページをめくる時以外は縦に伸ばされたその腕がちょうど顔を隠すような位置にあって、こちらの顔も相手から見えないはずなので、それを良いことに本のページを見下ろしたり、相手のほうをじろじろと眺めたりした。それもそのうちに飽きて、瞑目しながら到着を待ち、立川で降りると番線を替えた。地元での乗り換えの都合があるので、一本あとの電車に乗ったが、既に座席は埋まっていて、扉際に就かざるを得ない。それで鞄は荷棚の上に置き、傘はジャケットのポケットに引っ掛けて両手を使えるようにした。そうしてマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラⅡ』を取りだし、読んでいたが、立っていても文字に目を落としていると、眠気が湧いて瞼が落ちる有り様である。途中で諦めて本をしまい、残りの行程も少なくなったところで席に就き、ちょっとまどろんでから降りて、乗り換えた。こちらでもうとうととしながら到着を待ち、降りると駅を抜けて、坂道に入った。下りきって通りを曲がると、ここのところ聞いていなかった例の、緑がかった硝子色のような虫の音が、林から湧きだして震え、空気をかすかに波打たせていた。帰宅すると七時半前だったかと思う。室に帰って瞑想をしてから、夕食を取りに上がった。蕎麦を煮込むようにと言う。それで朝から残った野菜の汁物に麺を入れ、あとは茄子とベーコンの炒め物に、三種のコロッケである。母親は、嫌な銀行員が来た、と話す。祖母も昔から嫌っていたと言うのだが、何が嫌なのかと訊くと、余計なことを訊こうとする、と言う。余計なこととは何かと問えば、息子さんはどうしているかとか、と来る。聞く限り単なる世間話の類ではないかと思うが、おそらく訊き方や口調に障るものがあるのだろう。結局は生理的に嫌いだというところに尽きるようで、どうにか来なくさせられないかなと母親は言う。はっきり言えば良い、とか、クレームを入れてみたら、とか、銀行を変えたら、とかこちらは言ってはみるのだが、正直なところ実にくだらない、子どもじみた話に付き合わされるのには辟易するところがあった。母親自身も、子どもみたいなことだけれど、と開き直ったように言って、それはまだしも良いのだが、どうすれば良いのかとすぐこちらに問うてくるのには閉口させられる。おそらくこちらが母親のなかに苛立ちの種として見出す愚鈍さというのは、自分でさして考えず、何の案も挙げないままに、答えを他人に求めるという点なのだろう――他人の考えを聞くことは悪いこととは思わない、それどころかむしろ良いことだろうが、母親の場合、それと対峙して自分の考えを作り上げようとするのではなくて、初めからお誂え向きに用意された解答一式を誰かから与えてもらいたがっているのだ。そうした意味での主体性の欠如、おのれの態度を相対化して他者の言を取り入れながら、自分のなかで思考を吟味し、形作る意志と能力の不在、自律に程遠い精神の依存、そんな麻痺のような状態を、まさしく愚鈍と呼ばずして何と呼ぼうか? この時も、このくらいの問題など、もう少し自分自身で対応できるようにならないと、と忠告めいたことを言いそうになったのだが、それは心中に留めた――そのような阿呆らしいことを口にしたくもないし、言っても何も効果のない不毛の乾いたくだらない味を味わいたくもない。食事を済ませて風呂にも入って、部屋に戻ると九時二〇分頃だった。三〇分ほどインターネットを回ってからメールアカウントに入ると、名古屋の知人からの返信が届いており、文書が添付されている。ブログを使って日常生活のなかで考えたことをいくらか整理した、相手の思索の成果という類のものである。それを、しっかりとではないが読んで、それで一一時を過ぎた。そこからふたたびネットサーフィンを始めてしまい、あっという間に一時前である。Ramsey Lewis Trio『The In Crowd』を掛けて書き物を始め、二時を回ったところで前日の記事を仕上げた。この日の記事はごく断片的にメモを取っておくだけで済ませて、寝床に移り、『失われた時を求めて』を読みはじめたのだが、三時まで読もうと思っていたところが、たどり着かないうちに眠気が襲ってきて、これは駄目だと諦めた。二時四七分で切って、就寝である。この日は二六ページしか読み進めていない――ページ数はともかくとしても、一日三時間は読書に充てたいところだと考えている。この日はさらに、読書以外の日課――日記、書き抜き、英語、勉強、運動――も出来ていないので、無闇にインターネットで時間を過ごしたことが、後悔されたものだ。