午前からよく風の吹く快晴で、起床後にしばらく、枕に尻を乗せて窓辺に佇んでいると、爽やかな葉擦れの響きが窓外を渡る。風はカーテンの隙間からなかにも入りこんで、身にも柔らかく、稀薄な靄のように触れてくる。食事を済ませて正午過ぎから始めた書き物のうちにも、たびたび背後で響くものがあるのは、窓のすぐ先の棕櫚の木の、頭に乗せた広い葉が揺らされてはためき、分かれた葉先が互いにぶつかり合うものらしい。地に伏した無数の枯葉が風に押されて路上を擦りながら駆け抜けるような音だと思って、いつかの記憶か想像か、家のすぐ前の通りを前から、褐色の葉が転がり走ってくるさまが浮かんで、秋の雰囲気が瞬時、香った。
昼が下ってからも、風は続いた。ものを食っているあいだにも、東窓のカーテンが丸く膨らみ、それとは向かいのベランダの戸を、洗濯物を入れようとひらけば途端に吹き入るものがあって、ひどく涼しい。東の窓の先、坂に入ってまもないあたりでどうも木を切っているようで、チェーンソーらしき唸りが間を置かずしきりに立ち上がって届く。取りこんだシャツにアイロンを当てようと、卓の前に膝を付いて南窓に向かい合うと、近間の屋根の先に目に入る川沿いの木々が、偏差のさほど窺われない緑に整然とまとまって、横に並んでいる。数か月前には緑を受け持つもの持たぬものがあり、色を付されたのも鶯色が淡くくゆる程度で、ばらばらに乱れていたように思うが、随分と密に調和したものだ。川沿いに限らず、窓のなかの端々にくっきりと濃い緑の目に触れる初夏で、山はさすがにほかの緑から際立って深んでいた。
風に鳴る梢の路上に張った蔭のなかにあれば涼しいものの、三時半のまだ高くから降って透明な陽射しのもとに出ると、途端に頭が重る。これでは確かに、熱中症で倒れる者も出ようと思って表に出れば、街道の上は両岸まで隈なく日なたがひらいて明るく、背面が、頭の上から背、腰から尻をたどって靴の踵まで、一挙に温められる。足が温もると、外を歩いていながら風呂に入っているような気分も生まれて、気怠い眠気の兆さないでもない。空にある雲は、白粉を弱くはたいた程度の、形も厚みも持たずあるかなしかの添え物に過ぎない。裏通りへと入る角に並んで停まっている車の、顔に光を溜めて反射してくるのが眩しく、上空からはまた熱が直接、頬に寄せて来る。しかし風は結構あって、道を行くあいだ、折に触れて立ち、肌の熱をいくらか散らしてくれる。確かに暑く、夏日というものだろうがしかし、猛暑の盛りからはまだまだ遠いと思ったのはその風のためもあろう、汗は当然湧くが、背の肌がそれほど激しく水気にまみれるでもなかった。
帰路はいくらかものを思ったようで、あまり周りを見なかったらしい。空気の動きは弱く、風と言うほどのものも立たず、静かな時間の多かった。夜空は明るいようでもあり暗いようでもあり、詰まったような墨色で、雲は掛かっているようだが、星を隠せずに霞ませる程度のものである。目を伏せて電柱の傍を通り際、身の脇を、飛ぶものの影がすっとすれ違って、この夜に鳥かと一瞬思ったがどうも、見上げればあたりの灯のもとにしつこいように集まっている蛾の、その一匹だったらしい。
外にいるあいだは涼しかったが、帰ってものを食っているとやはり、頭上のすぐから降る食卓灯のオレンジの明かりにも、顔の周りが温もるような夜である。知人との通話で夜を更かし、さらに本を短く読んで三時半、新聞屋のバイクの音も消え、夜空の白みはじめるのもだいぶ近くなってから床に就いた。仰向けになって眠りを引き寄せているあいだ、時鳥の鳴きを何度か耳にした。