2017/6/22, Thu.

 モニターに向かい合っていると身体が温みを帯びて蒸し暑い曇天で、夕方に到っても雲は晴れず、出ると前日の水気がまだ残っているところに、気温が上がって染み出したものか、湿った植物の匂いが大気に混ざっていた。木の間の坂を上るあいだは正面から風が走って続くが、平ら道に出ればその恩恵もない。太陽は洩れて来ず、北西の空の表面に光を留められ、円く小さく溜まっていた。身体がいくらか淀んでおり、歩調は自ずと鈍くなり、出るのが若干遅かったので腕時計を見ながら間に合うかと危ぶまれたが、急ぐのも億劫で、構うまいと払って気怠い歩を続けた。
 遅刻は免れた。夜、大した勤めでないけれど身体はさらに疲労し、腰から下がこごって、踏み出しが硬かったが、欠伸を洩らしながら行くうちに脚はほぐれて、肉と節の推移が滑らかになるようだった。雲はいくらか薄くなったようだが、星は一つ、空の中央に明っているのみ、あとはほとんど沈みきっている。自宅への分岐点まで来ると、西空がひどく黒いのに目を瞠らされ、落ちていくような、と自ずと浮かんだ。地上との境など消滅し、樹々もなかに溶けて見えない濃密な闇の、その真ん中にしかし、先の一つ星が変わらず、針で突いたように点っているのが遠かった。
 家のすぐ傍まで来たところで、林の方の暗がりに何か浮かんで滑るものがあって、目の錯覚かとも思えたが直後、また浮かんだのに、蛍ではないかと脚を停めた。幼い頃にはよく目にしたものだが、その後消えて、ふたたび見るのに十数年は隔てている。折角だからと眺めていると、樹々の奥の方にももう一匹現れ、はっきりと光りはしないが沢のなかにもいるらしい。光を柔らかに、ゆっくりと灯しては落としながら漂い滑る姿のいかにも霊体めいて、なるほど、魂というものがもし目に見えて現れるならば、確かにこんな風かもしれないなどと、ありがちなことを思った。歌でも詠めれば風流なものを。