早朝に覚めた窓の外で、鳥の声が活気づいていた。鶯の音が普段よりも忙しなく、川に次々と石を投げこんで水柱が立つように、そこここで跳ね、その合間に鵯の鳴きが入って、僅かな間断を挟む隙もなく、なかに時折り、谷渡りの螺旋状の響きが、昇るというよりは降る軌道を眼裏に描かせながら被さる。食事を取ってから新聞を取りに出ると、七時前の陽は粉っぽく空気を霞ませ、その琥珀色のなか、染み入るような木々の緑の前で、微小な羽虫が飛び交うさまが、数多の点の浮遊となって浮かび上がった。
一月前、兄夫婦に生まれた子のお宮参りで、朝の早くから都心の方へ出る手筈だった。予報では二八度まで上がると言う。八時に至る前には家を発ち、一点の乱れもなく晴れ渡った空のもと、既にいくらか厚くなりはじめている透明な陽射しのなかを、両親と三人で駅に歩いた。歩いているうちには気にもならないのだが、ホームに立って足を止めるとかえって、眠りが少なかったこともあろう、頭に掛かる熱の重みに、平衡が僅か揺らぐようで、足の裏の重心がいくらかぶれて前後に移動するのが感じられた。
満員の電車に長く揺られて一〇時には、原宿にある神社の、社務所の前の木蔭の台に腰掛けて、兄夫婦を待っていた。光は渡り、雲はいまだ一片も生まれず、薄青いガラスの高層ビルが縦の輪郭線を、くっきりと明瞭に刻みながら空に突き立っていた。身に風が寄っても木々の葉はあまり揺らがず、白く埋めこまれた光点の群れを騒がせることもなく静止しているその明るさは、背景の淡青と偏差なく一体化して、空の上にそのまま貼り付けられたかのようだった。そのなかから雀が、時折り立って宙を滑る。斜めに渡って地に降り立ち、かなり近くで遊ぶものもある。周囲を画している戸口の、緑青色が古びて掠れたようになっている屋根の上に、雀が乗って左右に跳ねるたびに、組み合わされた木材の、小さな足を受け止めて鳴るささやかな音がするのだった。
本殿で儀式を済ませて台のところまで戻ると、姪を抱いてみろと言う。こわごわと受け取り、まだ座りきっていない頭を腕に支えて抱えていると、この叔父の腕のなかで安らぎを得たのか、二、三発、大きな放屁とともに脱糞したのには笑わされた。写真を撮ったあとは駅に戻って、電車を乗り継いで兄の宅に向かう途中、山手線のなかで二つ隣に立った女子の、中学生か高校生か白い制服を着て、手の入っていない黒い髪で化粧気もないのが、内向的なような細い視線を熱心そうに紙面に沈めていた。読んでいるのが、カミュの『ペスト』らしい。今時珍しい、いかにもな文学少女の図と映った。
粘る陽のなかを宅へ歩き、寿司やら豚カツやらをたらふく食わせてもらい、赤子の頭を撫でたり、こちらの指の三本の幅もない手を弄んだりして、それから話は周りに任せてソファに凭れ少々微睡みもしたあと、暇を乞うた。四時を間近に控えても陽には粘りが残っているが、日蔭のバス停に立っていると風が走る。繰り返し流れるものの厚いが、軽く、涼やかに身を吹き抜けて行く。両親と別れて電車に乗ったあとは、本も読まずに外を眺めながらしばらく揺られて、三鷹で降りて古書店に寄った。
七冊に重った紙袋を手に加えて駅に帰る途中、裏路地の果ての、左右から細く区切られた空を、夕陽の濃密な赤さとその下にくゆる薄紫が満たして目を撃ったのは、六時半を迎える頃である。高架を走る電車の扉際に就いて、ふたたび西を見渡した時には、地上にはもう夕光も掛からず一律に薄青く染められた家やビルの背景に、夕陽はその形を溶解させて滲みながら拡散し、和らげられた赤と紫と青の階調が横いっぱいに伸び広がって、空は朝からこの夕刻に至るまで雲のひとひらさえも許さず澄んでひらいているのに、その西の果ては霞んで、まるで雨霧に煙っているようで、山の影も映らず、ちょっと離れた上空に飛行機の軌跡が、消えない流星のように白く焼き付けられて光っていた。一駅ごとに赤は弱って紫が優勢となって行き、しかし国分寺で待ち合わせに停まって発ったあとには、紫も衰えて地上から空までほとんど、宵に踏み入る前の青一色に染め上げられて、じきに顔を寄せている窓にも車内の反映が半ば混ざって、視線の通りを阻むようになった。