2017/5/16, Tue.

 この日も白く褪せた曇り空は引き続き、胃のなかが軽くなってくるといくらか身が冷たくもなるようで、温めて食った豆腐の熱が腹に染みて美味い。シャツの上にジャケットは羽織らず、ベストのみつけて、三時半には道に出ると、空気は動きがなければ涼しいというほどもなく、ただ柔らかく肌に馴染んで心地が良い。街道から先に見通した丘の緑の、締まりの具合を見る限り、前日よりも大気の濁りは弱いようだった。裏通りを行くあいだには風が前から流れて、身の前面をすっぽりと覆うような涼しい時間もある。その風に乗って渡るようにして、正面から雀が、上下に波打ちながら向かって来て、脇を抜けて減速しながら一軒の庭木のなかに、表の葉の遮りをものともせずにすり抜け突っこみ、着地する、その滑らかな軌跡を思わず追っていた。道の終盤に掛かると頭上、電線の上に一羽、小さな鳥が影となっており、秋虫の声にもちょっと似て澄んだ音色で、回転しながら数珠繋ぎに連なるような鳴きを降らせているのを、あまり聞かない、綺麗な声だと耳を寄せながら、下を抜けた。
 勤めを終えた夜の帰り道、裏路地を戻っていると、かすかに煙るような、植物から立つものかと思われる匂いが鼻で吸った空気のなかに感じられるのは、湿り気のなかに混じるものか。鼻を鳴らしながら行っていると、やがてそれが、左右の民家から洩れてくる、食卓の、肉料理らしきものの匂いに変わって、軽い腹に快いようだった。それから、踏切りの警戒音が鳴りだしたその裏に、何かの鳴きを数音聞いた気がして、摩擦の強い質感に、時鳥では、と遅れて思ったところが、音が止んでから耳を澄ましても気配がなく、これは空耳だったらしい。この日の寝入り際にもまた、時鳥のものらしき声を聞いた。帰って食事と風呂を仕舞えて室に戻った夜半、新聞を読むなり他人の文を写すなりを思っていたところが、疲れを和らげようと床に横になったのが運の尽き、眠気に捕まって、気づけばだいぶ夜が更けていた。その後、本を読みだして、新聞屋の無遠慮なようなバイクの音も過ぎて行った三時半に到って明かりを落としたが、先のこともあって眠りがやって来ない。姿勢を繰り返し変えて、窓を背にしていたその際に、遠くに薄く、天に向かって立ち上がってはまたすぐに折れて下るあの鳴きを、一声聞いたと思ったが、仰向けに直って耳を窓の向こうに張っても、やはり続きが来ない。実声とも、錯聴とも付かない。
 老人ホームの脇、表に出る角に掛かったところでそこの木が、いつの間にやら青葉を茂らせているのに目を惹かれて、帰路の終盤、しばらく立ち止まった。豆桜というものらしく、よく見る品種よりも花柄が長く、蕊も多いようで、花の底に口紅めいて深い緋色が艶に滲むのを、四月の霧雨の、やはり夜のなかで目に留めていた。木は下部からも細枝が伸びて、わりあい大振りの葉をつけて、足もとは土が見えないくらいに茂っている。目を上げるとほっそりと伸びた幹の中途に、浅い傷が縦に二、三、走っていて、樹液らしくそこから滲むものがあって、黒褐色に濡れていた。