2017/5/21, Sun.

 あまりにもあからさまな、開け広げな晴天だった前日にもまして暑さの盛った日で、居間に吊ってある青い気温計は一時、三二度を指していた。この日も朝から晩まで、空に雲の一粒も現れなかったのではないか。拍車の掛かった気早な夏の気の、室内に無遠慮に入りこんで来て、昼下がりに気怠いような重い熱気が溜まり、家を出る前から肌は粘っていた。旺盛な陽のなかを行けば、余計に粘つき、肌着が湿る。しかし陽射しに打たれていても、坂を上るあいだに心臓のあたりがちょっと痛みはしたものの、身の揺らがず、すっきりと立って定かに歩くのに、炎天下に出るたびに倒れるのではという不安を抱えてふらついていた数年前と比べて、随分と身体が強くなり、安定を得たものだと改めて自覚した。
 駅で屋根の作る蔭の下、ベンチに就いて、東から西へ時折り厚く走る風に身を浸されながら、津島佑子『寵児』をしばらく読んだ。こちらの足のちょっと先、ホームの端には、陽が北寄りの高くにあるようで、日なたが漣めいて屋根の少し内まで寄せて入りこみ、外では水のような光があたり一面に染み通って、草々の緑が輝かしく明るんでいる。電車を使って図書館に行き、ただ一つ空いていた学習席の一番端に運良く入れたあとは、五時半に至ってコンビニのおにぎりを食いに出た時以外はキーボードに触れて四時間、本当は他人の文も写したかったが、自分の文のみに労を奪われているうちに閉館がやって来た。
 宵に入って最寄りに戻るとあたりは涼しいも暑いもなく、ただ摩擦なく静まっているところに、下り坂に入れば、木々に囲まれた暗がりの先から緩い涼気の湧いて上って来た。帰ったのち、夜半過ぎから書見を始めて夜を更かしているあいだ、二時を回った頃に、時鳥の声を聞いた。遠く近くなりながら繰り返し、連続して鳴き募ったので、聞き間違えでない。錯聴とも付かなかった先日のものを措けば、これが初声ということになる。