2017/3/19, Sun.

 九時前から散歩へ出た。外気に触れずに一日を終えるのが勿体なく思われたのだ。夜気はまだ、顔にややひやりとするようだった。町の下部から昇ってくる川音が、坂に入って右手に並ぶ木々の前を過ぎるあいだ、その一本ごとに確かに遮られて一時遠のくのがわかり、幹同士の隙間に掛かるとふたたび戻ってきて、全体として波状の揺らぎを構成するのを聞いた。月の遠くなって、黒々と籠もった空に星の僅かに閃く暗夜の趣である。街道まで来ると、街灯の光暈が大きく、少々霧っぽく道の上に掛かっているような感じがした――そのように光の浸透しやすいのは、大気中に含まれる水気の具合かといままで漠然と思っていたのだが、むしろ自然の明るみを含まない背景の暗さによるものだったのかもしれない。町灯のなかには一つだけ、赤っぽく彩られた明かりがあって、それが降る脇に立った木が、赤さに照らされてその白っぽさを露わに、裸の枝を上に伸ばすのではなく下方に沈ませるようにしてから、細かく分枝しつつ横に張り出させているのが、白骨めいて固く、鹿類の角を思わせるようだった。駅前を過ぎて、ランナーに抜かされながら塀に沿って行っていると、前方に、塀の上に掛かって白く密集して、点描めいて無数に粒立つものが見え、光の当たりの具合で仄かに緑がその内に含まれているのに、意識が大方ほかのことに向かっていたところで、何となく葉を思っていたのだが、間近まで来たところでそれが梅の花ではないかと驚いた。眼前で見上げれば萼も緋色のもので緑の含みなど微塵もなく、三本ほど並んだのがどれも満開の群れを纏ってただひとえに白く厚く膨らませているのが、壮観だった。裏に戻って坂を下って行き、十字路を過ぎたところの、公営団地に接した小公園に掛かって、そう言えばここの木が桜だったと思い出し、灯を受けている一つの下に停まって仰いだ。夜目に仔細は定かでないが、蕾が枝先の至る所に宿って、卵を産みつけられたようになっているのが見て取れた。それから近所の家の脇に生えた白梅の下にもまた停まった。先ほどの三本の膨らみにも同じく思ったが、昼間よりも夜のほうが花が白々と際立って、それは暗さのために花と花の細かな隙間が視認されず、一つ一つの花弁の境も明らかでないためだろう、ひと繋がりになって総体として淡く発光し、枝がまさしく清らかな泡を纏ったように見えるのだった。