2017/8/31, Thu.

 曇り空のなか東南の、市街のあたりの空に灰色の雲が重ねられている。各々引かれた段の滑らかに混ざらず区切りの明瞭な、子どもの拙い手で雑に塗ったような雲である。街道に出ると、排ガスの臭いの混じった風が湧くが、流れるものに湿り気はなく、むしろ乾きの感触が感じられた。風が止まれば涼しくもなく温もるでなく、中性的な空気で、そのなかをくぐって行くと、裏に向けて折れたところで雨に濡らされた百日紅が、枝を撓らせて重そうに垂れている。
 気温が落ちて、林から伝わってくる蟬の音が薄い。日中も室内にいて聞こえたのはミンミンゼミの弱い鳴きのみ、思い返してみればこの往路の初めの木下坂でも、耳には入っていたかもしれないが、聞いた覚えがない。行く手の空には曖昧な青さを裏に灰色雲が浮いており、遙かな下端には帯状のものが沈んで、背後から反影されて山がもう一つ拵えられたかのようだった。右手、南に行くにつれて群れは数を増して湧き乱れ、そのまま振り向くとこちらには、凄まじい大きさの、巨砲のような塊が突き出しており、先端のあたりはちょうど西南の空が僅かに陽を受け容れて白んでいるから、余計にくっきりとその巨大さが際立つのだった。
 勤めの済んだ夜、雨は降らず、横断歩道を渡りながら見上げるとちょうど、ビルの縁で月が闇に吸いこまれていく。空気に確かな涼しさが生まれていた。不要の傘をかつかつ突いて、足音の合間の合いの手のように鳴らしながら行く。道に虫の音のひとときも途切れず、どこにいても必ず添ってきて、和声も旋律も拍子もなくただ種々の音の重なりが生むその抽象音楽を聞くうちに、いつか路地が尽きていた。
 濁った空に遮られながらも光は渡って、露わな青さが雲をもまとめて浸している。上弦を過ぎて厚くなりかけている月の、雲を逃れれば殊に明るくて、くっきりと張って艶を帯びながら照っていた。道の終わりに木の間の坂に入ったところで、奥から風が湧き出して、その厚く柔らかな流れのうちに包まれると、行き先の不明な感傷と身内をくすぐる官能とが綯い交ぜに生じて、思わず顔を歪めていた。こうした不意の感応も、もう何度も経験してきて馴れたもので、まだ馴染みのなかった頃のような忘我の強さはもはや訪れない。身を震わせる官能の瞬間をも逃さず観察し、細かく解析して言葉に変えようという病のような理性が勝るらしい。常に言語を忘れることのできない肉体に、とうに変わってしまったのだ。そんなわけでこの時も結実はしなかったものの、しかし恍惚の芽はあり、ほんの仄かなものではあるが涙の気配も香ったらしい。坂を下って行きながら、ヘルダーリンが妹宛ての手紙に書いた言葉が自ずと思い起こされた。一七九九年七月のもので、曰く、「もしぼくがいつか灰色の髪の毛を持つ一人の子供になるとしても、きっと春と朝と夕暮れの光とは毎日、まだいくらかはぼくを若返らせてくれることだろう」と言う。