2017/6/25, Sun.

 道を前から、風が滑ってくる。通りがかり、下方から昇って一瞬耳に触れた沢音と、肌を包む風の湿った柔らかさに、確かに雨が落ちてきてもおかしくはない気配を覚えた。高い降水確率を新聞の予報に見ていたが、玄関で傘を取る気にはならず、今更戻る気もなくて、降らば降れと払って坂を行くと、鶯が鳴く。部屋内で、文庫本を手に転がっている時から聞こえていた。窓先に何かの声を聞いたのに一瞬遅れて、文字から耳に意識が逸れた合間に、あれも鶯のものなのか、鳴ききるのではなくて二音で半端に途切れ、そのためにかえって音程を顕に旋律の破片めいて耳に残る声があるのに、鶯も近頃の暑さに参って鳴き通すにも苦労かなどと戯れに思っていたところが、外で聞けば鳴きは大きく、朗らかさに程遠く雨気の近いような曇天のなかでこそ、むしろ朗々と渡る響きのするものだ。
 空は灰に染められて、表ではよく吹いた風が、裏に入ると、森には寄るが道まであまり降りて来ない。あちらこちらで日曜らしく、ボールを投げ合っていたり縄跳びを飛んでいたり、子らが外に出ていて、草茂る空き地では幼児を抱えた父親も混ざりながら群れでサッカーボールを蹴り合って、なかで転んだか女児が一人泣き声を上げているのに、ゲームだのスマートフォンだのあっても外遊びの文化が廃れきっていない我が田舎町かと見た。
 電車内でも西行の和歌から時折目を上げて、外の色を窺うようにしていたが、東京駅を降りても落ちるものはなく、そそり立つビルに押し上げられた空が変わらず灰に淀んでいた。知人と合流し、店を移りながら夜半前まで話しこんで、別れたのちの車内は大方立ち放しで、住む町に帰る頃にはさすがに脚が疲れて、その強張りをほぐすように一歩一歩、暗夜の道を行った。既に一時過ぎ、己の足音と、重なり合う虫の音のみが響いて家明かりも定かでない路地に、時々それでも、湯の響きやらテレビの音やら、家内にいる人の気配が通りすがりに立って届く。遅い時刻に、欠伸も湧かない。思い返せば電車内でも一度も出なかったのも、人中に出て多少なりとも張ったであろう気の名残りだろうか。身体が熱を帯びているのも遅くまで人のあいだにあったせいか、涼しい夜気に肌を冷やされながら、家路を辿った。