気温計が三〇度を指し示す夏日が続くが、風が爽やかに、窓からよく入っても来た。外では鶯と鵯がいつものように鳴きを散らしているその合間に、画眉鳥だろうか、柔らかく曲がる融通無碍な声のみが、あたりは黙ったそのなかに奏でられて音楽的に響く時間があった。昼を過ぎて二時の頃から気温が上がったようで、自室は居間と比べて風の通りが弱いこともあり、コンピューターに向かい合って鍵を叩いていればそれだけで身に熱が籠り、昼もよほど押し詰まってから、何をするでもなく窓辺にじっとしていても、温もりが肌に貼られる。五時を迎えて居間に上がるとしかし、さすがに暑気は和らいで、いくらかの涼しさに触れられた。
ネクタイは付けたが肌着にシャツのみで、何も羽織らずに出た。三日連続で雲のまったく除かれた空とは行かず、午前から昼のあたりはそれでも青さが遮られずに渡っていたようだが、夕刻に至ると淡い雲がいくらか浮かんで、そのなかで東南の方に、ひとすじ横に伸びた芯からほつれるようにして両側にいくつも枝が分かれているのが、人の脊椎と肋骨を思わせた。西にも、薄いが大きく雲は湧いて、陽はそのなかで溶けて茜色を幕に留められ、光線は地上に注がず、それでも充分に明るい空気のなかに、アスファルトを見てもその上を流れて行く車の側面を見ても青さが、あからさまでなく、黄昏もまだ遥か遠くて沈むこともなく、ただ淡く乾いて含まれているその風合いを、初夏の夕べの青と思った。汗は勿論湧くが、粘る西陽の日なたのないのは幸いで、裏通りを行っても風が前から吹いてくるのが、角を立てずに肌に円い。時折り、耳の入口を覆ってばたばたと騒ぐくらいに厚くなったそのなかで、背を一粒、汗の玉が転がり落ちて行くのを感じた。
帰路のこと、足がいくらか逸っているのに気付いて歩調を落とすと、恍惚の薄い芽のような、解放感らしきものの兆しが滲む。気温の上がって来て滑らかな初夏の夜気のなかで、よくあるものだ。風はまた向かいから、ということは行きとは逆の向きで、吹くが、それが止まれば肌が空気に触れていることさえ感じられないような、摩擦のなさである。しかし夏の感を得るには、あたりに虫たちの活気が、まだ薄く、足りないようだった。空は月の出までまだまだ遠くて、東の端ももはや明るいとは言えず、黒とも青とも付かない暗色が澄み渡って、果てまで張った上に、星がいくらか灯っている。老人ホームの角の豆桜は勤勉に手を入れられているらしく、先日は足もとに茂っていた枝葉がすっきりと、元から短く断ち落とされて、そのあとからまた生えてきたものか残されたものか、緑の濃い葉がいくらか、群れを作らず半端なように伸びていた。