2017/9/4, Mon.

 林から湧き出す蟬の音の、薄く疎らな七つ時に発ち、坂に入ればそこでも虫は退いて、鳥の声が替わって落ちる。木立のなかをいっぱいに占めていた蟬の覇権も、そろそろ終わりに近い。曇天を頂いて、冷たさに結実するほどでないが、かなり秋めいた涼しさが肌を擦った。裏の入口、角の家の百日紅は、やはり色味が褪せて果ても近いかとも見えるが、百日続くとの由来の通り、ここからまた衰えながらも咲き継ぐだろう。道中、ほかに見かける濃い紅のものは対して、ますます締まって色を強くしているようにさえ映る。
 週日の頭、じきに夕刻に掛かる頃合いに、それぞれに帰る人らで路地の往来が多い。こちらと同じく駅に向かう高校生が道の奥に遠のき、向かいからは次々と、ランドセルを背負った子らが現れて過ぎる。森から蟬の音の、ほとんど伝わってこないようだが、しかし丘に広がる林のすべてがそのもので震えているように覚えた先の晴れ日から、まだ一週間も経っていないのではと思われた。駅の近間まで来て、久しぶりに寺の枝垂れ桜に目が合ったのは、薄く渋いような、年寄ったような色に気づいたからだ。改めて見れば周囲の樹々もいくつか、老いの風合いを仄かにはらみはじめていた。
 折口信夫死者の書』を読みつつ電車に揺られているあいだ、ただ一度のみ、西南の空から陽が洩れて、身体の脇の席の仕切りにかすかな明るみが差したが、直後に駅に入り、また屋根の下を抜けるともう消えていた。立川のビルの合間からは、平たい曇り空が覗く。歩道橋に出ても左右の果てまで全面白く、襞も窺えずなだらかに延べられており、吹くほどの風もなくて街路樹の端が揺らぐのみである。
 松本圭二が復刊したと聞いて書店にやって来たのだが、インターネットで目にした画像を念頭に、詩の区画に行けば平積みだろうと思っていたところが見当たらず、見れば棚に一冊ずつしかない。誰かに取られないうちにと三冊とも確保してから、店内の諸所を回って長々と時間を使った。文芸も哲学も気に掛かるものはあるが加えて買うに到らず、珍しいことに漫画を開拓してみるかと派手派手しい一角に入って、とは言っても漫画というものを読みつける身でなく、事前情報もないので棚から手当たり次第に取り出しては表裏を眺めて、直感的な興味でもって二作を決めた。
 出ると七時である。モノレールの駅の下の暗がりを広場に抜けると、駅正面の、人々の影が左右に蠢く通路を横から越えて向こうにビルの灯が浮かぶ。けばけばしいような色に様々飾られた窓の建物がしかし平板で、こちらも黒くて平たい空とともに描かれた書割のようで、大きく立ち上がってはいるのだがどうも実在感がついて来ず、模型のようなとさらに連想が流れて最後に、まるでミニチュアの都市のなかに入っているようなとそこに至って比喩が落着いた。駅舎に入れば雑踏の話し声と足音が反響してざわめき、空間を煙いように満たしている。ホームから見上げた宙は黒々として、あれは立体駐車場か、駅に接して聳えたビルの、側面に階段か何かついているのか影に遮られたその奥の殊に暗んでいるのが、蛍光灯の光と前髪の向こうに見えていた。
 最寄りへ来ても暗夜のままで、月はそろそろ望のはずだが位置を知らせる薄靄すらなく、空は均一に静まっている。しかし暗色のなかにもかすかに澄んだような、さやかな調子が見て取れるのは、光が雲の裏に渡っているしるしだろう。秋虫の音は林中に満ちて、木の間を出てからも道に添ってついて来る。水のように豊かに、溢れている。