2017/2/14, Tue.

 往路。坂を上って行くと、空中に刻まれた裸木の枝の縦横の広がりを透かして、市街の方の空に雲が染みるように浮かんでいるのが見える。白褪せたような後ろの空よりも夕刻の水色に濃く、液体じみた感触でありながら輪郭線もくっきりと、段の違いが見て取れるのが、浮遊していると言うよりは、雨上がりにアスファルトの僅かに低まったところに集まる水のごとく、溜まっていると言うべき質感である。街道に出て見通す空気は仄暗くて、冬木に覆われた丘の連なりは、鮮やかな緑など当然ないがかといって黒く沈み切るでもない、まったく何色とも言いがたいような色味の貧しさの極まった鈍さに包まれている。そちらの方を見ながら進んでいるとしかし、家々を通り過ぎざまにひらき覗いたそれらの樹冠の際に、横面を幽かな薔薇色に染められた雲が掛かっているのが現れて、明るさが添えられた。裏通りに入ってしばらく行き、次に見た時にはその色ももう失われていた。歩いているうちに黄昏が強まって、駅前に着く頃には東の丘の上は、空の方が青くなって、雲はその前に石灰色で浮かんでいた。振り向いた方角では白の残光に包まれながら青灰色の雲影が固着させられており、東の方とは図が反転した趣である。

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 帰路、裏道の途中でふと後ろを振り返ると、月がだいぶ低まって屋根からそう遠くない位置にある。北西の方まではその光が届かないのか、線路沿いの林は暗く沈んで突き立った木々の姿形が空の黒に呑まれているそのなかで、林の表面に出ている裸木が一本、ほんの僅かに浮かびあがっているのが、白髪を思わせたのだろう、老いの観念が頭を瞬時に過ぎった。空気は冷たく、とりわけ膝のあたりが冷えて、顔の肌にも辛[から]く、マフラーの裏に口もとを引っこませずにはいられない。そういう冴えた夜気のなかでは、客観的なその正誤は知らないが、光がよく通るような気がするもので、表通りから覗いた街灯の膨らみも、周縁を滲ませて強いような感じがする。南向きに街道へと曲がるとそれまでとは建造物の並びが変わるから空がひらき、視界の端に星の煌めきが引っ掛かって、それに誘われて視線を上げて行くと、銀砂子がそれぞれの配置に散っているのが――そのなかでこちらの貧しい文化的観念に従って特別に判別されるのはオリオン座くらいしかないのだが――夜空の広さを思わせた。東の果てに再度出逢った月は、右上が隠れはじめている。

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 午前三時前、『失われた時を求めて』一一巻を一時間強読み、瞑想をしたあと、眠ることにして明かりを消し、布団に入った。しばらく瞑目してからふと開けてみると、カーテンがぼんやりと明るんでいるのに、察するところがあってひらけば、帰路には東の方に寄っていた月が、正面、真南の高みに渡って来ている。窓の片側には網戸が重なっており、そこを通して見ると僅かに欠けた円月から左右に四本ずつ、綺麗な長方形を描く光の帯が放射されて、何か翼を広げた存在の図を思わせもするのだが、網戸が掛かっていないもう片側のガラスにはそれは映らず、途切れてしまうのだった。その帯の隙間に、際立って明るい星が一つある。茫洋とした夜空を見ているとほかにも視界のあちこちで、常に光っているのではなく、時折り煌めくものがある。砂浜に埋まった貝殻の上を光が薙いでいくのを一瞬反射するかのように、あるいはカードが表にされてはまたすぐに裏返されてしまうように、かそけき光が薄氷めいて瞬間震えたかと思うと、ふたたび金属質な夜空のなかに隠れて静まるのだが、その明滅が飛行機のそれを思わせもして、あれは本当に星なのかと疑うようだったが、確かに動かず、ひとところに停まっているのだ。