往路、風が強いという話だったが、玄関を抜けたところで身に寄ってきた大気は柔らかで、薄布に触れられているような感じだった。道を行くうちに確かに風が厚くなる時があって、木々のなかを搔き回すらしく大きな葉鳴りが膨らむのだが、その流れが顔に寄せてきても冷たさに結実することはないくらいに暖かな日和である。空模様は曖昧で、街道に出るあたりではまだ行く手にこちらの影が薄く生まれ、そのすぐ傍を鳥の分身が掠めて通ることもあったが、のちには空に白さが勝って、西では太陽が光を留められながら一層白くなっていた。ひらいている桜はまだ僅かである。裏道を行きながら路上に視線を落としていると、その前から耳には入ってきていたはずだが、何かの立ち騒ぎが聞こえるのに聴覚が不意に焦点を合わせて、それと同時に丘が風に鳴らされているのだと認識が追いつき、随分と鳴るものだと驚いて目を上げた。裸木もあり緑木もあり、赤みがかったような木もあり、さまざまな色味の木々が継ぎ接ぎのように組み合わされながら全体としてはまだ鮮やかさの少ない森の表面が、細かく蠢いていた。二階屋を越える白木蓮は、一方では褐色に侵食されきった花があり、古くなった花弁が地にいくらか散らばってもいるが、他方ではまだ淡黄に固まって艶を帯びたものもあって、後者が目に入ると何か新たな感じがした。寺の枝垂れ桜は、蕾の赤味のなかからもう少し目に派手な、紅色がところどころに萌えはじめていた。
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屋内にいるあいだ入り口の扉がひらくたびに、聞こえてくる車の音のなかに水っぽさが混ざっていたので雨を思っていたが、午後八時になって帰る頃には降りはなくなって、道が薄く湿っているのみだった。それほど降ったわけでもないらしい。雨が通ったあとでも空気の質は日中とあまり変わらず、冷たさが固まることはない。雲は流れて空には青さを背後に三日月と星が灯り、裏通りの路上は水気がまだ残って道の灯がその上に吸着され、粉をまぶしたように淡く黄緑に光っていた。表の道路はもう乾いていて、車のライトも溶かされて伸びることもなく、普段通りに、布を掛けたように道の上に落ちるのみである。