2017/3/25, Sat.

 散歩がてら買い物に出た。四時半である。薄鈍色に染まって寒々しいような風合いの大気だったが、気温はそれなりにあって、風が流れて林の高い方では、いくらか古色の混ざった細長い竹が撓って葉を鳴らしていても、道の上のこちらには冷たさはない。家の周辺を行くあいだ、かぐわしいような珊瑚色を連ねた枝垂れ梅の小さな木が、所々の家の庭内に見られるのが目を惹いた。坂を上っていると、ガードレールの向こうは眼下に家が収まって、その先は林が川沿いに広がって敷かれているが、短い鳥の声が立つなかに一度、遠く薄く鶯の音が浮かんだように聞こえた。坂を上りきってふたたびなだらかに裏を行く途中、一軒の入り口に、花水木のそれを思い起こさせる薄紅色の花を宙に掛けた木があって、これは何だろうなとちょっと見上げた。和紙のように薄く繊細そうな花びらにある皺の感触に、辛夷の花を思ったが、六弁ではなく、花のつき方も違っていくらか重なり合って互いに支えるようになっている。帰ってから検索した限りでは、桃の花が一番近いように見えたが、定かではない。前夜は夜更かしをしたためだろう、下半身が重く、脚が下に引かれるような感覚があって、踏みながら脚の肉の伸び縮みを確認するような慎重なような足取りになっているのに、病み上がりの患者のリハビリのようだと思った。街道に出て、五つの道が行き当たった交差点で止まり、一つの細道のなかに椿だろうか、強い色で咲いているのがあるのに、随分と赤いなと信号待ちのあいだに見やってから、横断歩道を越えた。ガソリンスタンドでは車を待つ店員が二人、手持ち無沙汰に立ち尽くしており、一人の方は暇を持て余したあまり、こちらが過ぎる横で、蟹のように横歩きをして敷地の端まで行き、そこからまた戻ってくるという動きを、遊びのようにやっていた。コンビニを過ぎると道端に突如として、またもや随分と赤い、トマトの皮を貼り合わせて作った細工のような花が現れて、これものちの検索で見たところ、木瓜に違いないと思う。西の彼方では山が青く染まって空の下部を埋めている。そちらの方にまっすぐ歩いて行き、曲がって川の上を渡る大橋に掛かった。ここに来たのは大層久しぶりのことだが、そうなるのではないかと思っていたところ、橋に踏み入る数歩手前から高所に対する不安が兆しはじめて、川の上に完全に差し掛かるとそれが固まった。最初のうちこそ右手の欄干の向こう、遥か下方に流れる川をちらちらと見下ろしていたのだが、不安の波の水位が高くなって、勿論錯覚なのだが身体が自然と欄干の方に引き寄せられるかのような感じが起こり、平衡感覚もいくらかふらついたので、そのうち余裕がなくなり、股間と肛門のあたりを微生物にまさぐられるかのような感覚が消えなくなった。空中の近い右手もそうだが、車の行く道路を挟んだ左手を見やるとすると、近くを見下ろすという具合には行かず視線を上げなくてはならないから、広漠と続く何もない空間を見通さなくてはならないのが恐れられて、怖いもの見たさの誘惑を感じつつも、やはり怖くて視線の先を正面の足もとに固定した。渡って息をついた頃には、家を出てから三〇分ほどが経っていたようである。最寄りのスーパーまで徒歩で四〇分掛かる、まさしく僻地と言うほかない土地だが、残りの一〇分ほどを辿って、店で買い物を済ませた頃には五時半近くになっていた。湿ったような感触で雨の匂いも思わせなくもない空気の色合いは、一見して家を出た時と変わりなかったが、暮れが進んで気温は着実に下がったようで、吹く風に明確な冷たさが混じっていた。片手に膨れたビニール袋を提げ、手のひらに食いこませながら来た道を戻った。長く歩いてきて肉体がほぐれたためだろう、帰路の橋では緊張はほとんどなく、頭上を埋め尽くした白雲の色を鏡のように反映した川を見下ろす余裕もあって、そのまま視線を上げて遠くの山々の織り重なりを見ても眩まず、出口に掛かると渡る時間が先ほどと比べて随分と短かったと感じられた。久しぶりに来た道で行きには色々と刺激があったためだろう、それに比して帰路自体も往路よりも短く、街道に沿って行くあいだに新たな印象もさしてない。ふたたび裏に入る頃には確かにあたりが暗んで来ていて、そうなると頭上では雲の裏の淡青の色が殊に褪せて、それでかえって雲の割れ目の境が露わになるようなところがあった。桃らしき木の下に来てまたちょっと見上げたが、黄昏にもう花の姿は明瞭でなかった。