2016/11/26, Sat.

 覚めても起きあがれないままに床から窓を見上げると、青さも覗くそのなかにしかし、灰色の内部にわだかまった巨大な雲が浮かんで、ガラスの大部分を埋めている。滑らかな、両生類のそれのような腹を晒した雲は、その巨体に相応しく停滞しているようで、青味に接した輪郭線に目を移して凝視しても、ほとんどどちらの方向に動いているのかもわからないような鈍重ぶりである。その端の線が、次第に見ているうちにしかし、目の錯覚めいた薄鈍さで少しずつ、たしかに推移しているらしいのは、近くに浮かんだ千切れ雲のかすかな断片が、徐々に取りこまれて一体化していくからである。

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 室に戻って、書き物の前の精神統一という趣だろうか、瞑想をした。枕に腰掛け、目をつぶってじっと、特に深い呼吸も心がけずに鼻から空気を出し入れして、時折り身体のほうに意識を触れさせていると、次第に、落着いて心地良い気分になってくる。そこで目前の暗闇に焦点を合わせれば、例によって、ピンクのような赤紫のような、判然としない色の、形も判然としない靄が生じている。それらが蠢き出すのは、いわゆる変性意識と呼ばれるものだろうか、意識がおそらく、日常のそれとは少し違う段階に入った徴のようなもので、あまりそうした深い領域に踏み入るのが普段は不安で、大概このあたりで切りあげてしまうのだが、この時はその状態が快かったので、もう少し続けてみることにした。視界には靄が、縦横無尽に電波の走るような具合で、蠢いて絶え間ない。過去にはそのうねりが、肉のそれめいて色っぽく感じられたことを、日記に書き付けたような覚えがかすかにある。

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 米はもう炊いておこうと、台所に入った。流水に触れる前は、冬の、骨を歪めんばかりのあの冷たさの威力を思って尻込みするようだったが、いざ手を晒して米粒をかき混ぜてみれば、最初は冷たかったが次第に、感覚が薄くなってきて、そうなると水の冷たさに浸されきった軽い麻痺のなかに、かえって温かさが湧くようなのが面白い。

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 二日続けて新聞屋のバイクの音を聞くほどの、大層な夜更かしをしてしまっている。あの独特の、新聞配達のそれだと瞬時にわかる、砂利の上を転がるような排気音は、嫌なものである。朝が近いということ――何ものにも妨げられることなく、静寂のなかに沈むように心を落ち着けて、ただ読書のみに心身を自由に傾けることのできる深夜の、時の停まったような時空が、消費されてもう残り僅かとなり、眠らなくてはならないということ――を、如実に知らせるからだ。この日はそれを聞かないうちに眠ろうと決心し、実際に二時を過ぎてすぐに読書を切りあげた。便所に行ってきてから、前夜に訪れた久方ぶりの、心臓神経症の症状がこの日もまた生じるのが厭われたので、薬を一粒飲みこんでから、一三分の瞑想をした。そうして消灯して寝床に就けば、鼓動は響かず、心臓に意識が向いても、何か膜が張られて障壁を成しているかのように、意識の触手はその奥に入って行けず、軋みも生まれない。それで安心して何度か寝返りを打っているうちに、安らかに寝付いた。