2017/8/12, Sat.

 朝の九時前には車に乗りこんで、山梨にある父親の実家へと出発した。少ない眠りを補おうと瞼を閉ざしていたのだが、そうするとかえって車の揺れが三半規管に強く響いて、たちまち気分が悪くなった。視覚情報があって空間が定かに固まっていたほうが、まだしも酔わないらしい。それで目をひらいたまま拷問のような吐き気に耐えていると、ある駅前の大通りに連なる百日紅の並木に行き会った。昨年も同じ道を通って山梨へ行く際に、白にピンクにもう少し濃い赤の花がそれぞれ盛りを迎えて続いているのを壮観だと眺めた覚えがあったが、今年のそれは同じく満開ではあっても、雨を受けて花が重ったようで、弧を描いて垂れ下がる枝のいくつか梢からはぐれて突き出しているのが、いささか無造作に崩れているという感じを与えた。
 鬱蒼とした森の左右に迫る峠道を抜けるあいだは、折々に強い悪心に襲われた。左右の揺れは大したものでない。しかし時折走る上下の振動を受けると途端に吐き気が高まって、この分では本当に吐くのではないかと思いながらも、黙ってやり過ごし、山梨に入ってしばらくしてからスーパーに着いて、両親が買物をしているあいだにシートを倒して微睡むと、だいぶ回復して気分が落着いた。ふたたび森の合間をうねる道を上って行き、山間にある祖母の宅に着いた頃には気力を取り戻しており、挨拶もそこそこに庭に出て、敷地の端からあたりを眺めた。道中、雨の駆ける時間もあったが、今は薄陽が漂っており、足もとの下草には露が残って、明快な薄緑のなかで光を弾いている。北側の山を仰ぐと、乳白色の濃い靄を頭に積まれて稜線は未だ定かならず、しかしその霧は谷間に沿って素早く下り流れていた。
 兄夫婦と幼い姪は、特急とタクシーを乗り継いで先に着いていた。赤子と戯れているうちに正午が近づいたので、チェーンの寿司や惣菜を卓に並べて食事となった。たらふく食ったあとは何をするでもなく、また赤ん坊に触れたりして過ごし、消化が進むと別の間に移って座布団を敷き、横になって一眠りした。起きると既に四時頃だったろうか、盆の帰省で通常は墓を参るところだが、こちらが寝ているあいだに、足腰のもうあまり良くない祖母や赤ん坊を連れて歩かねばならない嫁を慮って墓参はなしと決まったらしい。それで寝転がってちょっと読書をし、その後は葡萄を食ったりとまた何でもない無為を楽しんで、六時過ぎには帰路に就いた。