2017/6/12, Mon.

 風がなくとも、涼しく、軽い空気だった。夕刻に到り、曇天が割れて晴れ間と陽射しが現れていた。影の定かに浮かびあがる暖かな西陽のなか、街道を渡り、背後に目をやって雲の裾に光る太陽を眩しがってから前に向き直ると、先ほどから鳴きを落としていた燕の姿が路上に現れ、まだ新しい一軒の方へ飛んで行ったのを、巣があるのだろうが、軒下に隠れきらずに宙を上下しているなと見ているうちに、もう一匹、誘いを受けたように出てきて、円弧を描いて家々の周りを回るその軌跡の、空中を切り取るような滑らかさが目に残った。
 裏通りを行っても、相変わらず、風は走らず、しかし空気は絶え間なく動いて肌をかすかに擦るのが、温もりのなかで心地良い。いつか、気怠さが湧いていた。肉体よりも精神のもの、二日間を家に籠ったあと、またこの道をあの場所へ行っているかと、生活の反復に倦み疲れたようなところがあるらしかったが、生とはその大方が、所詮は前の日の反復に過ぎない。陽に照らされてそのまま眠ってしまいたいような、鈍い倦怠だった。
 それでも勤めのあいだは人と話すので、段々と、望まなくとも気分が持ち上げられる。職場を出て一人に戻り、踏み出した途端に意識が切り替わって、いまの時間が如実に感じ取られ、そこまで一挙に飛んできたような気もして、背後に置き残してきた時間が、そこに入る前はいつも煩わしがってはいるが、また実に事もなく過ぎてもうなくなったようだと、不思議な感じがした。道には、風が生まれていた。満月を過ぎて出がだいぶ遅くなったのだろう、空に月の姿はなく、雲がまた湧いて埋めてもいるようで、その下に流れる風は湿り気をはらんでいるようだった。たまには表を歩くかと中途で曲がって街道を行くと、車の途切れ目に挟まる静寂が、日中、動きに満たされている空間であるだけに貴重で、裏道よりも深く、広い感じがする。街灯の距離が離れた一郭に入ると、前後の光が遠くて影も半ば混じりこむその暗がりに安らぐようなところがあって、普段の分岐路よりも前に折れてわざわざ暗い道を行った。中学校の脇の道で、片側の電灯は乏しく、もう片側に並ぶ家も古いものが多くて、人は住んでいるのだろうが窓明かりがなく、足もとの影の輪郭が崩れて頭が捻れたようになる。川沿いから立ち上がる林の横を行き、木の暗さに埋もれたようになっている家の前を抜け、分岐点に近くなると、風が通って、並ぶ梢が、夜空に溶けそうで目には定かに見えないが、さわさわと鳴りを立てていた。
 夜も相当に更けた頃、就床前に目を閉じて心身を落着けていると、沈みかかっていた意識が何かを感知して浮上した時間がある。カーテンを通して奥に小さいが、窓外の川の響きが、定かなようになっていた。耳を張っていると、遠くの方から気配が寄せてきて、風だろうかと窺っているとしかし早々と渡って来ず、葉鳴りもなくて、雨らしいと聞くうちに風を伴わないらしい降りの響きが近づき、膨らんだ。急に来たが窓を閉ざすほどの強さもなく、ごく短いもので、数分のうちに盛りを越して萎み、また静けさが戻った。