2017/9/5, Tue.

 昼、鈴虫が、窓の外に鳴いている。気温がやや高戻った日で、蟬もいくらか合わせて鳴いて、夏の虫と秋の虫の声が両方入り交じる。季節がちょうど、跨ぎ越されている頃合いらしい。昼過ぎにベランダに出ても、曇天を透かして暖気が漂っており、その後、室内にもミンミンゼミの声が定かに届いた。
 暮れの近い道にはツクツクホウシがよく鳴いて、跳ねるような声が林からいくつも飛び出して来る。ミンミンゼミは遠くかすかで、気づいてみれば蜩は一体いつの間に消えたのか、まったく声が聞こえない。曇った空に煤煙めいた薄灰色の雲が重なり、ともすれば雨の落ちてきそうな天の色だが、のちには汗が背を転がったほどの蒸し暑さで、涼気の気配のかすかにも感じられないので、これでは降らないだろうと読んだ。街道を行っていると車の騒音の合間に鈴虫の声が漂って、それを聞いて過ぎると自ずと断片的な単語がいくつか浮かび、それらが五七五の音律の内に不完全ながら組まれはじめて、作句の頭が駆動しはじめた。珍しいことだ。和歌俳句を読みつける身でなく、今まで読んだ集の数も両手の指を辛うじて越えるに過ぎない。作りつける身ではさらになく、あれももう二年以上も前か、正岡子規を読んだのに触発されて試みていた一時期があったが、ひどく拙い児戯のようなもので、数としても六〇か七〇かそのくらいで途絶えたはずだ。それが久しぶりに、頭が句を拵えたくなったようで、道中そちらにばかり気が行って周りの物々もあまり目に入らなかった。
 裏通りへ入ってきた男子高校生の三人連れの、スマートフォンか何かで垂れ流している音楽が、ヒップホップと言って良いのだろうか、重い伴奏の、野暮ったいような気怠いようなラップ調のものである。周囲に女子高生もいるのを構わず猥雑な詞のそれが撒き散らされるのに、こちらは鈴虫を句に乗せようなどといくらか風流ぶっているのに、そう闖入されてはまるで風情がないなと苦笑を禁じ得なかった。それでも彼らが遠ざかってしまうと、また考え出して、言葉が頭のなかで取り上げられては置き換えられ、回される。結局、歩くあいだには仕上がらず、職場に就いて働きはじめる間際になって一応の格好に固まった。
  鈴虫を聞いて傾くひぐれかな
 行きには聞いてこうして詠みもした鈴虫が、夜の道に鳴きしきる声の内には意外と聞かれず、よく聞こえるのは蟋蟀ばかりらしい。月の記憶がないのは、出ていれば気づくはずだから、この日も昨日に続いて曇天の暗夜だったのだろう。曲がりなりにも拵えはした一句を、これで良いのかと相変わらず頭に回していたらしく、やはり周りの物らに大して耳目が行かなかったようだ。