2016/12/22, Thu.

 帰路は雨が強まっていた。傘をひらいて道に出れば、即座にばちばちと鳴るものがある。久しぶりに駅前から表に出ることにしたのは、雨の日の大通りの、光が増幅されて明るい賑やかさを好んでのことである。居酒屋も大してないような侘しい田舎町だが、その僅かな居酒屋の前を過ぎざまに、肉の焼ける匂いが香って、空気には寒さもなくて、活気ある街の夜の雰囲気が幻影として一瞬、立つようだった。濡れたアスファルトは粉がまぶされたように粒立って光り、普段は目に留まらない僅かな起伏が浮き彫りと鳴って、その上をさらに、斜めに走った車のライトが舐めて行く。緩いカーブを歩いていると、対向車のライトが正面から当たる位置になって、大きな瞳が放つそれで空間が瞬間、膨らんだ光に満たされて、夜が破られるかのようだった。信号灯にしろ街灯にしろ、過ぎて行く車の赤いテールライトにしろ、明かりはことごとく路面に長い筋を垂らしている。青信号の色も落ちて歩道を浸食しているのに、その青味の強さが殊更に清涼な感じを与えた。スーツに手が触れると、結構濡れている。裏通りに入ると、あたりが静まって、強まる雨の音が頭上から降ってくる。ほかの何のイメージにも滑らずに、ただ傘を打つ雨の音としか感得されない拡散的な破裂音が、そのひたすらに散文的な意味の貧しさでもって耳朶に大きく迫って、頭を横から包みこむようで気持ちが良かった。坂に入って木々の下を歩くと、音のリズムが変わって、厚く重く、詰まったようになるのは、枝や葉の先に溜まって大きくなって落ちてくるからだろう。出口ではちょうど落葉が数枚、雨にやられてゆっくりと降っており、黒々とした水溜まりのなかにも既に何枚も伏したものがあった。