2017/6/2, Fri.

 風の厚く、多い日で、寝覚めてからしばらく窓辺に留まっているあいだ、葉を擦りながら渡っていく気流の響きが、ガラスの外の空間を賑やかに満たしている。上空でも流れるものが雲を掃き払ってしまうのだろう、空は明るく、夕刻に近づいても、食卓から見た窓の上部にちょっと覗く露草色が、穏やかでありながら目を惹く鮮明さである。その頃には、地上の風はいくらか収まっていたようだ。景色のなかにある緑は騒がず、川沿いに伸びた林と、実際には対岸の家々の向こうに遠く位置する山の麓とが、距離を殺して縦に一続きに繋がったかに映って、そうして改めて見ると樹々の合間に覗く屋根は小さく、いかにも緑のなかに埋もれた集落の風情だった。アイロンを操る手もとにしばらく目を落としてからふたたび窓へと上げると、もう蔭の増えはじめている室内に慣れた瞳に、川沿いの樹の緑がやはり明晰で、よくもあんなに明るい色になったものだとまじまじ見つめるようだった。山の斜面には一つ、数年前に一面伐られたものがあって、今年になると新たな緑もだいぶ育ってきたようで斜めに立った草原のようになっているが、その低みに一本残った樹の影が大きく斜面に映っているのを、気づくやいなや、何も不思議なことはないのに、あんな風に影ができるかと驚いていた。
 裏道の薄青さの合間に陽が射しこむその上に、鶯の声が降るのも似つかわしい、長閑で澄明な夕刻だった。街道まで来て日なたの真っ只中に入ると、途端に肌が水気を吐き出しはじめるのが感じられる。ふたたび裏に入った角で降ってくる光が頬に強く、目を斜めに送れば丘の際で伸縮を繰り返している純白の発光体の、嵩にしても白さの密度にしても、春に見たそれに勝って明らかに烈しい。しかし道中、折々に東風が吹き、吹かずとも流れるもののやまぬ爽やぎに、暑気の不快は起こらず、ともすれば汗をかいている感覚もなく、背に転がる玉が肌をくすぐってようやくそれを思い出すような具合だった。一ミリもないのではないか、陽射しのなかで浮かびあがる微細な虫たちが、虫とも見えずただ塵のような点となって、あたりを舞い、揺らいでいた。