2017/3/24, Fri.

 往路。一度春の空気の軽さを味わってしまったために身の回りを包むコートの厚みが野暮ったく思えて、ジャケットとストールのみで出たのだが、この夕方はそれほど春めいたものではなくて、風が冷え冷えといくらか肌寒い気候だった。空は隈なく白く詰まって、青みはほとんど窺われない。ポケットに両手を突っこんで裏通りを行っていると、こちらの道のなかには風がひっきりなしに通るのだが、線路を越えたあちらには動きがなく、丘を覆う林も、線路のすぐ脇の木々も停止していて、暮れ方の鈍い空気のなかで家々も含めて殊更に静まっているように映った。二階屋に届く白木蓮は遠くからでも黄味をはらんだ花の色の空中に広がっているのが露わで目が行くが、そのいくらか手前の、低い塀に囲まれた古家の庭にも同じような風情の白い花を点けた木が、まだひらきはじめて間もないようで色は貧しいのだが立っていて、白木蓮に似てはいるものの花弁が細く、いくらか皺の寄って垂れたようになっているのを、これは何というのだろうなと見て過ぎた。帰ってから画像を検索したところでは、どうも辛夷の花だったように思う。件の白木蓮はまた嵩を増したのだろうが、この日はあまり目をやらず、その前を過ぎたところで鵯が一閃、声を張って、進んで辻を渡って角の家にも、先のものより小さめの白木蓮が内からすらりと伸びていて、まだひらききらず細身の電球のように灯ったそちらの花弁の方が目に残った。さらに先を行って、付近の寺の名物でもある枝垂れ桜の色はどうかと、まだ鮮色は持たないが周囲のくぐもったような緑から、濡れた長髪のように垂れた枝そのものの色で、丘の入り口あたりに淡く浮かびあがっているそれに向けていた視線を前に戻すと、道の奥の突き当たりの建物を越えて、駅前のマンションの上層二階の窓が横並びにすべて、西の果ての残照を映しているらしく金色を満たしている。道を行くうちに角度の関係でそれが消えてしまったのを少々残念に思っていると、駅も近くなって、行く手にロータリーを見通した向かいの、そのマンションの、今度は下層階の窓にも同じように西空が反映しているのが現れて、静かに停まって揺らがない水面の透明さでもって空を湛えるそのなかに、こちらの動くにつれて雲のわだかまりの断片が滑り抜けて行くのだった。