2017/4/5, Wed.

 光の溢れる屋内に出た途端に、空気のなかに染み渡った朗らかな匂いが鼻に入って来て、乳のような、と思った――無論、牛乳の匂いなどしていないが、何の香りとも言い難いものの温もった大気のなかに広がって鼻孔をくすぐるものがあるのは確かで、乳の比喩が浮かんだのはそのまろやかと言うべき質感のためだろう。本格的に春めいて気温の上がったここ数日は、道を行っていても、土や植物の香りが溶け出すのか、やはり何ともつかない物々の匂いが空気中に浸透している感じがする。モッズコートはもはや不要で、シャツの上にデニムジャケットを羽織ればそれで快い陽気である。車に乗って駅へ行き、叔母を拾ってから墓へ向かった。墓場の入り口脇には白木蓮が咲いていて、ここにあるのは確か海棠だと思っていたがと記憶の不一致に訝しみながら、裏通りのものよりも背が低いが花は大振りで、花弁の底に細かく粒だった蕊の集まりが覗けているのを眺めた。墓掃除をし、花を入れ替えて、線香と米を供えて拝んだあと、母親が余った水を通路に撒くと、足もとに一気に白い照りが広がって、完全に均されてはおらずいくらか凹凸のある石畳の内に水が浸透していくその一刻ごとに、泡の破裂する音かぷつぷつと鳴りながら、新たな白さがあちらこちらで生じて密度を高めて行くさまを気付けば見つめていた。