覚めたあと、用足しから戻ってくれば、カーテンの裏で窓はひらいているのだが、それでも室内に暖気の籠っているのが感じられる。三〇度の日らしい。居間の窓の先では光の通った空中に、山の上にひらいた空の清い色が溶け混ざっているようで、空気が自ら薄青さを放っているかに映る。風はあり、室内にも入って、部屋のベッドに腰掛けて本を読む背に波打って寄せるが、アイロンを操る時にはやはり暑くて、肌を晒した。出かける前に肌着を身に戻し、その上にシャツを一枚重ねただけで、皮膚が籠められて息苦しいような、肌に触れる布の感覚が煩わしいような、そんな昼下がりである。
普段は肉体的健康のためにも、世界に浮遊する微細な差異を感知することの精神的享楽のためにも、一駅先まで歩いて行くが、陽射しの重そうなこの日はさすがに、最寄り駅への道を取った。身体の前面に付着する熱を抱えるようにして行き、木蔭の坂に入ればさすがに涼しくなって、頭上で木々が鳴るのに合わせて、木洩れ陽によって路上にひらいた円型舞台のなかに、葉の影が入り乱れて蠢動を演じ、葉鳴りの続くあいだ、足もとを水面[みなも]のように騒がせる。駅の階段で、知り合いの老女に会った。足が弱っていて一段を、手すりに頼りながらゆっくり慎重に上って下るその横に就き、ホームに入るとベンチに並んでしばらく話をするあいだ、風が折々東から西へ、横向きに身体を通過して行くのに汗が収まって心地良く、外では青草が明るく照りながら揺らぐ。
七十八だと言う。電車に乗って帰ってくる小学生らを、駅に立ち迎え続けて幾星霜、こちらも小児の頃によく会ったものだが、始めたのはこちらの叔母が小学三年の時と言うからもう四十数年、五十年にも近くなる。この身の生まれ落ちていままで通ってきた歳月を、その倍とまでは行かないが、遥かに越えて日々、駅に立ってきたのだから、長く、想像の及ばないものだ。この屋根の下にいればわりあい涼しいけれど、日なたがもうここまで寄せてきていますねと、ホームの端に控えめに乗っていた陽の足が、電車を待つあいだに、靴に掛かるほど進んでいたのに気付いて振れば、そうよ、こんな方まで来ますよと老女は答えて、椅子の背に触れた。下りはじめた太陽の余波に、屋根の縁から僅かに覗く北西の青空が、輝きを増しているようだった。
そのように晴れ晴れと光をはらんだ空が、図書館で書き物に傾注して気付かないうちにいつか失われ、六時前に顔を上げると、フロアを越えて高く立てられた大窓いっぱいに、視線の引っ掛かる余地のない一面の曇り空が、白とも淡青ともつかない色に広がっていた。宵に入って館を去ると、歩廊の上の空気に、植物のものなのか、何かを燃やしているような、ちょっと煙いような匂いが、かすかに嗅がれた。月は五日目、西南寄りの夜空に浸かって、雲を網のように掛けられて、形も朧に、貼り付いていた。