2017/5/17, Wed.

 実体のあるものか耳の悪戯か、時鳥の声を未明に聞いたあともなかなか本格の眠気はやって来ず、揺蕩うような眠りのままに明け方に到って、そこからようやく深みに沈んだようで、休日の気楽さにも任せて正午前までの長寝となった。外から鶯の、川のあたりにいてよく反響するのか同じ一匹の声ばかりが、遠くから大きく膨らんで届くのを、重い微睡みのなかで、くしゃみのような、と聞いていた。
 引き続く曇天だが、この日は街道に出れば、見通した先で小さくなった車の並びにごく薄くではあるが陽炎が立ち、西空を仰げば白く収束する太陽の影があって、大気の濁りは一昨日よりも昨日よりも少なかった。風も、ここ三日では一番吹き、時折り前から道を埋めて流れてくるものが身を覆って肌を涼ませ、いくらか厚く続く時間もあるのに、この分だと夜は少々冷えるだろうかと思われ、捲っていた袖を下ろした。シャツの上にジャケットの類は纏わず、カーディガンを羽織っただけの軽い格好だった。長く床に留まった身体がこごって、いつにもまして気怠く、息もあまり速やかに身体を通って行かないようで、殊更にのろのろとしたような足になる。病み上がりにも似るようだが、その重い律動のなかからともすると、淡い恍惚のようなものが兆しかけて、何でもないものが目によく見え、足もとに視線を落とせば、周りの音がよく耳に入るようでもある。
 図書館を訪れたが、試験前の中高生らで埋まった席に空きがなく、ひとまず書架の端のボックスに掛けて本を読むことにして一時間、五時に到って立ち上がると、通路の先の、窓際の学習席からちょうど立った人があり、これ幸いとあとに入った。二時間文を綴り、梶井基次郎の文を全集から写して八時前、館をあとにして手近のスーパーに寄り、茄子やらヨーグルトやらで嵩張るビニール袋を片手に提げた。月は相変わらずないが、東は随分と明るく、滑らかなような鼠色に塗られた空だった。
 夜、一〇時過ぎに一度、窓の外に雨の気配が起こって、葉が打たれるかすかな音が始まり、空間の奥から寄せてきて籠る響きがあったかと思うと、すぐに溶けて、あとは微風のみになったらしい。再び文を綴ってモニターを見つめたために、首の重って額にも鈍るものがわだかまったその頭を、枕に預けて書見を続けていた夜半過ぎ、丑三つも近くなると流れこむ空気が冷やりとしてきて、窓を閉ざした。二時を回って明かりを落としたが、寝入るのにはいささか苦労させられて、輾転としながら一時間くらいは頭がほどけずにいたのではないか。鳥の声は聞かなかった。