2017/8/27, Sun.

 起き上がって枕に腰を乗せた窓辺に、細い湧き水のような、清潔なそよ風が流れ入る。陽の明るさに布団を干し、もう晩夏だが今年初めての西瓜など食べたのち、四時になって家を出た。すぐ傍の駐車場の脇から白く小さな花が咲き群れて、地から伸び上がり柵にまで絡まって嵩んでいるのをこの日初めて気がついた。十字にひらいたなかに毛を生やした細い四弁花が密集して厚く膨らんでいるそれの、あとになって調べたところでは、髭になぞらえて仙人草と言うらしい。過ぎて坂の入り口、若い青緑に染まった団栗が葉についたまま散らばっているのを、ぱきぱきと踏み鳴らしながら行った。
 街道から裏に入らず、車の音を伴連れにそのまま表を歩いていると、ある家の庭内に、周りよりも高い樹冠にピンク色の花が集まっているのに行き会った。百日紅かと一度思いながらも、花の量感にいやと疑ったが、過ぎざまに横から見やればやはりその花である。梢から放射状に連なる花の隙間なく豊かで、縮れが目に入らなかったらしい。裏路地で見かけるものよりも、紫の色味を強く含んだ花だった。
 車はほとんど途切れず流れ、このような田舎町でも、と人の多さを思ったが、たまに間が空くと家々の向こうから、シュワシュワと鳴る蟬の音が静けさのなかに入ってくる。空は曇って陽の姿は見られず、行く手に混ざった雲の縁が細く白んでいるのに辛うじてその気配が現れるのみ、頭上は煤色が広く占めて、雲というよりは、色彩だけが純粋な性質として物質的な実体を持たずにそこに浮遊しているような感じがした。湿った空気に服のなかがべたつくが、風に汗が涼みもする。
 電車が発ってまもなく、濃緑の樹々が現れて窓が少々暗むと、ガラスのなかに向かいの様子が鏡写しになる。こちらの座る背後の窓のみならず、その外の町並みまでがまとめて影像となって写し取られ、正面の窓の先に突き出して浮かんでいるかのようで、同時に眺めることはできないはずの線路の両側の風景が、一つ所に集まり重なり合って流れて行くその複雑さを見つめていた。図書館ではコンラッド『闇の奥』を返却し、せっかく来たので何か一冊借りるかと文庫本の棚を探っていると、折口信夫死者の書/口ぶえ』に行き当たり、垣間見た言葉の列から直感的に強く惹かれるものを覚えたのでそれに決めた。出口の一つ目の扉をくぐると外から騒立つ声が聞こえ、遅い夕刻に蟬が随分鳴いているなと思ったところがさもあらず、出れば鳥の群れの騒ぎで、街路樹の梢に夥しく集まって鳴き立てて止まない。薄青く暮れた空を向こうに見上げても起伏のない影となるばかりで姿を見分けられず、種も知れないが、あれがおそらく椋鳥というやつではないか。コンビニで支払いを済ませて出てくると、手近の木から白くて円い小さな羽根が出てきて、煙草の煙が漂うように落ちず緩慢に浮遊していた。