2017/7/29, Sat.

 正午前に足拭きを干すためベランダに出た時には、厚い雲が頭上一面に掛かっていながらもそれを抜けて背に落ちる熱を感じたものだが、それからしばらく昼が下ると稀薄な雨が始まって、窓から遠い台所で流しを前にすると視界が実に薄暗い。雨は続いて、この日も夕食後に出た散歩の頃には結構な密度になっていた。これではさすがにサンダルはまずいと靴を履き、傘を差したものの、格好はやはり気楽なハーフパンツで、剝き出しの脛に飛沫が弾けて冷たい。濡れた路面が街灯を宿して青白く冴えたようになり、歩に合わせて色を推移させて行くのを、美しいと素朴に思った。街道に出る間際の緩く傾いた道には幾重にも連なる水流が生まれており、その上にやはり白い光が引き延ばされて、刻まれた細かな襞がさながら鱗のようである。
 水気を含んで耳と頭を圧するほどに増幅した車の走行音を受けながら街道に沿って行き、樹々のあいだから裏に折れて細い急坂に掛かったところで、一つの音程が聞こえた。一軒の外に横倒しに設置された、あれは何の用途のものなのかともかくドラム缶様のものが、雨垂れを受けて硬質の音を立てているのだ。滴の当たる箇所が変わったのだろう、音程はすぐにもう一つの高さに移って、間を短く連打されるその響きに、坂を下りながら不思議と心が惹かれた。雨という触媒によって一つの物質が図らずも楽器と化してしまった、その意味の変容の瞬間に立ち会ったのだった。何かある種の音楽、自宅のコンピューターのなかに詰まっている優れた音楽群にも劣らず魅力的な、別の種類の「音楽」を聞いているという感じがした。その音楽に付されるべき名は、おそらく「偶然性」という一語なのだろう。